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2004年1月

2004.01.30

3びきのやぎのがらがらどん

マーシャ・ブラウンの美しい絵本。子どもと何年も読み続けている。
昔話が磁石にひきよせられるように好きになる3歳すぎから4歳は、心から楽しんでいる様子が読んでいて顔をみなくても伝わってくるのだ。2歳になったばかりの下の子も、この絵本を「よんで」と最近もってくるようになり、今晩も一緒に読んだ。病み上がり(風邪)の彼女だが、じょじょに快復。笑顔も多くなり、読んだあとに「もっかい」と言ってくれる。
「だれだ」とトロルが聞くシーンがことのほかお気に入り。

もう1冊『おおかみの七ひきのこやぎ』、こちらも子ども達は大好き。マットレスで家をつくりよく「おおかみごっこ」と称して、この絵本をなぞって遊びもする。食べられてしまうけれど、ちゃんとお母さんが助けてくれるのがわかっているので、おおかみがぱくりぱくり食べてもへいちゃら。しかし、どきどきするので楽しいらしい。ホフマンの絵は、ちょっとよそよそしいのだが、それでもこのお話が大好きな子どもたちは何度も読んでと持ってくる。

2004.01.29

相剋の森

以前、保険の仕事に就いていた時に、ハンター保険を知った。私の住むこのあたりでは、この保険に入っている人が多い。クマも出るし、狩猟(鳥?)もしているらしい。クマがでる時は、駐在所から警報のちらしがまわり、小学校にも貼り紙がされる。クマの出そうなところは一人で歩かず、鈴など音を鳴らしながら歩こうと。
実際に猟銃をもって時々鳥などを撃っている人に、どんなものなんですかと聞いたことがある。おめえには関係ないべと一蹴された。標準語を話す私に話ししてもしかたないと顔と口でいわれた。決して標準語で話ししているわけではないのだが、そんなことを言っても伝わらない。私もただの好奇心という雰囲気をまきちらしていたのだろう。
などということを思い起こしながら、を読了。人物が中途半端というかおおざっぱというか、しかし人間よりも、自然やマタギらの狩猟シーンは読ませる。冒頭がよくも悪くもひきつけられた。自然保護という四文字熟語は立派なのだが、生きることを言葉に置き換えるのはむずかしい。

スチームフード

スチームフード』(長尾智子・福田里香)柴田書店

花鳥風月の雰囲気たっぷりの蒸し料理集。

蒸し料理本ではこちらの方が好み。
「蒸す」っておいしい。キッチンはいいにおい!』(吉田勝彦)文化出版局

今晩のおかずはブロッコリー蒸し。

2004.01.27

言葉

ネットで友人になった方から教えていただいた雑誌「GRAFICATION
特集が常に骨のあるもので読みごたえがあり、連載で結城登美雄さんの文章を読めるのもうれしい。(結城さんの『山に暮らす海に生きる』はすごくいい。)
特集は「ことばの力、方言の魅力」
言語学者の田中勝彦さんと文芸批評家の高橋敏夫さんの対談が冒頭。その中の田中さんの言葉より

神様の与えた言葉だけでは満足できないから、絶え間なく発展させて自分の言葉を見つけていく。言葉は使わされて守るものではなくて、どこまでも絶え間なく破っていくものなんです。そして破れ過ぎると困るからちょっと直したりして、修復しながら使っていく道具なんですよ。

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"Angels and Wild Things The Achetypal Poetics of Maurice Sendak" by John Cech

Myths are temporal constructions. Their intial energy and reason to be belongs to their immediate world and not to some far away past, much as they may draw on images from that past to tell their stories.

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"The European Folktale Form and Nature" by Max Luthi

昔話において最も基本的な要素というのは、その昔話をつくりだした人、語りたい人、そして昔話を聞きたいという人たちの内的な強い欲求である。これらがないと昔話は残っていかない。ただ語るために、昔話の形式を整えることは二の次である。もっとも優先すべきは、心から語りたい、聞きたい、そして何故この昔話が語られたのかという人々の内側の気持ちなのだ。

2004.01.25

灰色の輝ける贈り物

アリステア・マクラウド著、中野恵津子訳 新潮社クレストブックの1冊。

スコットランド高地からの移民の島、カナダ・ケープ・ブレイトンが舞台。マクラウド自身が育った島だ。きこりや漁師、坑夫などをして学資を稼ぎ、博士号を取得したと作者紹介にある。そういう自分の人生を投下させたような短編なのかもしれない。体をはる仕事をしながら、苛酷な自然の中で暮らす人々の生活がそのどれもに描かれている。生きることが、文字通り、生活の糧を得るための仕事に多くさかれ、黙々とこなす。きりっとした緊張感に、ふだんの日常が横たわる。この短編集の続編が今月末に刊行される。マクラウドの全短編集"Island"の前半8篇がこれで、次が残りの8篇の短編が入る。『冬の光』の刊行はもうすぐ。

2004.01.24

大根のカチュンバル

「きょうの料理」2003年8月号で掲載されていた、春山みどりさんのレシピ。
ドライカレーをつくったので、それに添えるサラダレシピをさがしていて、コレと思ったもの。
我が家の大根は相変わらずみずみずしく、サラダにぴったり。せんぎりにして、レモン汁、酢、ピーマンのみじん切り、そしてクミンシードであえる。はじめてクミンシードをカレー以外に使った。るるん。
このクミンシードは、ガネッシュのカレー粉についてきたもの。
とっても美味にできて、つれあいも気に入っていた。もちろん、子どもたちも。青とうがらしでつくるレシピだったのだけど、子どもたちがいるので、ピーマンで代用してもよいと書いてあったので、そちらで。
色もきれいで、大根ととてもよくあっていた。うれしいな。

2004.01.23

子どもの本のちから

越境する児童文学と題された遠藤育枝さんが編集した

イロイロな人が総合講座児童文学で授業をおこなった記録集。
今江さん、江國香織さんらが読んでいておもしろく、個人的になつかしく。
雑誌「飛ぶ教室」のことが何度も話題になる。ふふふん、0号から持ってるぜとひとりごちながら。
今江さんの話でおもしろかったのは、お金の話。給金は仕事とは、やはり切り離せないものなのだ。
江國さんの話でおもしろかったのは、夏目漱石がけちょんけちょん。「漱石は、性格が悪い上に子どもじみている。」ときっぱり。ふむ。その江國さん、高校の頃は、文庫本の漱石、太宰、谷崎を読んでいた。21歳になるまで、お正月は毎年『細雪』を読むと決めてそうしていた。そんな話がぽんぽんとでてくる。
授業を聞いている人からの質問に
ものを書くことを取りあげられたらどうしますか?
というのがあり、
江國さんはこう答えている。

ものを書くという職業を取りあげられたらどこかでビルの掃除でもしようと思いますが、ものを書くということを取りあげられたら人間性が成立しなくなる。気がふれるのではないかと思います。日記でもいい、書くという行為がなくなったらだめです。

けいてぃー

旧暦では昨日が元旦。
その暦でいけば、昨日、今日はまさしく冬になったといえる大雪。
しんしんと休みなくふりつもり、50-60cmは軽くつもった。
我が家のけいてぃーも、今季初登板。なのにガソリンを買っていなかったので、雪が少し落ち着くまで入手できず。
しんしん、しんしん降っている雪が、これほど積もるのかと思う雪。
けいてぃー、いっしょうけんめい働いたおかげで、とりあえず明日も車を動かせそう。

子どもが風邪でダウンして、眠っている。
もうひとりの子どもは元気いっぱい、一日にこにこ楽しく遊んでいた。
小学校から帰ってきた子どもは、川に落ちたとびしゃびしゃだった。この雪の日に!

今日は自分の注文した本が7冊、紹介用に届いた本が3冊。
片づけても片づけても、パソコンのまわりは本が積まれる。
本を届けてくれた宅配便の人は、ほぼ毎日顔をあわせているので、今日はもっぱら雪が話題。
夕方本を届けてくださった方は、これから山の方へ走るという。大変だ、ほんと。
雪の道路はこわい。狭くなっているし、歩行者は歩道が雪で歩けないので車道を歩く。
自転車乗りも、車道のまんなかを走る。冬道は危険がいっぱい。気をつけねば。

うれしかったこと。PWの"The 2003 Cuffies"が読めたこと。いろんなタイトルで本をピックアップされていて、コメントを読んでいるだけでも楽しい。The "For Adults, Not Children"Award は、Sendak の"Brundibar"。なるほど。

2004.01.22

ロレンス・イェップ

読もうと思っていた本の山からではなく、今朝郵便受けに入っていた本。
ワニてんやわんや
ロレンス・イェップの読後がほくほくする物語。
いい子の弟ボビーに、ななめの気持ちを持ってしまう兄テディ。
兄弟とはまた不思議な関係なり。我が家の子どもたちもこうなるのかしらとちらりと思いながら、チャイナタウンのテディ一家の物語にひたった一日。ペットにどうしてワニがというところから、母さん、父さん、そして親戚たち。だれもが、ワニを気になってしまう。ワタナベユーコさんの挿し絵が物語にぴったりでとてもよかった。本のつくりも、少しだけ大きめで、文字の大きさや余白のとりかたなど、丁寧につくられ低学年の子どもにすすめたくなる1冊。この訳者さんの本はどれもおすすめ。『宇宙人が来た!』も、物語の楽しさと挿し絵が絶妙! 『ぼく、もうなかないよ』は、ぐぐっと。『アビーと光の魔法使い』は、かろやかなでも心に何か残るファンタジー。私はこの本でコウルリッジの「老水夫行」を知りました。

2004.01.21

6冊

今日届いた本、6冊。
絵本2冊、読み物4冊。
トップバッターで読もうと思っているのは、『この素晴らしき世界に生まれて
「そうそう、読んでもらいたかったんです」という言葉をいただき、明日の楽しみに。
いや、そろそろ『ストラヴァガンザ』を読了せねば。
『チェ・ゲバラ伝』ももう一度読み返そうと思っている。この本はすごくいいのだけれど、この1冊ではちょっと言葉がでてこない。

2004.01.20

自叙伝

昨日、ウォルター・ディーン・マイヤーズの自叙伝『バッドボーイ』を読了。
今日は、アルバート・フェイシーの『バートの旅』を読了。こちらも自叙伝。
少し前に読んだ『この道のむこうに』は作家ヒメネスの自叙伝。

断続的に読んだこれらの作品。
どの著者の反省も苛酷な状況の中、生きのびてきたことが書かれている。
そして、そのどれもに、ひだまりのようなあたたかさも。
『バッドボーイ』では、マイヤーズが階段をのぼるように、一段一段、乗り越えなくては前にすすめないことをクリアしていくさまが非常に丁寧に書かれている。成績がよかったけれど、けんか早く、先生に反抗的。その成績のよさも、スポーツができることも、黒人差別の壁に何度となく立ちふさがれ、棒立ちのようになる。ノルウェイの昔話『太陽の東 月の西』を楽しんで読んだこと、コールリッジの「老水夫行」で詩の奥深さを知ったこと。どの局面でも本が彼を助けていた。読めるということはすばらしいことなのだとあらためて思う。そして書くことも。
『バートの旅』では、8歳から働きはじめ、さまざまな職を経験したのち、市議会議員までなるが、職を得るのに苦労したのは、学校に行っていなかったこと。独学で必死に読み書きを覚え、晩年、妻のすすめで退屈しのぎに自叙伝を書いたという。妻の助言を得て句読点やスペルをなおし、妻を亡くしてからは編集者に訂正してもらった。そういえば、ウィルソン・ローズもそうだったということを思い出す。『ダンとアン』も『サルたちのおくりもの』はすごくいい。
『この道のむこうに』は、不法労働ゆえにあちこちを渡り歩く生活をしているミグラント・サーキットが描かれる。この生活から逃れるためには、読み書きの力だ。どうやって文字を覚えていくか、書くことを学ぶか。それが次の生きていく道に直接つながっていく。

教育ということが、生きながらえるために切実に必要。
読むこと、書くこと――。

2004.01.19

バーニンガム

ジョン・バーニンガムの「ちいさいえほん」シリーズは、文字通りすりきれるほど子どもと読んだ。
特に『いぬ』は、短い絵本なのですっかり暗記し、夜ふとんのなかで、絵をみないで子どもに聞かせていた。
谷川俊太郎訳のこの絵本を何度も読んだ子どもたちはすっかりバーニンガムさく、シュンタローやくと、絵本の表紙をみるとすぐ口にしている。まんなかの子どもは、その絵本に落書きしたので、どんどんボロボロになっていくちいさいえほん。落書きするほど、彼はこの絵本が大好き。末っ子は、ぼろぼろでも、にこにこ楽しそうに聞いている。そして、いちばん上の子は、「この絵本は、短いんだけどとびっきり楽しいんだよなぁ」といまも、7年前と同じように横で聞いている。

まなざし

鍵となる要素は、帝国的な視点だ。遠く離れた見知らぬ土地の現実を自分のまなざしに従属させ、その地の歴史を自分の側の観点から構築し、そこの住民たちを臣民とみなし、その運命は彼らがみずから決定するのではなく、遠隔地の行政官たちが彼らにふさわしいと考えることによって決定されるのだとする見方だ。

エドワード・W・サイード 中野真紀子訳 「月刊みすず」12月号 no.512
――帝国の視点/夢想と妄想 サイード、最後の言葉――より

テケレツのオッパッパ

雑誌の新刊は待ち遠しい。「きょうの料理」の発売を新聞広告で知り、さっそく入手。どれどれと、最初にみたのは、前にも書いた小林カツ代さんの文章。今月は“テケレツのオッパッパ”。91歳の千代さんという方から教わったレシピだという。豚こま切れ肉とたまねぎを、フライにしたもの。写真ではビールが添えられ、みているだけで食欲がそそられる。私がつくろうと思っていたのだけど、つれあいがつくってくれた。カリカリおいしく揚げられて、みるみるうちにお皿がからっぽになった。子どもたちは、「お父さんは料理うまいねぇ」とパクパク食べた。美味はまことに幸せなり。

この号の表紙料理である、ぶり大根もつれあいがつくった。こちらもぶりの旨味がしみとおったおいしいしあがり。
我が家の大根は大活躍してくれる。

2004.01.16

なぜ古典を読むのか

イタロ・カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか

須賀敦子さんの本は『コルシア書店の仲間たち』から読み始めた。それがはじめの1冊。それからは、出るたびに本だなに増えていった。訳したものも読みたくなり、それで手にした1冊。
最近、古典をおもしろく読んでいる。子どもの頃読んだ、名作全集の記憶などもうほとんどない。だが、おもしろかったという感覚は身体の中に確実に残っている。夏目漱石の『坊っちゃん』も、こんなにおもしろかったのかと。キプリングの『ジャングル・ブック』も次に読んでねとばかりに、目の高さに置いてある。
クリスマスに読んだ、ディケンズの『クリスマス・キャロル』は、文句なしに楽しんだ。幽霊達が見せる、現在、過去、未来。ディケンズの書く人間はあたたかい。

さて、カルヴィーノ。
この1冊は、イタリアのエイナウディ出版社でだしている文学叢書の「まえがき」として書かれたものがまとめられたもの。それ以外の文章も若干入っている。最初に「なぜ古典を読むのか」と題し、古典の定義を14ほどだしている。印象に残った定義はこれ。

古典とは、読んでそれが好きになった人にとって、ひとつの豊かさになる本だ。しかし、これをよりよい条件で初めて味わう幸運にまだめぐりあっていない人間にとっても、おなじくらい重要な資産だ。

定義の次は、個々の作品についてふれている。ただいま読んでいるところ。気になっているのは、やはりディケンズの『我らが共通の友』。

須賀敦子さんのあとがきも読ませる。

ずっとむかしに読んだ小説や詩を、当時は相応もつかなかったあたらしい年齢の重みにたすけられて、あたらしいテクストとして読みなおすこともできた。

比べる器でも、また経験を積んだ年齢にはいたっていないのだが、あたらしい年齢の重みを実感するこのごろ。

2004.01.15

歳の神

15日は部落の歳の神
家の近くのいつもの田んぼで、歳の神の準備を先週行い、火がつけられた。
6時半からはじまるので、たくさん着込んで、ちぃちゃんは背中におぶって家をでた。
どこの家からも、長い木のぼうをかついだ人がでてくる。
このぼうに、網のようなものをつけて、そこにお餅やらするめやらをはさんで来る。
そう、歳の神の火で焼いて食べるのだ。
去年も、それをみて、今年は自作しようと言っていたのだが、忘れてしまった。
それでも、つれあいは、するめをわりばしにはさんで、あち、あち! といいながらあぶっていた。美味。
けむりを身体にあてると、風邪をひきにくいなどいわれがあり、大人たちは、子どもらに、ほら火のそば来いと呼んでいる。御神酒をいただきすすりながら、火にあたる。子どもたちは、それぞれおやつをもらう。
「火なんてこんな時くらいだよなぁ。ぽかぽかしていいもんだ。」と言っていた人がいた。
ほんとに火はきれいだ。そして歳の神はお年寄りがわさわさ集まる。
「おめでとう、今年もよろしく、まぁ、飲め」と御神酒がふるまわれる。ビールも。
ちぃちゃんは、背中から「すごい! すごい!」と言っている。
しめ縄がもえ、風車がもえ、大きなだるまも燃えていた。起きあがり小坊師もこの時に燃やす。
さぁ、元気な一年になるぞ。

2004.01.14

冬の晩方

静かにしてゐると
幽遠な冬がいちどに下りて来るやうだ
人家のあたりに今まで騒いでゐた子供等の
その声や歌がはたと止んで
まるで蓋をしたやうに
地上は暗くなつてしまつた
ぞくぞくした寒さだ
針のやうに顫えてゐる空気だ
氷がみしみし張りつめられてゐるやうだ
障子が藍色にみえる
電燈の下で本をひろげて
読みかからうとして
ふいと静かなあたりをふりかへる
寒さは人の耳を澄まさしてくる
だれも来ない
からだがある一点に
実に微妙なある一点にぢつとしてゐる

『室生犀星詩集』より「冬の晩方」 浅野晃編 白鳳社

2004.01.13

ぶた ふたたび

前作『ぶた』を読んでひとめぼれ。次作がでるらしいと聞いてからもう半年以上はたったろうか。
ようやく出ました! 『ぶたふたたび

この絵本をまったく必要としない人もいるだろうけれど、クールなようで熱いハートをもったこのぶたが、とっても気に入っている。哲学的であるような、ノーテンキであるような、友だちだいすき、食べるのだいすき、そしてちょっと変わったことをするのがだいすきなぶた。
フィンランド出身の、このぶたは3年にわたり週間情報誌に掲載されていたという。いいな、そんな情報誌。すべて手書きもじで、書いたのは「バムケロ」の島田ゆかさん。翻訳は森田圭子さん。とても大変な作業だったらしい。
どの絵もいいのだけど、いちばん好きなページは、ガーデンパーティの様子。さて、どんなパーティだったでしょう。

2004.01.12

きつねうどん

きょうの料理」を毎月買っては、いつくかの料理をつくっている。1月号から新連載で小林カツ代さんのエッセイがはじまった。お題は「きざみきつねは父の味」。
きつねうどんのおあげは、味付けしたものかそうでないものか。カツ代さんのお父さんは味付けのないものが好みだったらしい。昆布とかつお節でとったお出汁に、あげを切ってのせる。うーん、想像しただけでおいしそう。といことで、数日前につくってみた。あげは少しあぶり、細く切る。出汁に少しみりんをいれて、ゆでたうどん、そしておあげさん。子どもたちは、私がまないたで何か切る音がすると味見するものがないかと走り寄る。ちぃちゃんは、自分用のお皿を出して、切ったおあげを少しとって食べ始めた。こらこら。
寒い冬にあったかい麺はことさら美味。子どもたちとはふはふ食べるのも、また美味。

2004.01.11

カンバセイション・ピース

おそらく去年の話題作のひとつ。『カンバセイション・ピース

bk1の書評をみるといろいろですが、私はおもしろく読み終わった。
正直1/3までは、うーんすすまないという感じだったのですが、半分すぎてからは、じわりじわりと会話の楽しみが味わえるように。カンバセイション(会話)の小説。ひたすら、誰かがしゃべっていて、小説家である主人公の独白とともに、古い家に住んでいる人々がおしゃべりしている。日常会話のあまりにも何気なく、適当な会話がえんえんとつらなる。そして、時々小説家の独白になるほどとうなずいたり。しかし、たらたらしている会話の中に、うん、これぞ人生よねなんて若造の私が思ってしまったり。人はおもしろい。

「ふるさと創世資金の一億円を、全額宝クジに注ぎ込んだ町があったよな」 と私は言った。 「あったねえ」

思わず、うそとつぶやいてしまう。

「中学のときにちっちゃくて優しい理科の先生がいたの。女の先生だったんだけど、二年前の冬に急に死んじゃって、あたしたちの担任じゃなかったんだけど、あたしたちみたいな勉強しない生徒の話をよく聞いてくれたからお葬式にも行ったんだけど、二週間くらいして友達が電話乗ったら、『あ、先生だ』って思ったんだって。 でもその人、顔なんか全然似てないし、歳もあたしたちと同じくらいなんだって。で、『どうして、先生だって思ったんだろう』って思って、その人のこと見てたんだけどやっぱりすごく感じが似てるんだって。 電車の中の人たちをおもしろそうに見ている感じが先生にそっくりで、友達は、『先生がこの人の目を借りて、自分が生きた世界を見に戻ってきたんだ』って思ったんだって――」

これは小説家とその娘の会話。
ふんふんと耳をそばだてるように読む。

子どもが暗やみをこわがるということを思いふけっている時は

聖書が言うように言葉は光で、その光が闇を照らすのだが、言葉がまだ自分にとってよそよそしいものとしてある子どもには、闇は光が届かないだけのネガティヴな場所なのではなくて、自分の知らない時間が流れ出てきているような場所で、そういう知らないことがあることがいまこの世界にりうことを保証する光のない高原のような昨日を果たしてくれているというような……。

というとりとめないことが書かれていたり。

410頁読了後、次はいつも最後まで読めていなかったナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』を読んでみようと思った。

2004.01.10

十日市

一月十日は、会津の初市がたつ日、十日市の日。
今年は土曜日だったので、お昼ご飯にうどんをすすってから、家族で出かける。
縁起物を買い求める日でもあり、我が家もここで毎年起上がり小法師を手に入れる。
値段は50円から100円までさまざま。
家族プラス1個求めるのが慣わしなので、今年は6個。
去年のものは、15日の歳の神で火にくべる。
ほか、毎年の楽しみは漆器。掘り出し物をさがして、漆器店のつらなるところを歩く。
手に入れたものは、こづゆ皿5枚、汁椀1つ、栗の木をくりぬいた大きな木椀。これは野菜でもお寿司でもおいしくみえそう。
子どもはくじで、おもちゃを当てたが、ねらっていたものではなかったので、しばしふくれているが、食べているうちに忘れたよう。
食べたもの。子どもたちは、チョコバナナ、きんつば、フランクフルト、ちぢみ。大人は、トムヤム麺と、ちぢみ。
ものすごい人出の中、わずかな隙間で立って食べる、ふーふーしながら。美味、美味。
十日市は荒れるといわれ、いつも天気が悪いのだが、今年は好天。夕方からさらさらとした雪が降ってきた。
夜はまた一段と混むので、夕方には帰宅。おなかいっぱいだったので、少しやすんでから、お茶漬けさらさら。
おやすみなさい。

雪沼とその周辺

堀江敏幸氏のわりと新刊『雪沼とその周辺

7つの短編が掲載されている。
雪沼という土地で、暮らす人々が描写される。タイトルの作品はないのだが、これが短編の流れを伝えている。
最初は「スタンス・ドット」
ボウリング場を経営してきたが、こだわって選んだピンの倒れる音が、聞こえなくなってきた。耳が悪くなっているらしい。潮時だろう。妻も亡くなった。その経営最後の日を描いている。お客はひとりもなく、しめる30分前に入ってきたのは、トイレを借りたいカップル。思わず最後に1ゲームどうですかと声をかけ、それを見ながらいままでの出来事を回想する。堀江氏は、市井の人を静かに、そして少しこだわりをもって書くのがうまい。じわっとしみいってくる。
次はフランス料理店を経営していた女性の話。「イラクサの庭」。彼女が亡くなったところから始まる。ゆかりの深い人たちの会話から、彼女のすがたがみえてくる。
こうして、人や場所が少しずつクロスしながら、短編が連なる。
私の好きなのは、最初の2編。もちろん1冊の本、全体の構成もとてもいい。

2004.01.09

わたしのメルヘン散歩

何かの調べ物で、長らく本だなで眠っていた『わたしのメルヘン散歩』(矢川澄子著・ちくま文庫・品切れ)をとりだしてから、近くに置いているせいかちょくちょくページを繰っている。

『宝さがしの子どもたち』を書いたネズビットのことをこう書いている。

魂の奥底をつめたい風のぞっと吹きぬけるような、よるべない孤独、ひとりぼっちの冒険。それこそは、ネズビットの本能的に忌み斥けるところなのであった。というより、少なくとも少女イーディスの人格形成には、そのような痛切な体験ははじめから関係してはいなかったのだろう。彼女は終始、同胞との相互理解のもとに守られてあったのだ。もしもそういう切実な孤独の思いがあったとすれば、これほどのストーリーテラーとしての才能に恵まれていた彼女が、とてもこの分野だけにおさまっていなかったはずである。

某掲示板で教えていただいて知った芥川賞候補作品に、金原ひとみさんの「蛇のピアス」。さっそく雑誌「すばる」11月号で読んだ(この作品はすばる文学賞を受賞している。どうしても書かれてしまうであろう、彼女の経歴(?)を作品を読む前に目にした時は、そこだけでもクローズアップされやすいなぁと正直かまえてしまった。「蛇のピアス」は読ませる力はあるが、雑誌で評者が書いているように、ラストがとんとんとまとめあげられているのが、ちょっともったいなかった。さて、どの作品が芥川賞をとるでしょうか。

 ちなみに、すばる文学賞の評者のひとりである辻仁成は一読して、今年の受賞作は「蛇にピアス」だな、と思ったと書いている。そしてこうしめくっていた。

作家は書かなければならない。書けないやつはいくら偉そうなことを言っても、「はい、さいなら」がこの世界の掟。いや、まことに恐ろしい世界である。厳しい世界へ、ようこそ。

2004.01.08

宝さがしの子どもたち

ネズビッドの作品、翻訳は吉田新一氏。原書発行年は1899年。邦訳は1974年。
宝さがしの子どもたち

バスタブル家のきょうだいは6人。母親は末っ子を生んだ時に亡くなってしまい、父親しかいない。ところが、母親が亡くなった時に、病気でたおれてしまった父親はその間に仕事上のパートナーを失う。そのため、バスタブル家の財産はめっぽう少なくなり、たくさんいた召使いもいなくなり、学校も休むことになった。しかし、きょうだい6人いれば、それほど退屈することはない。家の財産がなくなったのだから、ぼくたちで宝さがしをしよう! こう考えついたのは、上から2番めのオズワルド。さて、どんな宝さがしをするのだろう。

占いづえをためしてみようとしたり、新聞にのっているあやしげな広告に応募したり、詩を売ってお金にしようとしてみたり(きょうだいの一人が詩を書けるので)、はたまた山賊になろうとしたり。しかしながら、決して紳士・淑女の道をはずさないよう(時にははずれるのだけれど)、きょうだいたちの活躍は楽しい。気持ちのいい大人、特に詩人のレズリー夫人はすてきです。そのすてきさを、「女の服装をしたおとなの男の子」と表現するのは、語り手の「わたし」。

ネズビッドは『砂の妖精』しか読んでいなかったので、この本との出会いはうれしい。あぁ、おもしろかった。

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夜のミッキーマウス
うまくいえないけれど、谷川俊太郎の詩はなぜかすこし信用できない。

残った詩はひとつ。
「永瀬清子さんのちゃぶだい」

日々汚れた皿が
永遠の水にすすがれている
今日のささやかな喜びが
明日への比喩となる


「あのひとが来て」という書き下ろしの詩を谷川俊太郎自身が朗読したものが新潮社のサイトで聞けます。

2004.01.07

オキーフの家

以前Gさんがおすすめされていた『オキーフの家』。
いわずもがなの、ジョージア・オキーフ。商業的にも成功した20世紀のアメリカ美術を代表する画家だ。
そのオキーフが40年住んでいた家の写真集。文章を書いたのは、オキーフの晩年を介護したパッテン。彼女はオキーフの伝記の共著があり、みずからも絵を描く。

無駄のないシンプルという言葉がよくにあう、美しい家だ。
京都にいたころ、1年間お寺で仕事をし、毎日国宝の庭をながめていた。それに通じる。
禅寺なので、あまり華美な装飾のないお寺だった。和尚が亡くなった時の葬儀も、白と黒の配色がみごとだった。
庭師と井戸のふたに置いてある石4つで、チェスのようなことをするオキーフ。
晩年は目がみえなくなり、石をさわってその感触を楽しんでいたという。
音楽を聴き、パンを焼き、好きな家で暮らす。
その家にまた誰かが住むのだろうか。

2004.01.06

アジアン・スイーツ

アジアンスイーツ』沙智 柴田書店 1800円+税
タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム 、ネパールのお菓子と写真。沙智さんは写真家。

ひと皿ごはん』 渡辺有子 文化出版局 1400円+税
ワンプレーとごはんなのだけど、麺類もあります。スープやサラダも。そして、食後のデザートとして、甘いもののほかに、コーヒーウォッカのような飲み物が少し。
田舎にいると手に入らない食材も多いので、つくれそうなものは実は少ない。
エスニックは好みなのだけど、つくるのは材料がなくてすぐあきらめてしまう。

2004.01.05

アイヌの昔話ほか

『静かな大地』にも少しアイヌの昔話が入っている。本だなをみると、そうそう私も1冊持っていた。
アイヌの昔話』を昨晩から、すこしずつ子どもたちと読んでいる。
昔話は、シューヘーもケースケもよく聞いている。

幸福な王子』は元旦に届いた1冊。はじめて読んだ『幸福な王子』はサンリオ出版からでていたもの。いまも、探せばどこかにねむっているはず。今回の再読では、豪華絢爛な文章とそれに対照的な描写。
これはワイルド童話全集でもあるので、ほかの童話もたのしみ。「わがままな大男」も読んだことがある。最後はぞくっとする感覚で、これは再読だったことに気づいたのだ。

2004.01.04

静かな大地

いろいろ読みかけ本はあるものの、最後まで読みきった今年さいしょの1冊が『静かな大地』(池澤夏樹著)。

帯広出身の池澤氏が、いまは沖縄に住み、10年の構想を経てアイヌと和人のことを書いた。自分の祖先をモデルにしているが、すべてそうではなくプロットにしたと雑誌ビーパルで言っていた。

ぐぐっとひきこまれ、最初はメモしたい言葉に付せん紙をつけていたが、後半はそんな余裕はなかった。
だれもが周りの人に優しくするのは、可能ではない。差別もなくならない。私も北海道生まれなので、大人たちが、アイヌの人たちに対する蔑視発言は子どもの頃から耳にしていた。友人が独立した花屋をするので、名前をつけてほしいとたのまれ、「きとと」というアイヌ語を紹介し、彼はとても気に入りお店の名前になった。いまもそのお店は帯広にあり、お兄ちゃん(そうよんでいる)は花の仕事をしている。お兄ちゃんが2人めの子どもが生まれて、アイヌの名前をつけようとしたら、親にひどく反対されたと言っていた。そう、こんなささやかなこと以外にも、差別はあちこちにある。しかし、この100年前の北海道における、アイヌと和人の深い溝は読んでいてほんとうにつらい。差別はなくならない。京都に住んでいるときは部落の人たちの差別が、これまたアイヌの時よりひどくあからさまに見聞きした。

前半は開拓にかけるいきごみ、学んでいくさま、そしてそれが形になっていくまでは、心がおどった。あぁ、こうして切りひらいてきたのだと。

主人公三郎は、由良の叔父にあたる。由良は開拓の話を病床の父からよく聞いて育った。そのおかげで、昔のことに興味をもち、結婚したのち、夫のすすめもあり、三郎のことを調べてまとめることにした。三郎が、福沢諭吉の教えに共鳴し、クラーク博士から農を学ぶ。そして、アイヌ人と親しく交わり、大きな牧場を経営するようになる。しかし、その成功をよく思わない輩たちから、さまざな横やりが入るようになる。アイヌは三郎の牧場では同じ働き手だ。それすら、周りはよく思わない。牧場の外の世界ではアイヌの文化をどんどん壊していくなか、三郎の牧場も……。

ラストは非常にきびしい。
誰にでも優しくしなくてもいい。嫌いな人は嫌いでいい。しかし、その嫌いを相手を壊すことにつながらない理性をもちたいと切に思った。

黒豆シロップ

お正月につくった黒豆は大好評のうち、ぺろりとなくなった。
残ったシロップを、ゼラチンで固めてゼリーのようにして子どもたちのおやつにしたらこれも大好評。
シューヘーに「お母さん、料理の発明家だねぇ」とほめてもらった。
いま、シューヘーのなりたいものは「発明家」なのだ。木でつくる発明家になりたいらしい。

2004.01.02

ノーマ・フィールド

定期購読している小冊子は以前はもっとあったのだが、結局読まないので、だんだん減り、それでも届くのがなにより楽しみなのは「月刊みすず」
12月号はばたばたしていてずっと読めていなかった。
つれあいが、また暮れに一列の本だなを1メートル40cmつくってくれ、その棚にならべて、未読だったことに気づく。
だいすきなノーマ・フィールドの文章が掲載されていた。小林多喜二について書かれたもの。プロレタリア文学は日本の近代文学で初めて国際的に知られた文学――。ちょっと難解なので、また読み返さなくちゃ。

『いまからでは遅すぎる』を読んでいるのだが、ユリイカの特集でプーさんだということを知り注文。石井桃子さんと安達まみさんが対談している。石井さんが、これから昔話について勉強したいといわれていた。「これからは、子どもの本を好きな友達数人と一緒に、いったい子どもの本って何なのかなってこと、考えていきたいと思ってるんですけど。略。私はもっとね、子どもの本は楽しく、「全体」として味わいたいと思うんですよ。まるで、まな板の上へ乗っけて「ここが急所なんだよ」と指摘するみたいなのでない楽しみ方。」と石井さんが語っている。

この雑誌はほかにも別の人たちの対談も収録され、いかにも雑誌で、雑多でおもしろい。
プーさんといえばディズニーのプーさんも欠かせない。ディズニープーが黄色なのは、風水で黄色がお金のもうかる色から??。この人たちの対談ではディズニープーはずっと「風水プー」とよんでいて笑ってしまう。
そういえば、10年以上も前に買った『クリストファー・ロビンの本屋』が積ん読だった。読まねば。

2004.01.01

フウの眼はきれいだった。
リオ。
お前の眼もきれいだ。
Nile-blueのなかに光るblue-black。

オレはもう一杯。
オールドパアに。
雪を沈める。

註・フウ(カラス猫)
  リオ(シャム猫)

     (草野心平詩集・現代詩文庫・思潮社より)

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