読むこと書くこと
ローズマリ・サトクリフの『夜明けの風』がとてもよかった。一人の少女を助けるために自分をなげだす主人公。自分にもっているものをすべて差し出すことを、こんな風にさらりとできるのだろうか。時がたつにつれ、その不自由さから逃れるタイミングを目の前に何度かおとずれても、運命は厳しい命を彼に課す。ため息をつきつつ、ひきこまれて読み心から自分が子どもの時に読みたいと思った。がんばれというエールを見える形で送っている物語ではないのだが、深いところで呼びかけられるのを感じた。今ではなくあの時に読んでいたら何かが残ってくれていただろうかと、過去に希望をもってしまった。
岩波からでていた一連のローマ・ブリテンの作品以来、しばらくそれらさえ入手困難な時期もあったのに、いまはほとんどの作品が手に入る。いろいろな方が訳されているが、不思議と一昨年からとんとんと刊行されている。なぜ、いまサトクリフなのか、と出版社の人に聞いてみると「偶然ですよ」と言う。そこではすでに5年も前から準備していたというのだ。ちょっとニュアンスは違うかもしれないが、流れができるというのはこういう偶然が大きいのかもしれない。『ケーキの世界』でも菓子ブームの裏事情という章で、なぜティラミスがブームになったかという分析(?)をしていて、メガブームがおきる時はさまざまなところでのシンクロ現象が「偶然」おきる時なのではと書いている。畑違いでもあり、サトクリフがメガブームになるとは思えないけれど、今サトクリフを読むことを、人が求めているから各出版社でシンクロになったのかなと思えた。もうほとんど出尽くして『夜明けの風』はその中でも最後だけれど、私はここからさかのぼるように、『ともしびをかかげて』『第九軍団のワシ』『銀の枝』『辺境のオオカミ』と読んでいった。(『第九軍団のワシ』にほんの少しでてくる女王がその後に語られる『闇の女王にささげる歌』の作品だ。)そして昨日『王のしるし』『運命の騎士』『太陽の戦士』を読了。キーピングらの重厚な絵がサトクリフの物語にとてもよくあう。いまでているサトクリフの表紙に絵が使われず写真が使われていることに、編集者のひとりが「いまの時代の画家にあの作品につける絵を、と考えると浮かばず写真を選びました」と言っていた。
いままで読んだ作品を思い起こしてみた。晩年の作品『アネイリンの歌』の、ラストはいままでのサトクリフと少し違う世界を感じた。『ケルトとローマの息子』も『夜明けの風』のように、苦しく苛酷だけれど、心に深く重く残る。その重さはいやではない。
結局はよかったという一言に落ち着いてしまうのだが、サトクリフを読めて幸せだった。読むのも決して楽ではないけれど。
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コメント
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タンタンさん
はじめまして
サトクリフ、読み始めると、じわじわとその良さの惹かれずにはいられませんね。
『イルカの家』もとてもよかったです。
投稿: さかな | 2005.10.18 22:44
初めまして。
最近始めてサトクリフを読み始めたのですが、かなりはまっています。
私も灰島かりさんの訳はすごく読みやすかったです。
投稿: タンタン | 2005.10.18 21:07
ぶなの木さん
サトクリフもいろんな方が訳されているので、本当にそれぞれの持ち味がありますよね。灰島さんの訳は私もとても読みやすかったです。先日はほるぷの『はるかスコットランドの丘をこえて』を読みました。いま、この時が私のサトクリフの読み時なんだろうなと思い、タイミングを逃したくなかったのです。読めてよかったです~。
投稿: さかな | 2004.09.17 18:57
さかなさん、こんにちは!
サトクリフ、なんでそんなにばんばん読めるんですか?すご~い!読むのが遅い私は、ほんとにうらやましいです。でも、サトクリフ
いいですよねえ。私も今「夜明けの風」読み始めたところです。その前に「ケルトとローマの息子」を読んで、深く感動していたので、これも楽しみ。「ケルトの白馬」を読んだ時も感じたのですが、私には灰島かりさんの訳が合っているかな、すごく読みやすいのです。猪熊葉子さんの訳も重厚で素敵なんですけれど・・・
投稿: ぶなの木 | 2004.09.16 16:58