宝さがしの子どもたち
ネズビッドの作品、翻訳は吉田新一氏。原書発行年は1899年。邦訳は1974年。
『宝さがしの子どもたち』
バスタブル家のきょうだいは6人。母親は末っ子を生んだ時に亡くなってしまい、父親しかいない。ところが、母親が亡くなった時に、病気でたおれてしまった父親はその間に仕事上のパートナーを失う。そのため、バスタブル家の財産はめっぽう少なくなり、たくさんいた召使いもいなくなり、学校も休むことになった。しかし、きょうだい6人いれば、それほど退屈することはない。家の財産がなくなったのだから、ぼくたちで宝さがしをしよう! こう考えついたのは、上から2番めのオズワルド。さて、どんな宝さがしをするのだろう。
占いづえをためしてみようとしたり、新聞にのっているあやしげな広告に応募したり、詩を売ってお金にしようとしてみたり(きょうだいの一人が詩を書けるので)、はたまた山賊になろうとしたり。しかしながら、決して紳士・淑女の道をはずさないよう(時にははずれるのだけれど)、きょうだいたちの活躍は楽しい。気持ちのいい大人、特に詩人のレズリー夫人はすてきです。そのすてきさを、「女の服装をしたおとなの男の子」と表現するのは、語り手の「わたし」。
ネズビッドは『砂の妖精』しか読んでいなかったので、この本との出会いはうれしい。あぁ、おもしろかった。
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『夜のミッキーマウス』
うまくいえないけれど、谷川俊太郎の詩はなぜかすこし信用できない。
残った詩はひとつ。
「永瀬清子さんのちゃぶだい」
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日々汚れた皿が
永遠の水にすすがれている
今日のささやかな喜びが
明日への比喩となる
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「あのひとが来て」という書き下ろしの詩を谷川俊太郎自身が朗読したものが新潮社のサイトで聞けます。
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