年が明けました。
今年は
1,力まない
2,いままでと違う選択をときどきしてみる
この2つを意識したいと思います。
新年のお酒は「山の井」の非売品日本酒。幽天。
公式インスタでの説明によると
幽天は、「冬の空模様」という言葉です。
南会津の寒い空の下で造ったという想いを込めました。
と書いてありました。
ラベルも100年以上前に使用していたものの復刻で、とてもかっこいい。
販売されている「幽天」との違いは絞りだそうです。
一滴一滴、圧力をなにもかけずに落ちてきたお酒。
家族でいただけてよかった。今年のお正月はおいしい日本酒をたくさん飲めました。
よい年になりそうです。
10年ぶりに磐梯山に登った。
仕事で部分的に関わることになり、その場に行ってみたかったことや、磐梯山の写真をよくあげているブログを読んでいることや、知人の8年前ほどの写真を久しぶりにみて、青空の頂上をみてみたくなったことが理由。
結論からいうと、頂上だけガスがかかっていて、青空の映える写真は撮れなかった。
けれど、10年前には登る行為だけで精一杯だったのが、今回はブナ林の美しさや、山の花の可憐さ、弘法の清水のおいしさを堪能できたのがうれしかった。
磐梯山とて、片道3時間近く私はかかってしまうので、体力もなく筋力もないとかなりきついはきついのです。
今回の筋肉痛は一週間。あまりの痛みと疲れからなのか、10年ぶりにヘルペスも発症。まだ膝の違和感が残っている。
帰りの降り道で、ご一緒した74歳と64歳のご夫婦。男性は女性を待つことなく、スタスタと歩き、私の後ろについていた。後ろに人がいるとあせるので、お先にどうぞと言ったのだが、その人はこのペースがちょうどいいといいながらずっと後ろを歩いていた。思うに、私のへっペリ腰の歩き方を心配してついてくれていたのではないだろうか。前はつれあいが歩いていたが、私は自分の足元をみるのに精一杯で、頭に血がさがってきて、顔が真っ赤になっていた。
ご夫婦のおくさまの方は足がつっていたそうで、後ろを歩いていたが、結局私を追い抜いて少し先を歩いてくれた。
分岐点では待っていてくれ、さよならと挨拶をした。彼らはこれから4キロ以上歩いて戻るのだ。
我らは1キロちょっと。それでも1時間はかかるだろうとのことだった。
その年齢でスタスタ歩けるのをうらやましがると、慣れですよといわれた。
本当だろうか。
それを確かめたくて、もう二度と登らないといっていた山にまた登りたくなっている。
新しい年になりました。
雪のないお正月。
1月1日夕方に能登半島地震が起きた。離れたここ東北の地も揺れた。寒い時期なので、あたたかいところで、ときどき深呼吸ができていますように。復興が早くすすみますように、あったかいお風呂に入れますように。
NHKのアナウンサーの絶叫をしばらく聞いていた。必要な声だった。
さて、このブログをどうしようかと思いつつ、古いものなので、残すことにして、では何を書いていこうか。
いまは、Ameba Ownのサイトで、なんと3つのサイトを更新している。
どうやったら更新できるのかを考えて、いまのところ、続いている。
写真との相性がよく、散歩に行くモチベーションにもなっている。
今日のいいことを書くのも自分のネガティブ払拭一助になっている。
今日のいいこと。
散歩が楽しかった。いい写真が撮れた。
セブンで買った麻婆チャーハンがおいしかった。
なにより、一日リラックスできた。
mmm.pageという気軽に自分のサイトがつくれるサービスを利用しはじめました。
新しもの好きでこのサービスは少し前に知ったときに、すぐに1ページのみつくっていたのだけど、先週つくりはじめたら、おもしろくなって、無料でつくれる最大5ページまでつくってしまい、勢いづいて、Notionでアーカイブページまでもつくってしまいましたよ。
コードとか何もつかわずに、webやスマホ上でのせたいものをぺたぺたとコピペしているうちに、かわいいフォントもつかえて形になっていくのです。
気が向いたらのぞいてみてください。
ランチタイムのお寿司やさんで、ちらし寿司を食べました。
野球好きの大将だと思われ、店内には甲子園の球児の写真がいっぱいありました。
ちらし寿司をお願いすると、大盛りにするかい?と大将に聞かれ、お寿司やさんで初めて聞く「大盛り」にびっくり。
若い子たちは、おにぎりみたいな握りを食べるんだよ。ちらしも大盛りできるよと。
一緒に入った人は「じゃ、若くないけど、ひとつ大盛りで」とお願いしました。
私はふつう。写真はふつうのちらし寿司。
大盛りは加算なし。ぽっきり800円(税込)
先付けは「揚げなす」。味がしっかりしていて白いご飯にあいそう。
お味噌汁はエビの頭が入っています。
つまり何もかもおいしく完璧だったということ。
ごちそうさまでした。
こだわりを強くもっていたことのひとつに「食」がある。
「食」にからんだ仕事をしていた時は、体によいものについてまるで宗教のようにあがめていた時が長くあった。
「食」にこだわることは悪いことではないと今もそれは思う。
小さい頃は、50代半ばの年頃だとわかってもらえると思うが、「コーラを飲むと歯がとける」だの迷信めいた物言いでコーラを飲むことはなかった。中学校にあがるまで袋麺もカップ麺も食べたことはなかった。
子どもをもった時は「食」の沼にハマる。いい食事、手作り、添加物のない食の世界。
それも悪くはなかったと思う。班をつくって共同購入していた牛乳、肉、働いていたからこそできたお金のかけ方だった。
子どもたち3人が成人し、いろんなことから自由になっている。
休日に仕事をするのもやめた。
休日は休日になった。
行きたいところに行ってみる。気になったお店で外食をする。
いつだって人生は辻褄があうので、いまは好きなことをする辻褄合わせの時なんだと思う。
共同購入をメインにしていたので、スーパーで買い物をすることもほとんどなかったけれど、いまはスーパーメイン。
行きつけていないスーパーに行くのがおもしろい。
しかし、コロナですっかり世界は狭くなり、隣の大きな町に行くのも勇気が必要になってきて、自分に唖然とする。
まして東京なんて外国なみに遠く感じる。
写真は滅多に行かないスーパーで売っていたバーベキュー用の鮎。
他にもエビとか帆立とか、どれも美味しそうだった。
スーパーのお客は少なく、3連休の最終日で天気もまずまずだけれど、バーベキュー用の食材はそれほどはけていない。
店内には、録音された声で今日の海の日におすすめ商品をうたっている。
トマトが安かったので購入。あと、疲労にきくと書いてあったのにひかれて陶陶酒も。
疲労と体力が課題の年頃です。
健康的な毎日。朝は6時に起きて、今日などは、近くの公園に散歩にも行ってみた。
アウトドア用に、帽子を新調。MOVING BAGなるものも購入。ワークマンでお手頃価格のアノラックパーカーも入手。子育てが終わり、自分にこんな買い物ができる日がくるなんて、と感慨深い。
ということで、アウトドアチックに朝の散歩。天気がいいと朝から青空の青が濃い。まだ人も少なく、空気がひんやり心地よい。今日の気温は上がる予報なので、このくらいに歩けるのはいい。
遊具をみていると懐かしい。子育てをしていた時がつい最近のように感じる。小さい子をみると、いいなあとすら思えてくる。
スマホのカメラのおかげで、気軽に写真撮影ができるのも楽しい。
なんといってもいまは新緑がきれい。
歩数にして3200歩ほど。多くはないけれど、朝いちにしてはまぁまぁ。
今日も楽しい一日になりそうです。
生古川さんを見る、聞くのを楽しみに参加申込みしていたのですが、世の中のまん延防止など重点措置等の期間に相当してしまい、あえなくオンラインに。オンラインで参加するのにもずいぶん慣れたけれども、生じゃないと、つい眠くなってしまい、敬遠しがちなのも正直ある。
2015年に参加した「ただようまなびや」に参加して以来、学校長をしていた古川さんに注目するようになった。「ただようまなびや」も豊崎由美さんの講座目当てのところはあったのだけど、参加したらどれも心に深く深く残るものとなり、柴田元幸さんや古川さんの朗読はまだ体の中に残っている。
あれから7年たったのか。
今回のオンラインの最後にチャットで質問をしてみた。いろいろ講演を聴いてきたけれど、質問をしたのは、今回がはじめてだった。古川さんに何か伝えたかった。なので、ただようまなびやに参加した者だと自己紹介を書いた。あの時の2日間がいまも自分の中にあると。もしよければ、いまおすすめの文学を教えてほしいという質問はスルーされたけれど、和合さんは的確にただようまなびやについて、古川さんに問いかけてくださった。震災以降、幾度か行っていた「ただようまなびや」に私は最後の年のみ参加したのだった。講師の方々はノーギャラで参加していたこと。ただ、あれを続けることは、いつまでも震災をひきずることだとも言われていたこと。お金もかかること。当面は休校という気持ちでいること。それだけ聞けてすごくうれしかった。お金はかかるだろう。あれだけの講師の方々を2日間招くのだ。ノーギャラとはいえ、交通費や宿泊費はもたなくてはいけないだろうし、会場費もそれなりにかかっているはずだ。あの時は震災の助成金か何かがあったのだろう。
震災をひきずる。
ひきずるとはなんなのだろう。3月くるたびに、忘れない11日の映像を、ここに住む人はみなもっている。
多くの人が震災後できることをと手を差し伸べた。
アートや文学は特に私のわが家の支えになった。
ただようまなびや、は言葉のとおり、まなびやだった。
先生は先生で、生徒は学びの場で思う存分学んだ。
あの時の幸福感をまた味わいたい。
コロナによる閉塞感から特にそう思うのかもしれない。
たかだか2年、されど2年。
震災からは11年。
深呼吸しよう。
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