新聞
昭和10年代に、京都で1年あまり続いた小新聞(隔週刊)に「土曜日」というのがあったそうです。(月刊「みすず」3月号・長田弘〈憩ひと想ひの午后〉より)
巻頭言がすてきです。
「『土曜日』は人々が自分達の中に何が失はれてゐるかを想出す午後であり、まじめな夢が瞼に描かれ、本当の智慧がお互に語合はれ、明日のスケジュールが計劃される夕である。」
この「土曜日」には28歳の淀川長治の文章も掲載されていたとあり、「失はれた地平線」がいかに楽しかったかを彼が書いています。日中戦争が本格化し、発行人が検挙され、「土曜日」は停刊に。
第一号が二千部、次第に評判になり平均四千部、多い時には七千部、八千部までいき赤字なしの新聞――すごい。新聞がでる日には、「本日『土曜日』出来」と街の喫茶店に貼り出しがでるようになったとも。すごい、すごい。
いいな、こういう新聞。「自分達の中に何が失われているかを想い出す午後」を求めての新聞。
ちぃちゃんが生まれてずっと休んでいた家族新聞をまた出さなくちゃ、書かなくちゃ。
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