残花亭日歴
残花とは散りのこった桜をいうそうだ。田辺聖子さんが、人生で劃期的な日々とした平成13年6月からの日記が『残花亭日暦』。はじめにの出だしがおもしろい。
日記というものは、なぜか〈愉しかりし年月〉のことは書かず、〈面白からざる歳月〉〈憂憤晴れやらぬ日々〉〈志を得ずして怏怏失意の累日〉について熱意こめて書くようである。ふきだしてしまった。続いて『蜻蛉日記』をひき、千年後の読者としてはここにでてくる夫は人生多事多端のなか、よくやっている方だと思うのだが、妻はそう思わず(もっと、もっと)と思い、綿々たる恨み、不足ばかりが綴られていることを紹介している。時折夫の尽力も書いていても、メモ程度で2~3行程度だという。またまたふきだしてしまった。さて、当のこの日記では、
『蜻蛉日記』風でなく業務連絡帳風でもなく、〈よいことばかり あるように日記〉でもなく書いたとある。読了。おもしろかった。ひさしぶりに時間を忘れて読みふけった。誰の言葉もまるで声が聞こえるがごとし、ぬいぐるみたちの会話もしみじみと愉快。田辺さんを読もうと思ったのは、集英社から全集がでるときいたことから。この全集に小倉遊亀の作品が挿画として使用されていることを知り、がぜん作品を読んでみたくなっていた。そこにぽんとこの本が図書館の棚にあったので借りてきた。うれしい出会いにるるん♪
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