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2004.09.08

時差

実家に2年ぶりに帰省した。祖母の三回忌だったのだが、片道乗り継ぎ時間をいれて8時間の往路は、たっぷりの疲労を伴う。いつもの家ではない、実家の玄関に入る時、もちろん数回は入ってはいるのだが、ワープしているような感覚。そしてその感覚になれた頃、住み慣れた自宅に戻る。飛行機や電車や車で乗り継いで経た道に、なかなか気持ちがついていかない。時差が生じる。今日、大きな虹がでた。『くんちゃんのにじ』を一緒に読んだ子どもが車の横で「おかあさん、虹の下には虹があるんだって。行ってみようよ」と誘う。虹の下には行けるわけがないと頭でわかっていても、今日みた虹はなんとなく行けそうな気がした。部落の集会場の近くに思えたので、子どもの誘いにのり行ってみた。でも、やっぱり部落の集会場に行くと、もっと山の方に見えた。「これ以上はぼくもおっかないから戻ろう」とあっさりしている。この虹をみていると、盆地で山に囲まれた家に戻ってきてるんだよなあと実感した。戻る飛行機の中で読んだ朝日新聞の折々の句では『石の歳月』から紹介されていた。

だべか だべさ べさ だべな
とふ言の葉がいったり来たりする
野良会議
 時田則雄
妹が私の子どもたちの言葉を聞いて「方言しゃべってる」というが、あなたたちも北海道弁を話ししてるんだよ。と、この句を読んでそう言うことを言い忘れたような気持ちになった。言わなくてもいいのだけれども。

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コメント

なるほど。標準語だけれども用途は方言、というのはその通りですね。ゴミを捨てることも北海道では(東北もかな)「なげる」と言いますが、これもそうですね。

京都で働いていた時は、ちょっとでも関西弁ぽくなろうものなら、イントネーションが違うと厳しい指摘を日々ビシバシ受けていました。名古屋で働いていた時は、名古屋イントネーションを聞きながら、やはりその人たちは「標準語を話ししている」と言ってたんですよね。私もその頃に、それぞれのもつ標準語の自負を理解し、でも標準語じゃないよという言葉をのみこめるようになりました(^^; 方言も文法が難しいものもありますが、土地になじむにはその土地の言葉を使うといいように思い、会津に住んだ時もずいぶん適当に使ってました。言い回しによっては、男性しか使わない方言などもあり、奥深いものです(^^)。

だいぶ前に国立国語研究所の方言研究の所員の方とお話ししていたとき、定点観測で北海道に行ったときのことを聞きました。アンケートに、「あなたは標準語を話していると思いますか」とあり、その人の答えは「はい」。で、「手袋は?」という問いには「はく」とあったそうです(笑)。

そういえば、北海道出身の祖母が「ああ、こわいこわい」と、頭痛や体調の悪さをあらわす方言を言っていたとき、なれていた私には意味が伝わっていたので、気になりませんでした。考えてみれば、「はく」も「こわい」も、標準語ではあるんですね。用途は方言だけど(笑)。

転勤族の子どもだった私の経験では、どんな田舎(地方といったほうがいいのかしら)に行っても、地元の方たちは、自分たちの言葉は「○○のなかでは標準語に近い」あるいは「京の言葉に近い」という自負を持っているということがわかりました。そんなものだと、いまではどこに行っても聞き流しています(笑)。

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