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2015年11月

2015.11.30

11月28日の覚書、その2

いまだ余韻があるので、意識してそれを止めずにその余韻の中に入ったまま日常を過ごすことにした。おもしろい時間を過ごしたのだから、たまには引きずって平日を過ごしてもいいと自分を許す。
 
時系列で思い出してみる。
最初の日、まずは朝礼からはじまった。学校なのだもの。
古川校長は校長であることにとても自覚的で、自然である。
挨拶もすばらしかった。
威厳のある顔つきで空気中に「あ」をなぞる。
「あ」の文字にはまっすぐだったり、曲線だったりいろんなものが入っている。ここから始めたいと。続く講師陣は校長をまねる。空気中にいろんな文字を書く先生続出(笑)。
 
挨拶は大事だ。
校長の挨拶の言葉はまっすぐ身体をつきぬけた。
その日からの2日間、生徒である喜びをまず与えてくれた、ああ、うれし。
 
川上未映子+華雪+古川日出男
 
3人のディスカッション授業を選択。
 
小説家2人に書家。華雪さんという方を私は今回の学校までまったく知らなかった。
この方が小説家の2人におもしろい光を注いでくれる。
作者は作品をつくりながら作品をみる、
でも、作品だって作者をみているのでは、という華雪さん。
 
自分の身体から出る文字は不思議で作品によって文字が変わってくるという古川さん。手紙の文字と、例えば『女たち三百人の裏切りの書』の文字は全然違うという。手書き文字のコピーを数枚参加者に配ってくれたのは、この授業ではなく別のワークショップ。なので、この話はまた別ポストで。
 
おもしろい。身体から出る文字すら変わってくる。
通過する身体で何がおきているのか。
 
 

2015.11.29

2015/11/29の覚え書き

「肉声、肉筆、そして本」がテーマのただようまなびや2015、2日目。

2日目は気分的に何もかも楽です。
昨日が長女で、今日は次女になった気分なのです。
まずなぞる。
朝7時に起きて、洗濯機をまわし、つれあいにコーヒーを入れて、駅まで送ってもらう。
同じ車両の前で並び、狙った席に座り、郡山に到着。
自分用にコーヒーを買って、駅ナカの書店で買った「新潮」12月号で昨日のワークショップがすばらしかった華雪さんの文章を読む。すばらしい。

本日の授業構成はほとんどがワークショップ。
選んだのは、柴田元幸さんの翻訳「文体練習」。
レーモン・クノーの『文体練習』のようなことをする予定とある。予習は本そのものじゃなくてもいいから、アンサイクロペディアでその箇所を読んでくること。プリントアウトして行きの電車で読む。
お題「古池や蛙飛び込む水の音」
英訳されたさまざまなバージョンを柴田先生が解説される。
そして生徒それぞれの好みの英訳を確認。
私が選んだはカーカップ。

次。
いろんなバージョンでこの句を訳す。時の首相風、みつを風、山頭火風、NHKニュース風、絵日記風(絵もつけて)。
私はカーカップの英訳をまた日本語に変換を試みる。
英語能力は問わないとこのワークショップではあったものの、参加者のほとんどは英語に精通している様子。加えて日本語から日本語への翻訳の時、まわりの筆圧の音、音、音。自分が何も思いつかなく頭の中が真っ白。家に帰りたくなる気持ちをなんとかおさえて、書き上げる。
はぁ。

それにしてもすごいのは柴田先生。
全員に実のあるコメント。書き上げたものには肉筆コメント。
先生です。

話は少し飛ぶと、ただようまなびやは朝のHRから帰りのHRまで公開され、
職員会議さながら、当日の授業を講師が受講していない生徒に向かっても説明してくれる。
「ただようまなびや」は学校です。2日間だけ開校される学校。
学校長は古川日出男さん。

教育については、先日地元の大学講座でも感じるところが多々あり、(すみません、ここから文体変わります)そんな時にHRでは「学校は規範から外れないことを教える場所」と否定的にも聞こえる意見が出ると、そうなのか、知識を教えるのは不要なのかという問いが生まれ、どちらも否定することはなく、いずれの意見も刺激しあうという面白い場面に立ち会えるのです。

そんな場で、特別シークレットゲストである村上さんが「いい先生に出会えたら学校は有益な場になる(大意)」と仰います。同感です。しかし、教職側にも言い分はあるでしょうが、その確率は極めて低いと3人の子どもを学校に通わせて思う母心。現在進行形で私はいま学校に大きな不信感をもっているのでなおさらです。それはさておき。

生意気な大学生ボーズがいいます。「俺たちを大事に思ってくれてたらそれは伝わるんだよね。でも最近の先生は生徒より自分が大事がみえすぎて先生辞めて他の仕事ついてほしいとマジ思うよ」

柴田先生、2日間、それも私などはたった一回の授業を選択しただけなのに出し惜しみしません。拝みたくなります。

学校長である古川さん、副校長の柴田さんが、生徒への愛を出し惜しみしないのですから、担任の先生方もそれに自然とならってます。

次の授業は川上未映子さんの「たけくらべ」。樋口一葉ラブが伝わる「たけくらべ」のあらすじ語りをする川上さんはもうめごいのなんの。

樋口一葉、100年後に自分の作品をこれほど熱く語られてることを想像したでしょうか。

日本語を日本語に翻訳するおもしろさたっぷりの1時間半はあっという間。
柴田先生の授業で脳みそ使い果たしてくたくただったにも関わらず、時間がたつごとに覚醒してくる、ああ、おもしろい。

そして最後の授業は朗読とディスカッション。
川上さんは自分の詩を読み、
古川さんは訳した平家物語を。
村上さんは自分の短篇「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」2015年11月29日バージョンを。
それからディスカッション。
想像力について。
豊崎さんがいう。
「想像力は善のみなのか」(大意)。
「コントロールできないと、想像力は悪に向かうしかないのではないか」(大意)。
村上さんがいう。
「危険だからこそおもしろい」(大意)。

どの場においても、二択から選ばない答えらしきものが提示されるのだ。
これがうれしくおもしろいはずがない。

ここではないどこか。
わからないことのベクトルの先。

まとめはいらない。(大意)と古川さんは仰った。

あえてまとめないまま、こたえはすべて参加者の脳みそにゆだねられ、幸福な解散。


しあわせとはこういう日のことをいう。

と、ついまとめたくなる。





2015/11/28の覚え書き

「肉声、肉筆、そして本」がテーマのただようまなびや2015に参加。

今日が一日目。

土曜日、朝から晩までひとりで学ぶというすばらしき自由時間を与えられたにも関わらず、一日布団の中で眠っていた方が休日らしいのではとだらだらする自分にあきれつつ、けれど、どれだけ今日という日を楽しみにしていていたのか知っているのも自分。

休日のありがたみは、お弁当をつくらないこと、家族の朝ご飯の準備をしなくてもいいこと。まだ娘が中学生だから、だけど。

朝の電車はほぼ満席。時々うたたねしながら、1時間ちょっと。

今回の会場は駅すぐ近くなのがありがたい。

受付時間を待ち、受付を済ませ、会場へ。

誰も知っている人はいないけれど、文学というものに親和をもっている人達ばかりなのは伝わってくる。リラックス。

学校長の古川日出男さんの挨拶は腹の底まで響く。

「あ」を空気中になぞる。「あ」からはじまった。

どこかで、挨拶なんて、参加者に阿るものだと思っていた自分に渇が入った。ありがたや。

今回の講師で唯一、前知識のなかったのが華雪さん。肉声のふるえが、今回のテーマと重なる。

 

ただようまなびやという文学の学校が開催されていることは今年初めてtwitterで知った。豊崎さんのツイートからだったと思う。受付日をメモし、受付当日数分後に申込みをした。レアード・ハントさんの講義はそのときすでに満席。

でも、私が一番参加したかったのは豊崎さんのレクチャー。豊崎さんの肉声を初めて聞く事ができると思うと今日が楽しみでならなかった。

「深くゆっくり読む」この事を何度も仰っていた。311以後、速読が以前ほどできなくなり、一文一文をしつこく繰り返し読むようになっていた。おかげで、細部の豊穣さを味わえるようになっていたのだ。小説は斜め読みに向かないと豊崎さんはいう。フォトリーディングにも向かない。その通り。311で得たものもあるのだ。

一方的な声を聞いているだけにも関わらず、ずっと豊崎さんの言葉に信頼をおいてきた。だからこそ、肉声を聞きたく、今回はそれがいちばんうれしかった。ついつい検証してしまいたくなるのだ。自分の信じたものがその通りだったのか。

豊崎さんの言葉には嘘がなく、愛情がある。だから信頼がおける。個人的な言葉を交わさずとも、今回の肉声でそれが実感できた。

深くゆっくり読む。その先の喜びのために。100年後の文学を楽しむために。

 

次はワークショップ。

華雪さんと古川さんのコラボ(?)。古川さんの朗読と華雪さんの書。色白の華雪さんが朗読がはじまり、自分の最初の一筆をおろす時には顔が赤くなっている。ものすごく生身を感じる。途中から古川さんの声を聞くのをやめて、目の前の華雪さんに集中した。筆、墨。文字が躍動する。はぁ。

その後、書をみていたか、朗読を聞いていたかで2つに別れて私は書のグループに。隣の朗読の声が耳に入ると自分のもつ筆の文字に何かが入る。音がなくなると、それはそれですっきりと書ける。どちらの感覚もおもしろい。「あ」を書いた。「あ」から始まったから。

 

 

これを書いたのは豊崎さんからの受講生へのアドバイスからなのだが、明日のために今日はここまでとする。不完全なのは承知。すまぬ。







2015.11.23

図ると測る

高校生ボーズとおもしろいセミナーを受講しました。

地元大学の文化研究センターによる公開セミナー
「学校生活の質の向上をはかる」

集団づくりを通した学校生活の質の向上とその効果について、
基調講演と、出席者による意見交換を通して検討します。

という文言に惹かれての参加申込み。

寮生活を送っているボーズ君の話を聞くだに、
集団生活についていろいろ考えることが増えました。

それは彼も同じらしく、
即答でOK。

参加者の中でリアル高校生は彼ひとり。
また、教職じゃない大人も私ひとりだった感じ。

セミナータイトルの
「はかる」はあえてひらがな。

「図る」と「測る」の両方の側面から語っていただきました。
おもしろかったのは、「測る」の方。

QUシステムの第一人者の方が講師だったので、
参加者にもその診断システムを使わせていただき、
そこから読み取るものがぴったりなのに、
息子とふたりでなるほど!と。

「学校生活の質」とは、学校における、「生活と環境」、「他者との関係」、「自分について」の認識であり、学校生活が快適であるかどうかの基準となるもの。

それを測るために、領域毎の意欲をみていくのですが、
彼のように、集団生活に強いストレスをもっていても、
進路意識が強いと、おもしろい結果がでてくる。

残念なことに、
教師側からのアプローチがないと
生徒側から質の向上を高めるのは難しいこと。

けれど、
このセミナーに参加したことで、
ソーシャル・スキルはものすごく高められていることがわかったことは、
息子にとってよかったみたいです。

私にとっても、納得、安心できる要素がみえたのは、
大きな収穫でした。

学校での学びは生きていく力になる、
と仰る講師の先生の話には本当にそうだと思います。

しかしながら、生徒よりも教員の意識の改善が必要であることも事実。


帰宅して、娘にもQUテストを試したところ、
とてもがっかり、しかし納得の結果。



どの仕事もいまはいそがしくなっているのが現実。
でも、シンプルに愛情をもって生徒に対峙して欲しいと
切に願うばかりです。










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