歳の神
部落の歳の神が今日だった。夕食の準備をし、その間につれあいが、歳の神の火で焼くための道具を買ってきて、(竹の棒3本とするめ)せっせとその準備にとりかかる。すでに点火されていたので、歩く道すがら、炎の煙が立っていた。「さいのかみ、さいのかみ」と娘がとなえるように口にしていた。一日降っていたぼさぼさとした雪が止み、あたりは真っ白で静か。ざけている道をすべりそうになりながら、場所に到着し、上の子はすぐさま、するめを火にかざしていた。御神酒は配られたあとのようで、つれあいは少したってから、「御神酒ないんで、これでやるべ」とビールを一杯いただいた。上の子2人は、次から次へとするめを焼き、口にいれる。私と娘はおこぼれを待つ。つれあいは、新しいするめを次々に棒にさしている。火が落ちるまではいずに、後にした。小さい子どものいる家族は「これからごはんだから」とやはりぽつぽつと歳の神を後にしていた。この火の煙を体にあてると、おなかが痛くならないで1年を過ごせるなど、無病息災、家内安全の願がある。年をとるたびに、これらの願いがしみじみと心からの願いになっている。
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