季節のたより

 今日の新聞で紹介されていた句は

 白玉や子等(こら)の喜ぶことをせむ
              西村和子

 冷たい白玉が夏の季語だそう。
 解説の“大人の願いをせんじつめれば、「子等の喜ぶことをせむ」であろう”に共感。

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春たけなわ

この絵本が好き! 2008年版 (2008)
別冊太陽編集部
平凡社 (2008/03)
売り上げランキング: 14019

 今日届いた「この絵本が好き!」で2007年の絵本ベスト23冊が発表されています。なるほど今年のラインナップはこうなったかと、ふむふむと読みふけりました。

 そしてこの号でも石井桃子さんの作品世界についての特集が。アーサー・ビナードさんがミルン自伝の『いまからでは遅すぎる』(岩波書店)を訳されたときに“家庭教師”をつとめることになった経緯などを書かれ、その自伝をはさんで語り合った様子がすてきに紹介され、ロバート・ブラウニングの詩を引用しています。この詩にある幸福感をアーサー・ビナードさんが丁寧に言葉にされていました。

    ピッパのうた
一年の内で今ちょうど春たけなわ
一日の内でちょうど澄みきった朝
朝のなかでも今ちょうど七時だ。
丘の草はみな露の真珠に飾られ、
ヒバリは空高く飛び、いばらを
カタツムリが這ってゆく。
神は天に座して、この世に
なんら不足はないのだ。

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季節のたより

 昨日はゆっくり新聞を読めず、今日、昨日の新聞を読んだ。
 楽しみに読んでいる「季節のたより」(坪内稔典)で紹介されていたのは、1928年生まれの作者の句。

早春に買う水色の旅鞄

 きれいな色が見えるような句。
 あわせて紹介されていた句もすてき。「軽快で愉快な句を得意とする」作者と紹介されているが、いつか句集も読んでみたい。

老犬の目玉を洗う余寒かな

焼きたてのアンパン抱え春の丘

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やあ

ちいさいころ
しあわせになることが夢だった、
とおもっていた

けれど
しあわせとは
なかなかやっかいなものだと

やさしくもなく
むずかしいともいえない

けれど、
なかなか
やあ、きみはしあわせかい
やあ、おかげさまで
といえるには、
いましばらくの
精進がひつようみたいだ

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季節のたより

 新聞に載っている季節のたよりをよく読むようになったこのごろ。
 今日の句はこちらです。

 ホラそこに春がたってる舌出して
     ―― 八木 忠栄

 坪内稔典さんが選んでいるもので、寒い日に載っていたこの句も好きです。

 新聞と文庫とラジオ冬日和
     ―― 藪ノ内 君代

 毎日読んでいると、へえと思う季語もあり、明日の新聞がポストに入るのをいつも楽しみにしています。

 選者、坪内稔典さんが代表をしている俳句グループの「俳句e船団」ホームページ[Link]

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休みなされ

 昨夜はつれあいと詩談義。宮沢賢治の「春と修羅」、中原中也の『心のダイヴァー』を互いに読んだりしながら、中原中也の鋭い言葉にほれぼれする。この人は本当に天から才能をもらった人なのだな。

 たくさんの詩が入った本よりも、選ばれたアンソロジーで読む方が詩がうもれなくて楽しめるとつれあいはいい、なるほどなと思う。どんどん読みたくて全詩集を欲しくもなるけれど、自分に近づいてくる詩はその中でもわずかなのだ。『荒地の恋』の余韻で、北村太郎の詩も読み返しているのだけれど、あんなに好きだったレモンの詩がいまはそれほど心を動かされなくなっている。なるほどなあ。

(休みなされ)

休みなされ、
臺所や便所の掃除こそ大事だなぞという教訓を、
お忘れなされ。

休みなされ、
ビンツケでもててゐるような髪ならば、
グサグサにしておしまひなされ

魂の嘆きを窒息させて、
せかせかと働きなさるからこそ、
やんがて姑根性をも發揮なさるのだ。

休みなされ、
放膽になりなされ、
大きい聲して歌ひなされ。

                  ――中原中也

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雪遊び

 お兄ちゃんたちは柔道の試合。留守番の私のちびちゃんで、雪遊び。公園に行き、誰かがつくったかまくらに入ったり、私は雪だるまをつくったり。しかし、ちびちゃんには、それは雪だるまではなく、てるてるぼうずみたいだよと言われる。確かに。

 スキーウェアを着て、ずでんと雪の上にねころがり、青空を見る幸せよ。

 『荒地の恋』読了。北村太郎は好きな詩人だけれど、その人の生きざまに興味をもったことはなかった。けれど、平穏な生活のあとにおとずれるミューズが詩作をすすませたというのは、よくわかり、切ない。キチガイという言葉にしみじみする。

朝の水が一滴、ほそい剃刀の
刃のうえに光って、落ちる――それが
一生というものか。残酷だ。
  ――「朝の鏡」/『北村太郎詩集』所収

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歳事唄

 一つ火鉢で

一つ火鉢で焼いた餅
二つふくふく福手餅
三つ見事な飾り餅
四つよごれた小豆餅
五つ隠居のかぶれ餅
六つむつまじ夫婦餅
七つななくさ雑煮餅
八つ野郎子に呉れる餅
九つ小僧にこぶし餅
十で殿様に上げる餅

『わらべうた 日本の伝承童謡』(町田嘉章・浅野建二編/岩波文庫)より

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静と動

わが生よ おまえに 明らかな輪郭など
求めはしまい とり澄ましたところで ものに憑かれたとて
わたしにとっては同じこと 不安におののくおまえの道程では
蜜も苦艾も おなじ味わいを 持つ

動きを すべて蔑む この心臓は
不意の驚愕に 砕け散ることも まず ない
田園の静寂には 時として
鳴りわたる 銃声が 一発

『イタリアの詩人たち』須賀敦子 エウジェニオ・モンターレの詩を引用

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金子光晴

   子と父

寝台のカンボチャ織りに
子はよこたわり、
タヂマハルの銅盆のうへで
父は紅茶をつぐ。

夜は更けた。
均衡の破れた時代を
厚ぼったいカーテンで障り、
世に、このへやだけには戦争をいれない。
子がさらはれるその火まで
たのしさよ。つづけ。みだされるな。

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雑誌「群像」10月号に掲載された「子と父」より抜粋。戦中未発表詩。

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まったく奇妙なもの

まったく奇妙なものだ、戦争というのは。
飲み屋でもし会ったら、喜んで何杯も
おごったり、金だって貸してやるような
そんな相手を、撃ち殺すのだから。

   Thomas Hardy "The Man He Killed" Arthur Binard 訳



 戦争を遠くから眺めている分には、明暗があるように見える。勝者と敗者がいて、勝ち負けの線引きができそうな感じだ。けれど、近づいて当事者に直に触れながら戦争を見ていくと、明暗じゃなくてすべて暗闇だと分かる。

   アーサー・ビナード Poetry Talks 27 「図書」9月号より

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ないしょ

 友人のブログでいい詩集を教わった。注文して届いたら、予想にたがわず美しいたたずまいの詩集で、ほくほくとうれしくなった。限定三百三十三部、私のは八十八。

『ないしょ』(伊藤茂次詩集/龜鳴屋)より

 運命

インスタントコーヒもなくなり
飴もなくなり
ビスケットははじめからなく
ある物は僕の肉体と
名前と淋しく呑気な
精神は苦労する
精神が無かったら死であろう
困ってもあったほうがいい
死んだ人間は痛いとも
すまないとも云わない
生きているから困った者になってしまったと
思い
それが普遍化して
困った人間だとなるのである
僕が小学生の頃義母は
海産物屋になりなさい
かならずもうかる
海産物屋には夏も冬もないから
僕は小学校しか出ていない
義母は活版屋になったら字を
覚えるから
字を覚えて偉くなった人がたくさんいる
本屋の店員、軍人になって偉くなった人もたくさんいる
 然しみんな死ぬのだ
小林秀雄が生き返って酒を飲んでる
とは聞いたことがない
本居宣長が生きているうちに
派手な葬送をしたらしいが
死んだ人間が俺は幸福だったと
生き返ったためしがない
欲望は
『欲望と云う名の電車』だけで充分だ
僕はでくの坊でいい

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乾き

短章集
永瀬 清子著
女性詩史再考
新井 豊美著

 のどが渇くように詩を読みたい時があるわと、私の先生は言い、美しい言葉を教えてくれます。私もむしょうに詩を読みたくなる時があります。昨日の新聞記事に永瀬清子さんの『短章集』(思潮社/詩の森文庫)が酒井佐忠氏による文章で紹介されていました。

「詩を書く理由」と題した短文では
〈植物の中を水が通るように――。
つまり植物の表面において水は乾くから、
植物は根から水を汲むポンプだから
だから私の中を詩が通る。〉
と書く。詩は水脈にほかならない。乾く作用と汲む力の両方がなければ詩は生まれない、と詩人は伝える。詩人の中には水を吸い上げるポンプが必要だし、また「心の渇き」を感受する繊細さが要求されている。

本棚から『永瀬清子詩集』(思潮社)を取り出し読む。最初に目にはいった詩。

外はいつしか

外はいつしか春のみずいろ
おもむろに樹々はひかりはじめ
雨も風も心をなごます
私にいるものが漸く来たのか
陽の傾斜のわずかな回復
これが私にそんなにいるのか
私の心の弱さかぼそさ
わがままにさえ私はねがう
よい時季(とき)よ私に来てくれ
よい友よ、私をたすけ起こせよ
かえらぬ過失や悔いを忘れしめ
つれなき行為を笑みもて受けしめ
苔の下をも黙してしのび
ああわが心を春のやさしさもてみたしめよ

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ななくさ なずな

ななくさ なずな とうどの とりが
にほんの くにへ わたらぬ さきへ

わらべうたかるたでこの歌を覚えたのは、もう何年も前です。
今日は七草。簡単に、冷凍の七草かゆセットを買っておいたものを解凍して、ごはんをいれてさっと煮立たせ、夕食前に食べました。

今日は子どもたちの柔道初試合。つれあいが付き添いです。上の子は一勝一敗。まんなかの子は二敗だったそうです。朝4時すぎには出ていくため、3時に起きて、お茶やおにぎりの準備をして、まっくらな中、出発を見送りました。家に入ると、ちびちゃんが起き出していて、びっくり。ふたりで、ゆずはちみつを飲んで、もう一眠りしました。

夕方、帰宅途中に電話をくれたのですが、「夕ご飯なに?」と2人とも聞いてきたのには笑ってしまいます。夕ご飯はシチュー。寒い一日のしめくくり。七草がゆを食べてから、シチューを食べてごちそうさま。

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真理

真理

噛みしめれば噛みしめるほど
この世は美しいものです と
リーダーに書いてあった
私は学校から
いつものようにはだしでかえった
ひからびた畑で
ごくつぶしのおじいさんがこっそり
ひからびた蕪を抜いていた
――噛みしめれば噛みしめるほど
   この世は美しいってほんとかい?
骨と皮だけのおじいさんは云った
――そのとおりだよ ジャック
そして歯のない口をあけて
蕪をかじった

   詩:天野忠 未刊詩集〈続・掌の上の灰〉より 

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新しいレンズ

図書」11月号より
アーサー・ビナード 鮭と星々と死者たちの向こうに、から

マーウィンの観察眼は鋭いだけでなく、常に人間の枠を超えた広がりを秘めている。ただし派手に人間をかなぐり捨てようとはせず、少しも力まずに、さり気ない比喩で読者に新しいレンズを与える。例えば"Separation"では、別離の悲哀を味わっている自分自身を、刺繍の針の目を通して見つめた。


 離れているとき

ここにあなたがいないことが、針に通した
糸のように、私の中を貫く。何をやるにも
その縫い目が増える。いないあなた色で。


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ブドー酒の日々

ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本空壜をのこすだけ。

『食卓一期一会』(長田弘/晶文社)より

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晴々する。

楽しみにしている「図書」の隔月連載、Poetry talks(アーサー・ビナード)。今月のお題は「初めての太平洋」

ジョン・キーツの"On First Looking into Chapman's Homer"(「チャップマンのホメロス訳に出会ったとき」)をアーサー・ビナード氏が訳されている。

黄金に輝く世界で、私は旅を重ねてきた。大国や王国をいくつも見知って、いまも詩神アポロに忠誠な詩人たちの領土たる西方の島々を、(中略)
しかし、その澄んだ悠遠な空気を吸い込んだことはなかった――
朗々と語るチャップマンの偉業にふれるまでは。――出会ったとき、それは

                  (c) Arthur Binard 「図書」岩波書店 2006年7月号より

 キーツが20歳の時に、生まれて初めてチャップマンのホメロス訳を読み、逸話によると一気にこのソネットを書き上げたとアーサー・ビナード氏が紹介している。しかし、学者の中には、チャップマンのホメロス訳を不正確だとなじる人もおり、ビナード氏はそういう人は、おそらくキーツのこのソネットにある歴史的ミスも取り上げるのではと推測している。そう、このソネットには、太平洋を初めて眺めた人物名が歴史的には違うとされている。  ビナード氏はキーツの間違いについてではなく、キーツの表現に目を向けさせてくれる。 なんと晴々する言葉だろう。

キーツが表現しようとしているのは、未知のものに心を動かされたときの個人的な発見だ。そういう意味では、太平洋の発見は何度でも。

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非日常性

二羽の白い鳩が
小さな部屋の窓に
度々 現れる
その都度 僕のペン先から
一つの危険なコトバが
滴ろうとした

ボヤンヒシグ『懐情の原形』、「非日常性」より

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詩の現場作業員

「図書」5月号届く
楽しみはアーサー・ビナード氏によるPoetry Talks

今回とりあげられているのは、ジョージ・オッペン(George Oppen)

オッペンの作品の骨組みは、言葉というよりも物でできている。家を建てるように詩を作る。建設現場を書いた詩もある。

ここで取り上げられた詩の抜粋をば。訳詩はもちろんアーサー・ビナード氏によるもの。

The Building of the Skyscraper

There are words that mean nothing
But there is something to mean.
Not a declaration which is truth
But a thing
Which is. It is the business of the poet
"To suffer the things of the word
And to speak them and himself out."

言葉が意味をなさなくなろうとも、
言わなければならないことがある。
もっともらしい真理の宣言ではなく、
そこにある
事物だ。詩人の仕事は
「この世にある事物を受け止め、自身も
含めて、それらを言い放つ」。

 

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孔雀のパイ

馬でゆく人

 ひずめのおとをきいた
 馬に乗った人が 丘を越えていった
 月は冴え 夜は静か
 そのかぶとは銀
 かんばせは青白く
 その人を乗せた馬は
 象牙の白だった

 

『孔雀のパイ』(ウォルター・デ・ラ・メア詩/まさきるりこ訳/瑞雲舎)より

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とげ抜き

▼雑誌「群像」2月号から連載がはじまっている、伊藤比呂美氏による、長編詩がすごくいい。たらたらたらりと、親の介護、一時帰国で子どもを小学校に通学させていること、などが現実的に暗くなく語られている。カリフォルニアで入院している夫と電話でとある約束をするのだが、ものすごく強い念のこもった誓約。でも、そのそれぞれの言葉が悲観的でない。育児エッセイから読み始め、いま親子の介護を読むことで、これまでの時間の経過を感じました。長編詩タイトルは「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」

ちっちゃな石の胸や腹。
きよらかな水をかけながら。
苦を。
ごしごしと洗い流そう。

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七草なずな

七草 なァずな
菜切り包丁 まァな板
唐土の鳥が
日本の国へ渡らぬ先に
合わせて バッタバタ

warabe わらべうた
  日本の伝承童謡
   町田嘉章・浅野建二編
   (岩波文庫)

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われわれの時間

一日で、いちばんいいのは
宵の時間じゃないか? いいのに、
それほどは愛されていない時間。聖なる
休息の、ほんの少しまえに来る時間だ。
仕事はまだ熱気にあふれ、
通りには人の波がうねっている。
四角い家並のうえには、
うっすらと月が、穏やかな
空に、やっと見えるか、見えないか。
その時間には、田園をあとにして、
おまえにいとしい街を愉しもうではないか。
光に映える入り梅と、端正に
まとまった容姿の山々の街を。
満ちたりたぼくの人生が、
川が究極の海にそそぐように、流れる時間。
そして、ぼくの想い、足早に歩く
群衆、高い階段のてっぺんにいる兵士、
がらがらと行く荷車に、駆けだして
跳び乗る少年。そのすべてが、ふと
静止するかに見えて。これら生の営みが、みな
不動のなかにたゆたうかに見えて。

偉大な時間、収穫をはじめたわれわれの
年齢に、よりそっている時間。

オンライン書店ビーケーワン:ウンベルト・サバ詩集

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ゆくとし くるとし

びをもれるすなのように
ずれさっていったつきひよ
きのくるまは
ずかにめぐり

たかけのひとこえ
びいのとさかふるわせて
こしえにかわらぬ
んねんの ごあいさつ

           

矢川澄子・詩「はる なつ あき ふゆ」(福音館書店)より

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うたの心に生きた人々

オンライン書店ビーケーワン:貘さんがゆく オンライン書店ビーケーワン:個人のたたかい

『うたの心に生きた人々』は1967年にさ・え・ら書房で刊行されたあと、1994年にちくま文庫に収録。1999年に童話屋から分冊で刊行されています。最初の形では、与謝野晶子、高村光太郎、山之口貘、金子光晴の詩人像が描かれているので、分冊ではなく1冊の形で読みたいと、ちくま文庫版を古書で入手し読みました。詩人である茨木のり子さんにとって、初めての書き下ろし作品だったとあとがきで書かれています。書かれた当時、存命だったのは金子光晴氏のみ。私は氏の『若葉のうた』がとても好きなのですが、ここに書かれている詩人のなんと破天荒なこと!

 若いころはヨーロッパ・東南アジアをさまよい歩き、太平洋戦争中は、信念をつらぬきとおしてすぐれた反戦詩を書きつづけた詩人。

茨木さんは上のように金子氏を紹介しています。莫大な遺産を相続したあと、惜しげもなく鉱山にかけて大損したり、親族の借金に使われたりとさんざんなのですが、骨董商に誘われてヨーロッパへ行き、ベルギーに滞在して原書で詩集を読破してゆくさまが後の詩人に大きな影響を与えていること、結婚後の貧乏海外旅行の様子など、たくましさとスケールの大きさに感嘆しました。

 山之口貘氏の生涯もすごい。これを読むと山之口貘の詩をむしょうに読みたくなります。ちくま文庫で刊行される時には、学生時代にこのさ・え・ら書房版を愛読された方が編集を担当されたそうで、これを読んで山之口貘と金子光晴の詩を好きになったそうです。その気持ちがよくわかります。

 生涯、貧乏神をふりはらうことができず、借金にせめたてられながらも心はいつも王さまのようにゆうゆうと生きぬいた愛すべき詩人。


 博学と無学

  あれを読んだか
  これを読んだかと
  さんざん無学にされてしまった揚句
  ぼくはその人にいった
  しかしヴァレリーさんでも
  ぼくのなんぞ
  読んでない筈だ

詩人の伝記では『我が愛する詩人の伝記』(室生犀星著・中公文庫)もおもしろいです。こちらは北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎、堀辰雄ほか11名の詩人について書かれています。

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おちばたき

おきなは ちいさなは
ってくるふってくる
らばらとまたひとしきり
ちのぼるけむりのかなた
ぎのこずえにすけるそら

           矢川澄子『はる なつ あき ふゆ』(福音館書店)より

福音館版は入手できませんが、現在は『矢川澄子作品集成』で読めるようです。
ひらやまえいぞうさんの絵もついているのかしら。(追記:ついていないと教えていただきました)

オンライン書店ビーケーワン:矢川澄子作品集成
簡潔なひらがなの四季を読みたくなるとこの詩集をひらきます。

お隣のクーちゃんが覚めない眠りについた。早朝だったらしい。白いシーツをかけて犬小屋の近くで、そして桜の木の下で横になっていた。少し明るいお花をおくり、クーちゃんの近くに置いてもらった。高齢だったが昨夜までふつうに食事もすべて食べ、まったく兆候はなかったという。子どもらと一緒に手をあわせた。

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民話と詩

                         
      

In the folktale--perhaps for the first time-the world finds poetic expression.

      

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愛情によせて

『詩集 若葉のうた』(金子光晴 勁草書房)を読んでいて目にとまった詩。
「一対 ―― 小山哲之輔におくる。」より

 愛情とは、からだとからだをよせて
さむさをあたためあふことなのだ。

 それ以上のなにごとでなくても、
それだけでも充分すぎるではないか。

最後の部分を引用している。この詩集はほとんどが、金子光晴氏の孫娘、若葉さんへの愛情あふれる詩集だ。その中で「愛情によせて」というところで、上記に引用した詩を含め4つ収録されている。「一対」は、50年つれそった夫婦を書いている。しみじみと読み返す。

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読む前に

ロシアは広くて美しい北の国です。
ロシア人は、むかしから歌や詩が大好きな国民でした。
けれどもロシア人は、けっして、むかしから、のどかな、楽な生活をしていたわけではありません。
いずれの国でも、詩人は、一般の人々の気づかないこと、あるいは、見過ごしていることに、深くきびしい注意の目を向けるものです。

これは、さ・え・ら書房から刊行された『世界の詩 ロシア・ソビエト』という、子ども向けにつくられたアンソロジーに掲載された「この本を読むまえに」の文章、おのおのの段落一文目を抜きだしたものです。このアンソロジーは子ども向けに編まれたなかでも、ことのほか好きで一番近くにおいて、よくとりだしています。

人々

 〈レオニード・マルトゥイノフ〉

 人々は
 たいてい
 ほんのすこし ほしがり、
 しかも他人にやるのは とてもたくさん。

 人々は
 たくさんのことを がまんする。
 やるとなれば 歩調もそろえて歩くし、
 疲れても平気 ろくに食べもしない。

 しかし もし炸裂に炸裂がつづけば、
 この地獄には 嫌気がさしてしまう
 いちばんがまんづよい人さえも。

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ボヤンヒシグさんからの返信

                         
オンライン書店ビーケーワン:懐情の原形オンライン書店ビーケーワン:わたしはモンゴル人

4月20日にポストしたボヤンヒシグさんの記事に、ボヤンヒシグさんご本人からコメントをいただきました、うれしいです! いまは北京に住まわれ、8年住んだ日本のことをよく思い出すとのこと。
そうか、いまは北京なのですね。北京ではどんな詩を書かれているのでしょうか。また、ボヤンヒシグさんの文章や詩を読みたいです。
現在『懐情の原形』はブッキングからも、ユニバーサルブックとして、文字サイズを選んで注文できる本になっているようです。

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ボヤンさん

5年前、参加していたニフのpatioで教えてもらった詩人のボヤン・ヒシグさん。直接会ったという、やっぱり詩つながりのネット友人が、放物線のような詩を書く人がいて、立派な体をしているのでモンゴル相撲やってたでしょうと問いかけると高校の時にやっていたと応えてくれた話をpatioに書かれていました。久しぶりに読み返した『懐情の原形』(英治出版)、ボヤンさんはいまはどこにいるのかしら。そして、私は5年前と同じように、モンゴルで、今も手紙のことをプレゼントという地域があるというくだりはやっぱりいいなと思ったのでした。ボヤンさんの詩の話題になった時、やっぱりキレのある詩を書くには体を鍛えなくちゃねという話も出たことを思い出し、めっきり体力が落ちている自分を省みて、せめて室内でできる腹筋とかしなくちゃと思ったりも。英治出版サイトではメールアドレスを登録すると立ち読みも可。

故里

地図で探せば
故里は一滴の涙

泣かないで
と母から手紙がくる
それを読みながら
私は泣く

涸れることのないその涙は
ノスタルジアを
温かく潤してくれる

故里は地図の上から
涙の目で私をみつめている
永遠の青空を大きくするため
私は故里を遠く
離れている

懐情の原形
ボヤンヒシグ

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夕ご飯と詩ひとつ

昨日は「きょうの料理」からマロンレシピでちーずおやきと豆乳みそ汁をつくった。豆乳はいま、焼酎割で使うので、冷蔵庫に入っている。なので、このレシピを思い立ったのだが、つれあいは「まずい」と一言。子どもたちは、コーンが入っていて、コーンクリームスープとして「おいしい」とぺろりと食べてくれた。つれあいは豆乳の味が好みでないらしく、焼酎割も決して試そうとしない。
今日は、大豆とトマトのチーズグラタンをつくってみた。子どもたちはチーズがとろけている料理が大好きで、主にチーズをとりあって食べていた。ほかは、茎たち菜のおひたしに(今回はポン酢で味付け)に、おみそ汁(豆腐とわかめ)、五分つきごはん。思いたって、先日教えてもらった長いものチーズ焼きの大根バージョンでつくってみた。やはり長いもの方がしゃきしゃき感があっておいしい。大根は下ゆでせずに、少し薄めの輪切りにしてみたのだが、つれあいは、まぁ甘みは感じていいんじゃないと、なぐさめて(?)くれた。

今日届いた「図書」に連載されているアーサー・ビナード氏紹介の詩。もう一つのもおもしろかったのだけど、とりあえずこちらを引用。

履歴書
ドルシー・パーカー

剃刀は痛いし、
川の水は冷たい、
服毒だと見苦しくなるし、
麻薬だと胃が差し込む。
拳銃を使えば法に触れるし、
縄は切れるかもしれない、
ガスの臭いはむかむかするから
いっそのこと
生きるほうがましかも。

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フウの眼はきれいだつた。
リオ。
おまえの眼もきれいだ。
Nile-blue のなかに光るblue-black。

オレはもう一杯。
オールドパアに。
雪を沈める。

註:フウ(カラス猫)
リオ(シャム猫)

草野心平は好きな詩人のひとりで、この詩はつれあいから教えてもらった、いまでは私も好きな詩。

いま、読んでいるのは、この草野氏の『酒味酒菜』(ゆまにて出版)。
彼が居酒屋もやっていたことを、この本で知る。とはいえ、このことは、家の本棚にある詩集にも書かれていることで、単に私が気づいていなかっただけ。好きな肴やゲテモノの話が延々とつらねてあるこの本は、「栄養と愛と実験、それらはやはり料理というものを進展させる要素だから」というような、しびれてしまう文章もたくさんあって、ゆっくりゆっくり読んでいる。たけの子について、「塩ゆでしてフレンチドレッシングなんかをかけたのもいただける」というくだりがあったので、さっそくまねしてみた。先日料理に使って冷蔵庫に残っていた、たけの子、芹、油あげをオルチョと塩でさっと炒め、フレンチドレッシングをかけて食べる。これがなかなかいけて、子どもにも好評。ほかは五分つきごはん、かぶと油あげのおみそ汁、鮭の糀づけを焼いたもの。

今日は子どもの柔道の大会で、我が家も2人出場した。寒いこの時期に行われる大会は、今年で49回めを迎えるそうだが、私たちには初めて。一番下のクラスは4人しかでていないので、負けはしたものの3位の賞状をもらえた。上の子もやっぱり負けてしまい、賞状をもらえず。そして、負けたその時ではなく、弟の賞状を見て、ぼろぼろ泣いていた。小学校低学年の子、特に男の子は負けると、ぼろぼろ泣いている。判定負けした子は、その旗があげられた瞬間、嗚咽が聞こえてくるほどだった。個人戦で幼児から高校生まであったのだが、高校生クラスになると、体も大きくなり試合も迫力を増す。最後の男子2試合はすごい気合いで、練習中からオーラを出していた2人が勝った。とてもいい試合で、私もつれあいも、「すごいなぁ」と興奮を分かち合った。

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泣く

泣いているときに電話が鳴って
眼の下を涙で濡らしたまま
相手の冗談に私は笑った

泣いた理由は通俗的な小説の通俗的な一行で
だが泣けるということに私は救われ
そのせいで笑ったのかもしれない

笑って電話を切ったあと煙草に火をつけ
私は自分の感情について考えた
それを何と名づけることができるのかと

結局名づけようはなかったのだ
窓の外で木枯らしがうなりをあげ
私はもうどんな季語ももっていない

私をしばる制度の中で
感情は出口を見失い
そのすべてが怒りに似てくるが

それすらも私のものかどうか定かではない
眼の下はとうに乾き
やみくもに生きている事実だけが残っている

谷川俊太郎『日々の地図』(集英社)より

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To Kaijyuu

  3歩の距離が遠いのは


背を向けて語れ
僕らは決して近づかない

耳だって前を向いているんだぜ


by R
90/01/05

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ヘッセ

つれあいにも、詩とユーモアを読んでもらったら、このユーモア論とつながるならこれだろうとヘッセの詩を差し出してきた。ディキンスンの詩にはユーモアはないよと彼は言う。

小さい少年

しかられたけれど、
ぼくはだまりこくっている。
泣きながら眠ってしまうが、
目をさますと、元気になっている。

しかられたけれど、ちびと言われるけれど、
ぼくはもう泣きはしない。
笑いながら眠ってやる。

おとなは死んで行く。
おじさんも、おじいさんも。
だが、ぼくは、ぼくは
いつも、いつも、ここにいる。
(高橋健二訳 白鳳社 ヘッセ詩集より)

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詩とユーモア

文學界」6月号、田口犬男のエセーがよかった。

世の中には、詩が分かるひとと分からないひとがいるおいう言い方があるけれど、いったいそれは本当なのだろうか。
というくだりではじまり、「詩」を「ユーモア」という言葉におきかえてみてはどうだろうと。フロイトのユーモア論をひきながら、このユーモア論とまっすぐつながっているように見えると、エミリー・ディキンスンの詩を紹介している。
わたしは思う この世ははかなく
苦悩がさけがたく
痛手に満ちていると
だがそんなことが何だろう

わたしは思う わたしたちはやがて死に
どんなに若々しい生命も
やはり死にはかてないと
だがそんなことが何だろう

わたしは思う 天国では
とにかくすべてが公平にされ
何らかの新しい配分にあずかると
だがそんなことが何だろう
(新倉俊一訳)


田口氏は、この死を読むと何だか解放的な気分になるではないかと書いている。
それから話は某絵本ではないが、カエルが空からふってくる話に変わる。
今日はこの文章に触発され、ぱらぱらと家にあるディキンスンの詩集を読んだ。

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Rさんの詩

一日からの贈り物


夜は深まり。
あなたを一人にする。
寂しくもない。
悲しくもない。
あなたを一人にする。

穏やかな夜が子守歌。
あなたの精一杯が報われて。
不安は拭われ、
いたたまれない想いは去り、
柔らかく温かい、

煩わされ無い心が自由になる。

   清浄で慎ましやかな夜にはベールに包まれる。
      ベールがあなたに静寂をもたらす。
   静寂はあなたにあなた自身を取り戻させる。
      あなたは世界中でただ一人のあなたであり、
         快いばかりのこの贈り物は、
           あなたに届けられた物だ。


           おやすみなさい。

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詩集

数年前に「なにかオススメの詩集はありませんか」と、とある人に聞いて教えていただいたのが『モー将軍』。
税別2200円という詩集を何かでもらった図書券と現金で買い求め、つれあいにもみせると「いい買い物だね」と言ってくれた。帯にもあるように「あとがき」で詩人はこう言っている。

司馬遼太郎さんがどこかで、幕末までの日本には「絶望」という言葉がなかった。だからひとびとは「絶望」というかわりに、「困った」と言っていたと書いています。

詩人は、この詩集を読んで「困った」という呟きを聴きとってほしいと願っているようです。が、しごくまっとうな正当派の詩集を読むと、「困った」よりは「うーん、いい」という呟きが読み手の私やつれあいからこぼれでます。

モー将軍 まず始めに記しておきたいのは
あなたが草を食むときのあんなに優雅な顎のこなし
首筋に一本優れた幹のような頸動脈があらわになって
あなたがゆっくりゆっくりと咀嚼するたびにぼくたちは
地球が回っていることの確かな手応えを感じたものです

『モー将軍』より「モー将軍」一部引用

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冬の晩方

静かにしてゐると
幽遠な冬がいちどに下りて来るやうだ
人家のあたりに今まで騒いでゐた子供等の
その声や歌がはたと止んで
まるで蓋をしたやうに
地上は暗くなつてしまつた
ぞくぞくした寒さだ
針のやうに顫えてゐる空気だ
氷がみしみし張りつめられてゐるやうだ
障子が藍色にみえる
電燈の下で本をひろげて
読みかからうとして
ふいと静かなあたりをふりかへる
寒さは人の耳を澄まさしてくる
だれも来ない
からだがある一点に
実に微妙なある一点にぢつとしてゐる

『室生犀星詩集』より「冬の晩方」 浅野晃編 白鳳社

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フウの眼はきれいだった。
リオ。
お前の眼もきれいだ。
Nile-blueのなかに光るblue-black。

オレはもう一杯。
オールドパアに。
雪を沈める。

註・フウ(カラス猫)
  リオ(シャム猫)

     (草野心平詩集・現代詩文庫・思潮社より)