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2004.06.04

詩とユーモア

文學界」6月号、田口犬男のエセーがよかった。

世の中には、詩が分かるひとと分からないひとがいるおいう言い方があるけれど、いったいそれは本当なのだろうか。
というくだりではじまり、「詩」を「ユーモア」という言葉におきかえてみてはどうだろうと。フロイトのユーモア論をひきながら、このユーモア論とまっすぐつながっているように見えると、エミリー・ディキンスンの詩を紹介している。
わたしは思う この世ははかなく
苦悩がさけがたく
痛手に満ちていると
だがそんなことが何だろう

わたしは思う わたしたちはやがて死に
どんなに若々しい生命も
やはり死にはかてないと
だがそんなことが何だろう

わたしは思う 天国では
とにかくすべてが公平にされ
何らかの新しい配分にあずかると
だがそんなことが何だろう
(新倉俊一訳)


田口氏は、この死を読むと何だか解放的な気分になるではないかと書いている。
それから話は某絵本ではないが、カエルが空からふってくる話に変わる。
今日はこの文章に触発され、ぱらぱらと家にあるディキンスンの詩集を読んだ。

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コメント

ディキンスン、いままで読んでもあまり心に入ってこなかったのですが、今回読みかえしてどんどん入ってきています。なぜか、永瀬清子さんの詩を思い浮かべました。無くしたアンソロジーといつか再会できるといいですね。幸福の一瞬――。私もいつか読めますように。

こちらではこの名前でこんにちは。
エミリ・ディキンスンの詩で「人は幸福の一瞬をその歓喜の質に比例してあがなうのだ――身を切るような思いで得たお金で涙であふれんばかりの小箱で」といったものがあったと思います(その詩が収録されていたアンソロジーを失くして以後、同じ訳を見つけてないので、正確に引用できず残念です。いい訳でした)。
その詩はずっと胸の痛いとこに食い入っちゃってます。
本文とあまり関係なくてスミマセン(汗)。

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