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2005.09.08

ボヤンヒシグさんからの返信

                         
オンライン書店ビーケーワン:懐情の原形オンライン書店ビーケーワン:わたしはモンゴル人

4月20日にポストしたボヤンヒシグさんの記事に、ボヤンヒシグさんご本人からコメントをいただきました、うれしいです! いまは北京に住まわれ、8年住んだ日本のことをよく思い出すとのこと。
そうか、いまは北京なのですね。北京ではどんな詩を書かれているのでしょうか。また、ボヤンヒシグさんの文章や詩を読みたいです。
現在『懐情の原形』はブッキングからも、ユニバーサルブックとして、文字サイズを選んで注文できる本になっているようです。

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コメント

ボヤンヒシグさん

 おはようございます。
 こちらも雨がざんざん降ったり、かと思えば気温がぐんぐんあがったり、日によって天気がくるくる変わってます。ほどよい天気というのは望むのが贅沢なことなのでしょうね。
 今日11日の午後2時から13日の午後2時までメンテナンスのため、、ブログへコメントができなくなります。メンテナンスは延長することもあるので、書き込みできない時は気長に様子を見ていただけますか。

久振りですが、お元気ですか?
北京は三日間の大雨。雨が好きですけど、毎日降ると、やはりそこし困りますね。時には、どすんとひびく一行の詩のような一滴の水だけがほしくなります。
イタリアのあの詩、とてもいいですね。
いい詩と出会うことは、なみだが出るほど、幸せですね。

ボヤンヒシグさん

 イタリアの詩人、ウンベルト・サバの詩にこういうのがあります。

   胸のまんなかにどすんと、
   ひびくものがある。それを考えないためには、
   技をみがかねばならない。わたしのなかの、多くの
   ばらばらなことどもを、ひとつの美しいものにまとめる。どれほど
   ひどい病気も、よい一行の詩なら癒してくれる
                「フィナーレ」より(須賀敦子訳)

 よい一行の詩には、贅肉はありませんね。
 私の好きなボヤンさんの詩もそうです。
 よき美しき詩は、何ものにもまさると思えます。
 年上の尊敬する人が「時々、のどが乾くように詩を読みたくなる」と言いますが、私もそうなる時があります。いま、楽しみにしているのは、アーサー・ビナードさんの詩に関するコラムで、そこで紹介されるビナードさんが訳された詩、選んだ詩を読むことです。

さかなさん

こんにちは。
いろいろと教えてくださって、
どうもありがとうございました。僕はやはり<履歴書>のような詩がすきです。
いわば、それは<贅肉>がないですね。

 <生きるほうがましかも>というのは、
さかなさんがコメントしているように
<なんともいえない空気をつくっていますね>。

残念なことに僕は英語が分からないです。


ボヤンヒシグさん

 おはようございます。
 履歴書はドルシー・パーカーです。
 "Resume" Dorothy Parker
 アメリカの女流詩人です。
 http://www.dorothyparker.com/dotaudio.htm
 realplayer をダウンロードしてあれば、上のurlをクリックすると、ドルシー・パーカーさん自らによるこの詩の朗読が聞けます。

 http://en.wikipedia.org/wiki/Dorothy_Parker
 英語ですが、こちらに詳しい情報が記載されています。
 この詩を書かれたのは1926年ですから、ドルシーさんが33歳ころのものですね。

 この英語詩を翻訳したのはアーサー・ビナード(Arthur Binard)さんで、いま、絵本の翻訳などでも活躍されている詩人さんです。
 原題"Resume"の邦訳は長く悩まれたそうで、「要約」という意味のあるこの単語から「作品はまさに「生きる選択」のレジュメだ。ただ、論文というよりむしろ体験談に近く、実感のこもった語りだ。さまざまな危機を乗り越え、修羅場をくぐり抜けてなおこの世にいる作者の「履歴書」でもある」としてこの訳語を選ばれたと書かれていました。

    You might as well live. 生きるほうがましかも。

 この最後の言葉がなんともいえない空気をつくっていますね。

さかなさん、こんばんは。

夕方から北京は土砂降りでした。
雨が止むまで編集室にいて、原稿の最後の仕事をしました。
今、帰ってきたところです。コメントを見て嬉しかった。
評論は主に詩について、書いたものです。小説や本についての文章もありますが。出版パティーもある、と思いますけれど、詩の朗読はとても下手なので、しないと思います。
日本語でも詩を書きたいですが、いつか出来たら、まずさかなさんに読んでいただきますね。
中国語のブログに去年の<履歴書>という詩を訳し、コメントと一緒に載せました。皆がとてもいい詩と言ってくれました。あの詩人はどこの方でしょうか?

おやすみなさい。

ボヤンヒシグさん

 眠ろうと最後にブログをチェックしたら、コメントがありうれしくなりました。

 2冊同時刊行、おめでとうございます。
 詩集のタイトル、すてきですね。「九十九匹の黒ヤギ」ですか。首発式では朗読などもされますか。評論は詩や小説についてなのかしら。どちらもタイトルが興味を惹きます。
 またいつかボヤンヒシグさんの日本語による新作詩も読めますように。

 それでは、おやすみなさい。

さかなさん、こんばんは。
そうですね、その<発>は<発行>の<発>です。
本がゆっくり読めるって、いいことですね。
来月初めに、モンゴル語の詩集と評論集が一緒に出るということで、今少し忙しいですが、二冊の本が同時に出版されるので、ちょっと興奮しています。詩集は<九十九匹の黒ヤギ>で、評論集は<一つの主語七十四の述語>で、何か数字にあまりにも拘った結果になりそうです。
真夏頃、冷えたビールを飲むことはとても幸せなとこですよね。

おやすみなさい。

ボヤンヒシグさん、

 こんにちは。
 4月から続いていた仕事がひとだんらくして、ほっとしています。
 数日ゆっくり本が読めるかな。

 首発式というのが出版パーティのことなのですね。
 発ということばが、これから出発する本を意味しているのでしょうか。

 梅雨らしいじとじとした日が続くようになってきました。
 肩にどっしり雨雲の重さを感じます。
 雷雨のいさぎよさとはまた違って、じとーっとするんですよね。
 こういう時はキーンと冷えたビールが美味しいです。

さかなさん、こんにちは。

出版パーティという言葉を思い出せなくて、中国式に表現しました。
北京は雷雨が多くて、真夏になってきました。
娘の受験があまりいい結果にならず、困っていましたが、まあ、今は元気でどこかの学校に入れば、いいと思っています。

梅雨の時は、大変だと思いますが、お元気で。

ボヤンヒシグさん

 ついつい詩のミューズがくるのを待ってしまいますが、ミューズのもとへ行けるようになりたい、それはやはり書くことなのでしょうね。

 東北も梅雨に入り、蒸してきました。
 首発式というのは、出版パーティのようなものですか?
 絵や写真という視覚的に楽しめるものが入ると、本はとたんに華やかになりますね。
詩集はいかに空間と文字とのバランスかなとも思いますが。

 暑い時はビールがおいしいです。私も昨晩、飲みました。いつかバーで飲める日、近くやってくるといいなと思っています。

さかなさん、こんにちは。
僕も毎日詩を書きたいですけれど、詩は待つものではないようですね。いつか、自分でやってくるかもしれない。
北京はずっと蒸し暑かったが、今日から曇ってきました。雨が降れば、いいと思います。
先日、同級生が現代中国語に翻訳した<モンゴル秘史>の首発式に行ってきました。昔の訳とは違って、絵や写真がたくさん入り、結構売れそうな、派手な書籍になりました。
こちのバーには中国製の白酒などがなく、ウォッカを置いてあります。でも僕は普通ビールを飲みます。
いつか、モンゴル風のバーでご一緒に飲める機会があれば、いいですね。

ボヤンヒシグさん

 詩集はパッと開いた時にあるものが、よく心に響いてきます。先日『懐情の原形』を開いた時にこの「非日常性」があり、染みいりました。
 私もボヤンヒシグさんとやりとりしていた時に、久しぶりに詩を書いたのですが、それ以来書けなくなりました。詩は、評論やエッセーを書く筋肉が違うように感じます。私もいつも詩を書きたいと思っています、が、なかなかミューズが訪れてくれません。

 モンゴル風のバー、行ってみたいです。ゴビ砂漠でウォッカをふるまってもらいました。そのバーにもウォッカはあるでしょうか。

追加:

僕の詩<非日常性>を載せて下さって、どうもありがとうございました。
最近というか、今年に入ってからもう詩を書いていません。年の関係、だというのも可笑しいかもしれないですが、書けなくなっているのが事実です。かなしいですよね。
評論やエッセーなどは少しずつ書いています。何も書けない人生って、暗いです。

こんにちは、さかなさん。

 そうですね。成田空港から二時間あまりで北京に着きます。
僕の自宅は北京空港から三十分かかるととろにあります。
北京はやはり秋がいい、だと思いますね。秋晴れがとてもいいです。
 今日は蒸し暑い日です。モンゴルの長唄を聴くと、気持ちがよくなりますが、それも想像力に頼ります。
 北京でお会いできれば、モンゴル風のバーに行きたいですね。雰囲気が日本のバーと違うと思います。

ボヤンヒシグさん

 こんにちは

 北京への直行便は我が県にはなく、成田からのようですね。行きたいけれど、行けるかな。でもきっといつか北京でお会いできるような気がしています。

 お嬢様の受験が終わり一息でしょうか。好きなご専門を勉強できるといいですね。わが家の子どもたちはみな小さいので、受験までもう少しのんびり遊べそうです。

 今日はこれからアフリカン・ドラムを聴きに行きます。週末がずっと子どもの事や地区の事で休みがなかったので、自分のための休日づくりにつれあいが協力してくれました。楽しみです。

さかなさん:
こんばんは。
昨日、娘の受験が終わり、ほっとしています。
中国の大学受験はますます<教育>という目的から外れているようですが、まあ、好きな専門をすることができれば、いい、だと思っています。
この三日間、北京の天気は、モンゴル高原を思わせるように涼しくなりました。
最近、中国人作家が書いた長編小説<モンゴルの往事>を翻訳したい、と思って、翻訳を始めました。物語は<モンゴル秘史>などとあまりかわらないですが、文学性が非常に高くて、こころを引きます。
そしてもう一つは、自分のモンゴル語の<評論集>らしいものを出版したい、と思って、公表した文章を整理しています。

さかなさん、今年北京に来ないですか?

ボヤンヒシグさん
 北国生まれは、暑い季節はつらいですね。私も北海道生まれなので本州で過ごした最初の夏は辛くて体調を崩してばかりいました。それまで家にはクーラーもなかったので、職場のクーラーもきつかったです。北京の夏も湿度が高いのでしょうか。

 お嬢様、今日が試験だったのですね。よい結果がでますよう!

 最近読んだ本で、カナダの作家アリス・マンローが書いた短篇集『イラクサ』がとてもすばらしく、読了後もしばしば読み返しています。マンローの作品はとても詩的で、現実的でありながら複眼的な視点から人生を見ていて、長い詩のような短編です。ボヤンさんは最近どんな本を読まれました?

さかなさん:僕もとても嬉しいです。
この半年間、お正月一回里帰りした以外にはずっと北京に仕事をしていた。
今、北京は蒸し暑い。寒い国に生まれた僕にとって、たいへん辛い毎日です。
娘が明日大学受験ということで、今日仕事を休んでいます。まあ、合格すれば、と願っています。
これから永く交流が出来れば、うれしいです。

ボヤンヒシグさん

わぁ、うれしいです。お久しぶりです。この半年、ここ会津では大雪の冬で長く厳しい時間でした。いまもここにあった雪がすべて融けたなんて!と家の周りを見渡しています。周りの田んぼも田植えが終わり、稲が少しずつ大きくなってきています。網戸にしていると、蛙の声がにぎやか、にぎやか。
ボヤンヒシグさんの季節はどうでしたか?

また、ゆっくりおしゃべりできるとうれしいです。

ご無沙汰しております。半年もコメントを書かずに過ごしました。さかなさん、お元気ですか?これからも宜しくお願いします。

ボヤンヒシグさん

こんにちは

地震のことご心配くださりありがとうございます。幸い、私の住んでいるところの揺れはさほどでもありませんでした。津波発生の記事を読み、びっくりしたほどです。被害は出なかったようでほっとしています。

昨日、市内で初雪があったようですが夜中だったので気づきませんでした。いまに毎日が雪という日になってきます。おっしゃるように長い長い冬の始まりですね。

永瀬清子さんの詩を思い出しました。

 冬の洞(ほこら)

 冬の洞が座をしめる
 冬の洞はふかい あをい
 青銅色の暁けがたには
 雪は翡翠のやうに茫と光つてゐる

さかなさん、こんにちは。

日本に地震があり、津波の警報が出ている、とテレビで見ていますが、東北は大丈夫でしょうか。僕は日本にいた時、何度も地震を経験していますが、大きな地震にはあってない。阪神大震災の時、僕の友たちが、神戸にいました。

画面については、僕も手紙に似たようなイメージを受けました。<いつかの手紙>ですね。不思議ですが、符号って時にはこういうものですよね。

北京は昨日からスチームが入っています。それにしても室内温度は17度しかないです。長い長い北国の冬の始まりです。

人間って、時にはわがままになるのも当たり前のことですね。例えば、冬になると寒くなり、夏になると暑くなる...世界に生きていますので。

それでは。

こんばんは、ボヤンヒシグさん

おひさしぶりです。
会津もどんどん寒くなり、明後日は雪の予報マークがでています。さて降るでしょうか。山はもう初冠雪がありました。この時季になると、今年は暖冬だろうかとか、雪が多いだろうかという話が会う人ごとに話題にのぼります。カマキリが卵を下の方に産んだら雪が多いとか少ないとか、いろいろな虫情報を頼りしたものもあり、おもしろいです。雪が多いと除雪に大きなエネルギーを費やすので、みなそれを考えたくないために、雪が少ないといいなあと思うようです。ないとさみしいものですが、ありすぎるとやはりつらいです。わがままですね。

このブログの画像は、私が描いたものではなく、既成のテンプレートです。「いつかの手紙」という名前のテンプレートのようです。

今日は娘の誕生日。家で生まれたこの日は朝から家族みんなであの日はこうだったねと思い出を反芻します。

羊肉はやはり故郷が一番なのですね。
私の実家がある北海道も羊肉の焼き肉、ジンギスカンが名物です。私もよく食べました。本州に来てからは食べたことがありません。今年も来年も帰省の予定はないのですが、ジンギスカンや北海道の海のものはいつも恋しく思います。

さかなさん、こんにちは。
久しぶりですが、お元気ですか。
最近、いろいろ忙しくて、十日間もメールを書かなかった。画面も綺麗に変わっていますね。この絵はご自分で画いていますか。このイメージで自分の本の表紙を作りたくなりました。
北京はもう冬。北京にいるモンゴル人やカザフ人やチベット人が故郷からマトンやラムを注文する季節。北京あたりの羊肉は美味しくないからです。
僕も今年の本の編集を一段落しました。後は来年の準備です。
福島も今寒くなっている、と思いますがご自愛を。




ボヤンヒシグさん、

 おはようございます。
 昨日は文化の日で祝日お休み。のんびり過ごしました。子どもたちと散歩しようと思っていたのですが、彼らは友だちと遊ぶ方がいいらしく、「おかあちゃんとはまたこんど」とふられてしまいました。

 オンライン書店で注文していたイギリスの絵本が届き、思った以上に楽しいもので、子どもたちに即興で訳しながら味わいました。絵本は古典ものを読むことが多いですが、新しい絵本との出会いもまた新鮮で刺激的です。

 書評用の本が10タイトルすべて届いているので、こちらも読み始めなくてはと思っています。今日はお昼に子どもの小学校の給食試食会、帰宅してから本を読みます。

さかなさん、こんにちは。
北京、今日は曇りです。僕は相変わらず仕事をしていますが、後一ヶ月あまりでもう2006年になると思うと、何か慌てる気持になりますね。どこでも同じ、年末の忙しさ。

紅葉といえば、僕のふるさとにも、似たような木があり、秋になると、山々を燃えるほど赤く染めてくれます。その赤を今も鮮明に記憶しています。

今、内モンゴルの友人が書いた随筆集を読んでいます。書評のようなものを書いてくれ、と頼まれました。出版元がこちではないので、面白く書きたい、と思っています。

そうですね。映画を劇場で見ることはとてもすばらしい体験だと思います。僕は映画を劇場で見るのは年に二、三回だけです。ほとんどテレビで見るのですが、どこかで息苦しい感じがします。この間、張芸謀監督と高倉健さんの映画の話をテレビで見たけど、公演したら是非見に行きたいです。日本語の名前は覚えていませんが。

こんばんは

 山登り、いいですね。いまの季節は紅葉がいいですよね。花はなにか咲いていたでしょうか。近くに山がありながら、山登りをまったくしていません。もうちょっと下の子どもが大きくなったら家族で出かけてみたいです。

 寒くなってくると行事もひとだんらくし、締切のある仕事も少しずつ終わってくる時期と重なり、自分の読みたい本を読めそうで楽しみです。とはいえ、師走はやはり少しばたばたしそうですが。年賀状の発売もあるので注文もしなくては、あれこれと気がせくこともあることに気づいてしまいました。あ、その前にクリスマスカードも準備しなくては。

 週末は「亀も空を飛ぶ」という映画を観てきました。劇場でみる映画はとても久しぶりです。イランの子どもたちを描写したもので、子どもの笑顔、泣き顔が戦争の悲劇をしみじみ感じました。


さかなさん、こんにちは。
金曜日から昨日の午後まで、何人かの友たちと一緒に郊外の山に行っていた為、コメントを書けなかった。申し訳ございません。
市内よりは寒かったけれど、とても静かなところでした。そして紅葉が美しい。その山は北京市内から西にありますが、そこから、北京市内を鳥瞰すると、戻りたくないですね。
今日からはまだつまらない仕事に出ています。後何年間で退職ですか?と考えるほどです。
さかなさんは11月が比較的暇です、と書いてありましたが、いいですね――自由自在に好きなことができて。

ボヤンヒシグさん

ふふ、月や太陽の地元じゃないというところで私もふきだしてしまいました。笑いどころ、はずしてないでしょうか。愉快になる話はいいですね。今月提出した書評本の中に1冊、ただただ滑稽におもしろい話があり楽しめました。

お体の調子が上向いていてなによりです。長い長い物語の編集が調子よくすすみますよう。


こんにちは。
からだの調子はすこし回復していますので仕事に出ました。内モンゴルに今回はもう行かないようにしました。今日の北京は寒くて、雪も降りそうです。冬が近づいています。
長い、長い物語の編集に当たっていますが、
内容が歴史に深く関わっているので、とても疲れます。僕の中に多分歴史小説の細胞がない、と思いますね。
先ほど、同僚が笑い話をしてくれて楽しかった。その内容:或る夜、二人のモンゴル人が酔っ払って、帰宅する途中で月についてこういう話しをしました、一人がそれは太陽、と言ったら、一人がそれは間違いなく月と言いました。誰も相手に負けず、この話しは続いた。その時、一人の男が二人のところにやってきました。二人は彼に:いったい月ですか?太陽ですか?と聞いた。男は答えた――僕もしらないんだ。地元の人間じゃないので、と。
******
つまらない話しを書いて、申し訳ない。僕の周りの人たちはよくこういう話しをします。お酒を飲みながらこういう話しで盛り上がる時もあります。

おはようございます。

ご体調、早く快復されますように。内モンゴル行きも中止になりさみしいですね。でも、お体が一番です。

霧に排気ガスのにおいがついているのですか。都会ならではなのでしょうね。田舎の霧はただただ白く寒いです。今朝も少しでています。だんだん初霜がおりる季節も近づいてきているようです。

昨日はここ2年ほど捜していた古書を見つけることができいま注文中です。手元に届くのが待ち遠しい。版元がなくなっている本だったので、古書でしか手に入れることのできないものだったので。

では、どうぞお大事にされてくださいね。

こんにちは。
今日、北京は霧です。都会の霧は美しくないですね。やはり石炭の煙りのように見えます。そして排気ガスの匂いをしていますね。
僕は体をすこし崩したため、内モンゴルに行くこと(明日出発の予定だった)をやめています。今の調子で行けば、何の仕事も出来ない、と思いました。
今日は仕事にも出ず、休んでいます。
僕の実家にも牧羊犬を飼っていました。その犬が年をとってから或いは病気で死ぬと、子供たちはみんな泣きますね。犬と馬はやはり牧民にとっていい仲間でした。

おはようございます。

いつも広くて大きな詩を読ませてくださり、ありがとうございます。詩を翻訳してくださるおかげで、私もそのすばらしさの幸をわけてもらています。

“色々な天の下の膨大な空(くう)”

なんと広々している言葉でしょう。

今朝は仲良くしている、お隣のクーちゃん(犬です)が老衰で亡くなったことを知らされました。早朝だったようで、まだ体があったかかったそうです。わが家では犬を飼っていないので、クーちゃんに朝夕、声をかけていました。子どもたちが登校したあとなので、帰ってきたらまた一緒に手をあわせようと思います。
「天の下の膨大な空」にクーちゃんが静かに眠っています。

こんにちは。
今日は午前中、仕事に出て、午後は私宅に戻りまた。故郷の小さな雑誌に頼まれた作品を書きたい、と思って。
来年からは<金の鍵>というモンゴル語の評論誌にコラムを開く約束もあります――モンゴル国の短い詩を解読する内容です。二ヶ月に一回出る雑誌ですが、毎回二篇ぐらい書いていきたい、と思っています。初めてのコラムでもありますが、楽しい仕事になりそうです。
その中から一篇を訳してみます。若い女性詩人ですが、なかなか繊細に書いています。

無題

山を見て、自分が山であることを分かります
霧を見て、自分が雲であることを分かります
雨が降ってから、自分が草であることを分かります
小鳥のさえずりを聞いて、自分が朝であることを分かります

わたしは唯人間ではない

星達が燃える時、自分が暗闇であることを分かります
若い女たちが薄いスカートを着始める時、自分が春であることを分かります
世の中の誰もが同じものを求める時、
自分の心臓が魚の心臓であることを分かります

わたしは唯人間ではない

色々な天の下に膨大な空(くう)
今日からわたしは、唯....

************
拙訳でしたが、この詩人の想像力が伝えれば、それでいいと思いますね。


おはようございます。

 インターネットが込んでいる時、ブログ背景画像の読み込みに時間がかかるようです。夜になるにつれ、接続にかかる時間もかかります。多くの人があちこちにインターネットにつながっているのでしょうね。

 北京もセーターですか。東北もそろそろそんな季節です。いまは、ちゃんちゃんこのような上着を室内に着ています。今年、灯油はとても値上がりしストーブも少々倹約せねばと思っているのですが、なかなか難しいです。

 昨日はヨーロッパの民話を勉強をしてきました。本当は日本やアジアの民話を学びたいと思うのですが、なかなかいいテキストが見つかりません。
 民話が私たち、とくに子どもたちにどんな影響を与える文芸なのかについて考えました。わが家の子どもたちは創作物語も読みますが、年齢差をこえて楽しめるのは民話ですね。民話は飽きずに何度も何度も聞きます。その聞き入る姿、楽しむ姿を一緒に味わうと民話は心を育てるなぁと思えるのです。

メールを書いている時、画面はそうだったが、送信してから前の綺麗な画面が出てきました。

さかなさん、こんにちは。

詩の翻訳を読んでくださって、有難うございます。
二日間の会議が昨日やっと終わりました。今は会社です。
いろいろ勉強にはなりましたけれど、こういう会議はやはり書く人間にとってはあまり意味がないです、という感じでした。
母校の先生たちや同級生たちと久しぶりに会って嬉しかった。

しかし今日の画面は何の絵も、色もなかった。僕のコンピュータの問題でしょうか。

北京はもうセーターを着るほどの温度です。

ボヤンヒシグさん

 こんばんは
 ダシドンドクさんの詩をありがとうございます! すごくきれいな音とイメージですね。ボヤンヒシグさんの翻訳も詩に寄り添っていてさすがです。

 北原白秋の童謡に「赤い鳥小鳥」がありますが、それを彷彿させました。

 赤い鳥、
 小鳥、
 なぜなぜ赤い。
 赤い実を食べた。

 わが家の子どもたちが小さい時、この詩を何度も読み、しゃべるようになった子どもが今度はかわいらしい声でこの詩をとなえていました。ダシドンドクさんの詩も、小さい子がとても好きになる詩ですね。小さい子どもたちは美しい詩が大好きですもの。ボヤンヒシグさんが〈自然の光〉として文章を書かれたのもわかる感じがしました。真っ白い子羊は雪のあとに生まれ、小ラクダが黄色いのは黄金のゴビに生まれたからと。広くて美しい光がみえてきます。そして生まれたての子どもたちの命も。

 この週末は会議なのですね。発表が成功されますよう、そして有意義な語らいがありますよう。

さかなさん、こんにちは。

今日、北京はいい天気でした。
その絵をみました。送ってくださり、どうも有難うございました。

ダシドンドグさんの詩の中にはこういう一篇がありましたので、翻訳してみます。だいたいの意味が伝えられる、と思います。これは人間と可愛い<子>たちの対話です。家畜の子達が生まれた時の自然の色をしていることはとても詩的ですね。この詩について、僕が評論みたいな文章を書いたことがあります。<自然の光り>というタイトルで。


************

五つの色

子羊さん、子羊さん、
あなたは何故白いですか?
雪の後、生まれたから
白くなるのは当たり前でしょう。

子ヤギさん、子ヤギさん、
あなたは何故青いですか?
澄んだ朝、生まれたから
青くなるのは当たり前でしょう。

子牛さん、子牛さん、
あなたは何故赤いですか?
日が昇る時、生まれたから
赤くなるのは当たり前でしょう。

子馬さん、子馬さん、
あなたは何故黒いですか?
夜中に、生まれたから
黒くなるのは当たり前でしょう。

子ラクダさん、子ラクダさん、
あなたは何故黄色いですか?
黄金のゴビに、生まれたから
黄色くなるのは当たり前でしょう。

(ダシドンドグさんの詩集<棗色の駿馬>より)*この詩集の編集は僕が担当しました。

*************

明日から明後日まで、会議に参加します。発表することを考えると、とても緊張します。
でも、久しぶりに文学関係の友達とあうことが楽しいです。

週末をお楽しく過ごしてください。


ボヤンヒシグさん

こんにちは
 さきほど『みどりの馬』が届きました。物語も絵も翻訳もすばらしいですね。表紙の躍動感あふれる馬はいななきが聞こえるようです。みどりがなんてきれいなんでしょう。挟み込まれていた文章に、著者のダシドンドクさんが「洋服や食べ物は無くなりますが、心のご馳走の本は、いつまでも残ります」という言葉が紹介されていました。ゆたかな物語は心を育てますね。私もそう思います。この方の書かれる詩も読んでみたくなりました。子どもに向けて書く詩はむつかしいです。いつかもっと精進して書いてみたいです。

 娘は自宅で生まれたので、居間の「ここ」は日常の「ここ」でもあります。「月と太陽」をていねいに細やかに読んでくださりうれしいです。私は今も娘が生まれた時の太陽をよく覚えています。

 野間国際絵本原画コンクールで、モンゴルのボロルマー・バーサンスレンさんの絵がグランプリに選ばれたそうです。今日の私の名前をクリックするとその絵を見ることができます。モンゴルという文字を見るとついつい興味をひくこのごろなので。

さかなさん、こんにちは。

月と太陽の詩を読みました。
月の光りが映る居間の床を自分の生まれた場所だという娘。
そして、そのイメージが広がり、高窓からみえる月になり、その月をまっさきに子供たちが見つける。<ここ>は<床>であり、<太陽>であり、もちろん<月>である――という風に読むことができました。<ここ>からすべてが見えますね。太陽が見えることによって、<生まれる時を私が知った>というのが素敵。

例の作家は子供向けの詩も美しく書きます。モンゴル国の児童文学のなかでは指折りの作家といっていいですね。僕も彼の本の編集を担当したことがあります。

ボヤンヒシグさん

 こんにちは

 ご友人の『みどりの馬』、オンライン書店で在庫があったので注文しました。近日届くのが楽しみです。

 ボヤンヒシグさんと月の話をしていて、昨晩ひとつ詩が書けました。夜の空では、冬が好きですが、こうして話をしていると秋の月の魅力にも気づきます。

月と太陽


 
 どこで生まれたのとむすめに聞くと
 ここ、
 と指さすのは居間の床


 その居間で月見をする
 高窓から見える月を
 まっさきに見つける子どもたち
 私の膝で月見をする
 わらべうたをうたう


 むすめが生まれた時に
 見えたのは太陽さん
 あつい雲間からそれがみえた時
 生まれる時を私が知った


 ここで生まれ
 ここにいる
 そして
 ここで月見をする


さかなさん、こんにちは。

今日、午前中は、日本に短期で行く友たちの滞在予定表などの手伝いをしました。彼は日本語は少し分かるけど、書くのがあまり上手ではない人なので。

午後は仕事に移っています。

昨日の話ですが、画面を二週間か四週間で一回チェンジするとこはいいですね。絵も、そして色もそれぞれの<ことば>で世界を語っている、と思います。

僕の友人で、モンゴル国のJ.ダシドンドグという作家の<みどりの馬>という童話の本が二、三年前、日本に翻訳されています。僕もウランバートルで読んだことがあります。翻訳も、絵もすばらしい。

月の詩は昔、幾つか書いていますが、やはり秋の月が一番美しい、と思います。月の光りか、それとも秋の風か、分からなくなる時があります。しかし、今の都会にはそういう美しい月はほとんど見られません。一昨日は例外でした。

ボヤンヒシグさん、

こんばんは。
さっそく、インタビューを読んでくださったのですね、ありがとうございます。「イメージが浮き彫り」と言ってくださるとうれしいです。

昨日は満月だったのですね。月を確認することなく、子どもたちを寝かしつけ、そのまま寝入ってしまいました。わが家では、居間の窓から月が見えることがあります。先日、私がイスに座ったところからよく月が見えたので、3人の子どもが入れ替わり私の膝でお月見をしていました。そうですね、ふるさとの空にも月がでているのですよね。

実家ではなくても10時間は長旅! さらりと書かれていますが、決して短い時間ではないです。いい風景、そしてお友達とよい時間が過ごせますように。

料理も、つくるものが決まれば集中して野菜をきざんだり、ことこと煮たりの作業はとても楽しいです。今日はあったかいとろみのついた汁椀をつくりました。

昨晩は、子どもたちに『子どもに語る モンゴルの昔話』の本から、「石になった狩人」を眠る前に読みました。最後に自分の身をかえりみず、耳にした情報を村人に伝え石になっていくところで、子どもたちがぐっと息をとめて着きっている様子が伝わってきます。この昔話の絵本ももっていて、こちらも子どもたちの好きな絵本。画家の赤羽さんの絵がとてもすてきな絵本です。

さかなさん、おはようございます。

インタビューは読ませていただきました。穏やかな雰囲気の中から、翻訳者のイメージが浮き彫りになってきます。
そして<時々、聞こえるゴロン、ゴロンという音で他にも何か生き物がいる様子だ>いうことばがとてもユーモアで、読む人をその場へ呼び寄せますね。

北京も冷え込んだ朝でした。いつも河のほとりを歩いて、出勤しますが、こういう時、<水>のイメージが夏とは全然違って、氷の方がましだという感じです。

僕はよくご飯をつくることがあります。苦労しているとは思わない。一篇一篇の小さな<作品>を書いていくように考えながら作ります。楽しいひと時です。
昨日は旧暦九月十五日で、台所の窓から満月が見えていました。故郷の空にも同じ月が耀いているだろう、と思った瞬間、何故か一瞬ぼんやりしました。台所はやはり狭すぎますね。

僕は今回、実家ではなく、フフホトという自治区政府所在地に行きます。内モンゴルの真ん中あたりです。北京から十時間の距離です。

ボヤンヒシグさん、こんばんは

 今朝は霧がとても濃く冷え込んだ朝でした。子どもたちが、なんだか暗くて朝じゃないみたいだと言いながら登校していきました。ストーブをつけたり消したりしながら、行事のまとめをして、午後は本を読んでいました。今日読んだ本は展開の早い本で、上下2冊をいっきに読むことができて、ほっとしています。あともうちょっと。

 編集者の方がつくられているサイトに、インタビュー記事を担当させてもらい、公開しました。私の名前をクリックされると、そのページに飛びます。ミニ写真集に、インタビュアーと、ということで私の翻訳者の方の2ショットも載せています。もしよろしかったら見てみてください。

 よい仕事をされている翻訳者の方で、インタビューをしている時間もとてもいいものでした。

 今月末には内モンゴルに帰られるのですか。24時間の旅をされるのですね。同窓会、楽しそうですが、確かにお酒もたっぷり飲まれるでしょうね。私も先週末の慰労会は、たっぷり飲みました。
 そういえば、短いゴビ砂漠の旅でも、ゲルでいっぱい馬乳酒やなにかのお酒をふるまってもらいました。みなさん宵っ張りで、私の方が先に寝てしまい、日の出を見ようと計画していたのですがすっかり寝坊してしまいました。楽しいお酒で、私はモンゴル語は旅行前に本で少し勉強しただけで、あとは絵を描いたりして意思疎通をしたんです。歌もうたったり、なんだかいっぱいしゃべって飲んだ気がします。すごくすごく楽しかった思い出です。

 画面は2週間から4週間に一度変えています。見てくださった感想をいただきうれしいです。

こんにちは。
この画面が先週変わっていますね。季節の変わり目に、とても温かい感じを与えています。
さかなさんの書評は自由自在に書かれていて、鑑になります。
僕がいった<真面目>というのはやはり、何処かである程度の制限が働いているということです。自分もこの出版社の人間ですから、書評を書く時、読書人より会社という存在を意識して書きます。そのため、それを自分の作品と思いません。それはあくまでも<仕事>です。
今日、北京はいい天気です。2005北京国際マラソンが先ほど終わっています。テレビですこし見ましたが、日本の選手たちの頑張っている姿を目にして、こころの中で応援していました。
今月末に内モンゴルに行く予定ですが、いくつかの仕事を先にしておくことが必要になっています。
内モンゴルに行くのが楽しいことでもありますが、今年、僕のクラスが卒業20周年を迎えていますので、飲み会もきっと多いだろう、思うともう胃が<痛くなります>ね。

ボヤンヒシグさん

 おはようございます。拙文を読んでくださったのですね、ありがとうございます。あんな感じで、毎月書いています。いつも書くまでは、本当に書けるのだろうかと、なにも書いていないパソコンのエディタの前で途方にくれます。でも最初の一行が書けると、構成が決まりようやく動き始めます。毎月、その一行がでるまでは緊張しますね。

 ボヤンヒシグさんの<真面目な>書評、読んでみたいです。

 この週末は、子どもの保育園関連行事があり、準備、本番、慰労会と朝から夜まで時間をとられていました。無事終わり、ほっとしています。来月もうひとやまあり、それが終わると、少し楽になる予定です。今日はのんびりします。

さかなさん、こんにちは。
書評を10篇読ませていただきました。嬉しいです。WEBで発表する書評は初め。それらの本は読んだことがないですが、書評って、確かに僕のような読者を対象にしていることもあると思います。
書評をプリントしています。印刷すると安心するし、或る意味で記憶を<固定>しているように思われます。
互いに重ならない書き方で読者を巧みに<読み>へ誘う美しい文章たち。書評者ご自身のことも書かれているところが素敵ですね。<表現は多彩>で、書物を風景に描いたエッセーを楽しんだ感じになります。
僕も書評を書いていますが、ほとんど<国営会社>の依頼で書くので<真面目>過ぎになります。
これからの書評もこういう方法で読めるんですね。

ボヤンヒシグさん

 今日のこのコメント欄にある私のハンドル名「さかな」をクリックしていただくと、今月公開された文庫本書評が読めます。雑誌のような紙媒体ではなく、いまはこのWeb版で毎月新刊文庫本を10タイトルを書かせてもらっています。自分で選ぶ本ではないので、いままでは手にとらなかったような作品も読めて勉強にもなり楽しいです。

 単発では、昨年『ドン・キホーテ』の書評を書きました。これはさまざまな書評を集めた本のひとつとして載ったもので、完訳のおもしろさを堪能しました。子どもとは、ダイジェスト版で一緒にそのおもしろさを共有したんです。


 「降った雨はやむ、来た客は帰る」この言葉をつい口にしています。場面をスケッチしているようで、そのときの情感にふれているようなボヤンヒシグさんのエッセイ、ほんとうにすばらしいです。


 内モンゴルは雪!
 私の住んでいた北海道も山の近くだと10月に雪がふるときもありました。北国だとやはり寒い季節がいちばん、その土地らしさがでるように感じます。北海道も冬が長いですが、冬になると、北海道の本領がでていました。

 こちらは、秋晴れで風が少々強いです。稲刈りした藁があちこちで、干してあったり、丸めてあったり、縦にたばねてあったり、様々な形をしています。


さかなさん、こんにちは。
エッセーを細かく読んで下さって、有難うございました。今、それを読むと、千葉にいた時のいろんな思い出が目に浮かんできます。歩いていくと、十分ほどで海に着くところで二年間住んでいました。大学院の指導教授―勝又浩先生の原稿依頼でそのエッセーを書きました。あの先生は私小説の研究家で、感性が非常に洗練された方でした。
北京、今日は曇りで、雨が少し降っていますが、とても寒い。内モンゴルは昨日雪でした。テレビで、その風景を見て帰りたくなりました。もう冬の足音が聞こえてきましたよね。
母語は一番偉大なものだと思いますが、しかし身につけた外国語もそれと溶け合い、一緒になります。
書評はインタネットで読めますか。どういう雑誌に掲載されていますか。教えて頂ければ、読んでみたいです。

 すてきなエッセイをお送りくださり、ありがとうございます。パソコンの画面で読んだと、紙にも印刷して読みました。ボヤンヒシグさんの詩も文章は、読むたびに、体の細胞ひとつひとつにしみこむようになじみます。そして、自分の中の情感がつよく反応します。

 「降った雨はやむ、来た客は帰る」というモンゴルの諺、「何かを手に入れ、何かを手放す」こと。
 あたりまえのことを受け入れていくことが、つらく感じる時がありますが、それらは手放すことでもありますね。

 私も私の中で動く言葉を大事につかっていきたいです。私自身は、母語以外でそれをすることはないと思いますが、まだまだ自分の母語も耕す余地はありそうです。

 今日は、書評に時間をとれず、子どもの保護者会関係行事の準備でいそがしく動いていました。秋は子どもの行事がいろいろあります。来月になるとだんだん落ち着くのですが、それまでは、目の前のしなくてはいけないことを、ひとつずつ終わらせていかなくては。

こんにちは。
今日は、昔の作品を探していたら、<文科>に発表していたエッセーが一篇が出てきた。短い文章ですので、さかなさんに送ります。書評を書いている最中、申し訳ないです。
僕は今も、そういう考えかたです。

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僕の小さな日本
(<季刊文科>16.平成12年秋より)

梅雨の季節がまたやってきた。毎日、雨が降るような、止むようなしみじみとした天気がつづき、家で静かに本を読んでいると、近くの道路をたまに走り去る車の音までが、濡れているように重々しく聞こえて来るのである。いつもJR千葉駅に向かう途中の街角に毎年咲いている紫陽花も、雨を思う存分に讃美するかのように、その独特なやわらかい鮮やかさを一層際立たせ、目を引くのである。
僕はこの風土の中に、もうまる八年間過ごしている。パウル.ツェランの詩に<未来のさらに北を流れる川で わたしは網をうつ>という二行があるが、僕の場合は、未来のさらに東に浮かぶ島まで来てしまった。僕はもともと北の人間ではあるけれど、万里の長城を越えて南下し、北京で七年間も日々を送ったことがある。信号を見て上手に曲がっていることでもないと思うが、その次に海を横切って、日の出る国まで来ている。いわばあと一歩でもう西になるところの東の土に足を踏み入れることで、僕の未来は幅が広がったといえる。
<降った雨はやむ、来た客は帰る>というモンゴルの諺通り、僕も日本を離れることになった。そして別れの挨拶の代わりに、小さな本を一冊を書き残した。僕の初めての日本語の詩文集<懐情の原形>のことだ。なぜ外国語といわれる日本語という媒体を、あえて駆使しょうとしたのか。この長くもない、短くもない八年間、外人である僕も自分の小さな日本をひそかに育てていたからではないのか。と思う次第だが、その小さな日本というのはまぎれもなく僕の日本語であった。すなわち、僕は日本語の凹凸にさわることによってこそ始めて日本を理解することができるようになったということだ。その一例としていえるのはこの<懐情の原形>である。
生まれて初めて母語以外のことばで表現を試み、しかもそれを本という形にまとめたことのささやかな喜びは確かにあるものの、不思議なことに本が出来上がってから一度も読み返したことがないし、それどころか、表紙を目にするだけで一種の恥ずかしさを感じるのである。当然、僕の日本語文学の初体験を他者の前にさらけ出してしまったという本能的な反応によるものでもあるかもしれないが、やっぱり自分の未熟さを繰り返し見る勇気足らないこと、そしていたちごっこめいたものを避けるために、すでに形になったものをほうっておくということが主な原因だろう。そのためか、この何ヶ月間、何も書かないで、もっぱら乱読に集中している。というより何も書けなかったのである。その本は一冊も手元に置かないようにしている。もちろん記念として、あるいはプレゼントとして何冊か持って次の旅に出るであろうが、その本はもう流れ行く時間のほんのわずかなかけらに過ぎないものになっている。その中に多少、僕の日本語で表した詩学が含まれているだろう、ということだけが、切ないことに唯一の安らぎを僕に与えるのである。
何かを手に入れ、何かを手放す。手に入れることによって何かを所有しよう、とするが、結局は、人間とは、自らの命さえ所有することも出来ず、無に所有されてしまうので、自分を含む様々なものをどんどん手放していく。それは浮世の条理では悲しすぎることのように思われるけれど、文学の生理で考えれば、新しさ、大きさ、広さを求めることだ。僕は長年故郷さえ、母語さえ、手放したままに生きている。その挙句、たくさんのものを手に入れて、またその場から離れようとしている。決して僕が豊かになったというのではないが、常に動いているに違いはない。もし、日本語が僕の夏営地であるとすれば、<懐情の原形>は僕のゲルの跡である。それが僕の日本で生を営んだ証。時間が経つと、新しい<牧草>がそこに生え、生きているという実感が足元からしっかり伝わってくる。
僕の身につけた日本語は非常に限られている故に、僕はこれから、北上するにしろ、南下するにしろ、それを丁寧に育てていくつもりだ。渡る世間は英語ばかりという世の中だが、この地球の凹凸をわかるためには、一つでも多くの言語を使いこなすことが必要であろう。僕はしばらく日本語で本なんかを書くつもりはない。しかし、短い詩でもちょいちょい書いたりしていきたい。つまり、自分の中に滲み込んでいる<小さな日本語>を常に少しでも動かしたいということだ。
今日、突然<懐情の原形>をモンゴル語に訳す予定はあるか、という電話がはいった。僕は自分でそれを何語にも訳さないように考えている。と答えたが、相手は些かびっくりしていた。自分を翻訳することのつらさを僕は知っている。その本を日本語のままにしてほしい。

こんばんは。
昨日、例の論文を提出して、ほっとしましたが、遅くまで飲んでしまいました。常温のビールでした。次は22日の発表です。
今日は編集の仕事に没頭しました。北京はだんだん寒くなってきているようです。
詩も書いたりしますが、気に入る作品はなかなか出来ない状態です。
この時期に、東京の森林公園に行ったことを思い出します。ちょうど着いた時に、閉めていました。時間感覚の違いもあると、思いますが、森林公園って、そとから見た方がいいかもしれない、と思ったことがあります。
万里の長城から北の方は、今冬に限りなく近づいていています。冬の長い国からいい作家が生まれる、という言い方がありますけど、さなかさんが例にあげたようにロシアからは確かに出ていますね。

ボヤンヒシグさん

 こんばんは。今日も祝日休日でお休みです。ハッピーマンデー制度導入で、祝日も毎年、何々月の第何曜日という風に、固定しているようで、決まった日が祝日ではなくなったことに、いまだ慣れていません。でも今年の体育の日は旧来の体育の日と同じく10月10日なので居心地がよいです。とくに運動などはしていないのですけれど。
 子どもたちは、休みの日ほど自主的に起きて、朝からワイワイ遊んでいます。
 書評用の本を3冊読了しました。
 感想を言葉にするのはもう少しあとになります。
 本棚の前で次に読む本をどれにしようと迷うのが、ささやかな楽しみなのです。

 肌寒くなってくると、あったかいお酒が飲みたくなりますね。寝酒をなににしようかなと思案中です。

こんばんは。
さかなさん、日曜日をたっぷり楽しみましたね。
今日はパソコンが故障していたため、何も書かずに洗濯などをして過ごしました。家庭主夫の一日でした。お昼は友達とモンゴル風のしゃぶしゃぶを食べました。北京はもうビールが合わない季節になってきました。
24時間は半分が汽車で、半分がバスです。途中で泊まらずにいけば24時間ですが、ゆっくりいけば、二泊もします。これには距離の問題もありますし、汽車やバスのスピードの原因もあります。今年、旧暦お正月の時、帰省するつもりです。
随筆はモンゴル語で書いていますが、今度翻訳を試してみます。
僕は青森に行った時、仙台を通過しました。山に囲まれた町でした。群馬も盆地で、夜景が綺麗という記憶があります。


こんばんは

 24時間! 眠ったり起きたりしながら行かれるのでしょうか。長いですね。たまに東京に行き、会津にもどってくるとき、ローカル線にゴトンゴトンとゆられていると、ぐんぐん緑多く、山多い中に入っていくと、東北の土地に入っていくのをいつも実感します。これから雪のふる冬になると、その風景の変化はとても顕著です。雪がまったくない東京から、しんしんと雪のふる会津にもどってくる時はなんともいえない気持ちになります。ボヤンヒシグさんも実家に帰られる時に、歴史の中に戻っていくという感覚を想像してみました。24時間という時間をかけて、家に戻るのですね。

 そして会津も盆地なので、周りが山々です。私も山をみると、落ち着きます。

 今日は、近くで、技能・工芸品フェアがやっていたので家族で行ってきました。造園、配管、左官、美容、板金、畳など、様々な技能を近くでみることができ、子供たちも体験コーナーで、半田づけをしながら3分間タイマーをつくったり、拓本もしてきました。お昼も、フェアの出店で食べ、たっぷり楽しみました。

 随筆は何かに掲載されるのでしょうか。私も中国語が読めるといいのになと思いました。コンサートもすてきだったのですね。ウランバートルでコンサートに行った時、馬頭琴を聞きました。おもしろい音色で楽しんだ思い出がよみがえってきます。

こんにちは。

今日は仕事に出るはずですけど、論文を月曜日に提出しなけれならないので、家で<篭城>することにしました、明日も。仕事場に九人も一緒に仕事をしていて、全然落ち着かない状態です(特に今日は皆が一週間ぶりにあっているので)。

月に10冊の量で、書評を書くこと、とても素晴らしいですね。田んぼが見えるところで、児童書を読む童話の世界!うらやましい。
僕は一番多い時でも年に10冊の量で本を編集します。好きな本には書評を書くこともあります。
今日は北京も<晴空万里>。ベランダから久しぶりに山を見ることができました。山って、僕にとって何かたよりになるような感じです。

昨日は今年初めての投稿(6篇の随筆)をしてから、コンサートを見てきました。内モンゴル伝統的な歌と踊り、そして馬頭琴とホーミーで、都会を忘れさせてくれる懐かしさに溢れたものでした。内モンゴル自治区は北京から近いが、僕の実家は24時間もかかります。歴史の中へ、戻っていくような気がします。


こんにちは

 今日は、読んだり、少し書くものがあったりで、ひとつずつこなしていきました。私はいま、新刊の文庫本を毎月10タイトルほど読んで、短い書評を書いています。いつもの月は前月末に本が届くのですが、今月は少し遅れ、昨日、今日どさっと到着しました。どれから読もうと思いながら、別の児童書を2冊ほど読んでしまいました。

 天気のよい日で、1週間ぶりに外で布団を干すこともできました。読んで書いて区切りのいいところで、外の布団を入れ替えます。田んぼでは、稲刈りがどんどんすすんでいってます。

 荒川さんは内モンゴルに行かずして書いたのですか! すごい。

 おいしそうなおみそ汁ですね。私も今日は大根のおみそ汁にしようかしら。巻きずしまで食べたくなってきます(^^)

 私は実家まで、電車や飛行機を乗り継いで、途中の待ち時間もいれると片道8時間もかかります。遠くて、数年に一度しか帰省していません。同じ日本でも、交通が不便なところだと、とても遠い場所になってしまいます。

 明日は週末。少しのんびりできます。

さかなさん、こんにちは。
荒川先生のあの<全集>は僕がいた時に、作られたと思います。中国やモンゴルでは考えられないことですが、日本では作家が自分で生きているうちに<全集>を出版し始めますよね。先生は内モンゴルにいったことがないですが、そういう詩を書くというのは不思議な想像力です。
<活きる>は僕が日本にいた時に映画になった作品です。本を四年前読んでいるが、映画はまだ見てないです。確かに張芸謀監督の映画だったと思います。
昨日の夕飯に味噌汁を作って食べました。本物の味噌汁は作れないけれど、時にはそういう味が食べたくなります。九年間もその土地に生きてきたことは、僕の人生にとって大きな意味を持っています。ギンダラと大根と木綿豆腐と白菜を少しずつ入れました。味がなかなかのものでした。中国東北産の味噌でしたが、今度は日本産のを探して買います(そういうお店は北京にはけっこうあります)。娘のために巻き寿司をつくることもあります――娘は日本に一ヶ月滞在したこともあるし、日本の野村万斎の大ファンでもあるので、日本の食べものが好きです。
明日は故郷の歌舞団のコンサートを見る予定です。内モンゴルは北京から飛行機で一時間の距離ですが、ふるさとはやはり<遠い>。

では、いつもお元気で。


こんにちは

『荒川洋治全詩集』を借りてきました。荒川さんが小学校5年の時に書いた詩から2000年に至るまで収録されているこの本のぶあつさ! 言葉、また言葉の詩集。「内蒙古自治区」読みました。1974年に書かれた詩なのですね。

   黄土をしずんでいく。木ぐつのような苦い頭部をぬいでいく。

行ったことのない土地のイメージが喚起されます。詩は一瞬であり、永遠でありですね。

 余華の『活きる』も借りてきました。読むのが楽しみです。

こんにちは。

詩を読んで下って、有難うございます。自分のどの時間にも存在する私達には詩が役に立ちます。詩はある意味で、瞬間をつかむことかもしれません。
今日は詩集たちを乱読しています。何の目的もない一日になりそうです。新幹線に乗って、旅に出たように、風景が僕の中を通り過ぎます。日常から解放されて、これも一種の幸せですよね。荒川先生が書いた<内モンゴル自治区>が不思議な光を放ちます。―<具体の北辺、オルドスを感受しながら、自治区のとろけた時制をさすっていく>と書いています、これはわれわれ内モンゴル人がぜったい書けないイメージですね。

ボヤンヒシグさん

 詩をありがとうございます。
 短い小さな時間の中に、すっくと立つ「私」が見えるようです。私たちは、自分のどの時間にも存在するんですね。

 昨晩はニュージーランドの物語で邦訳された青春小説を読みました。15歳の少年2人の軽快なやりとりの背景に、友人の抱えるある事情があり、一日一日生きることについて考える本でした。授業の場面で、少年が書いた詩を読み上げる場面があります。読み終わったあと、先生が「詩が何かを語るとき、それはずっと人の心に刻まれることになります」と、少年の詩の感想を言います。少年の詩にも、先生の言葉にも共感しました。詩が語るものは、アルバムに貼った写真のようにくっきりと残ります。

 今日はこれから韓国のファンタジーを読みます。
 余華の作品も、今度さがして読んでみようと思っています。

 また詩が書けましたら読んでください。

さかなさん、こんにちは。

昨夜遅くまで、映画を見ましたので、今日はお昼まで寝ました。夢の中で長い旅をした感じです。
僕は普通、香港の映画はあまり好きではないですけど、娘が好きなスターが主演しているので、仕方なく、一緒に見に行きました。映画としてはあまりいい作品ではなかった。
さかなさんの<ふるさと>は本当によくできています。これからもたくさんの作品を読ませてください。詩って、一種の文学ジャンルというより、むしろ一つの生き方だと思いますね。
<兄弟>(上)の中に描かれている<文化大革命>の時代は、中国の中世期といってもいい時代です。余華は日本でも翻訳されている作家ですが、五年間の歯医者の経験を持つ彼はこの社会をよく見抜いています。下篇を楽しみにしています。
今日はさかなさんに自分の詩を送ります。二年前の小さな作品ですが翻訳してみます。非常に短い瞬間のイメージです。
 
  無題

  二分だけ待ってください、とあなたは言った
  分で二つだけですけど
  秒では百二十でもあるのだ

  秒より小さいのは何だったか
  僕は思いつかないので
  あなたに聞いた

  私だ、とあなたは答えた

*****************
僕もさかなさんと会話しているうちに、いい詩ができれば、と願っています。

ご自愛を。

 ボヤンヒシグさん

 読んでくださり、ありがとうございます。つれあいにも読んでもらうと、いままで私が書いていた詩とくらべてもまとまってるねと言ってくれました。ボヤンヒシグさんとの対話の中で、何度もふるさとについて考えたことが、言葉の熟成に役立ったようです。

 『兄弟』の話、興味深そうな内容ですね。上下巻というと、長編小説ですか。短編小説のような凝縮された物語も好きですし、長く長く紡がれる物語も時にむしょうに読みたくなります。とくに、これからの季節は長い物語を読みたいです。

 昨日、今日と下の娘が風邪で家で休んでいます。お兄ちゃんたちは学校なので、2人きりだとずいぶん家の中が静かです。いまは、熱もさがり絵を描き、ひとつ描くたびに私を呼んで見せてくれます。季節の変わり目、ボヤンヒシグさんもご自愛されてくださいね。


こんにちは。

<その朝が私のふるさと>っていいですね。空間が時間になり、時間がまた空間となって。そしてふるさとが母親からはじまりますよね。娘にとって時間の巣といえば、ふるさとという母親の朝でしょうか。そういう朝が一日でり、永遠でもありますね。
  転々と移ったどの家でも
  その朝があった

  ふるさとは
  そうやって朝の中にあった
というように、ふるさとはやはりわれわれ自身でありますね。素敵な詩を送って下さって、嬉しいです。

今日は<兄弟>という長編小説を読み始めました。中国の余華という作家が書いています。上下がありますが、下がまだ刊行されいません。上が文化大革命の時のことを書いて、下が今の中国のことを描いています(<後書き>より)。もちろん、二人の兄弟を中心に書いています。両兄弟は血の繋がりはないけど、一人の父親がなくなり、もう一人の母親が無くってから、兄弟になります。つまり一人の母親がもう一人の父親と結婚します。語りがなかなか面白くて、勉強になります。

ふるさと


  母はいつも眠る前に鍋に水をいれ、煮干をいれる
  朝になると
  はりがね色の文化釜でご飯を炊く
  そのかたわらで
  煮干のだしでおみそ汁がつくられる
  その朝が私のふるさと


  鍋と煮干と文化釜

  火をつけて
  ふたがカタカタいいだし
  釜からは湯気があわのようにでる
  火を弱める
  ふたがしずかになる

  だしをこす
  豆腐をいれる
  みそをいれる

  転々と移ったどの家でも
  その朝があった

  ふるさとは
  そうやって朝の中にあった

*****************************

 ボヤンヒシグさんとの会話から書いてみた詩です。
 子どもが生まれる前から詩を書いていますが、子育ての合間、詩のミューズはめったに訪れてはくれませんでした。いま、また少しずつ書いています。 

 文学をいろいろな角度考えてみる場があるのは、いいですね。考えることもまた旅ですものね。

こんにちは。
昨日は子供の希望でやはり天津に行ってきました。街の中に車が混んでいて疲れました。日帰りでしたので。
今日は本を読む傍ら論文みたいなものを書いています。今月22日、23日中国モンゴル文学学会が北京で研究会を行うので、そこでモンゴル国の詩人についての論文を発表する予定です。つまらないことでもありますが、今年から、こういう会にも出るようになっています。今回が二回目になります。色んな角度から文学と出会ってみたいからです。詩が書けないということも一つの原因になっていると思いますが。この詩人はモンゴル語で<俳句>の詩も書く人です。

さかなさんの作品を読みたいですが、今度送ってください。こういう語り合いの場は僕にとって、一つの明るい窓です。

今、山本潤子さんのCDを聞いています。<フィーリング>がこころをひきます。
今日、北京は涼しいというより寒い日になっています。

おはようございます
 昨日の運動会、娘はちょっと体調をくずし、調子が悪い中、走ったりするのがしんどそうでした。でも、親子で走る競技では、にこにこ笑顔がでていたのでうれしかったです。小さい人たちが走る姿は、見ているだけで楽しくなります。芋汁も、おいしくできました。大きなお鍋でつくるので、子どもたちが中にはどんなものが入っているんだろうと、のぞきたがります。私も鍋の具を大きな道具でかきまわしていると、魔女になった気持ちでうれしい気持ちになりました。

 ミルク茶なんですね、故郷の味は。私の故郷の味はなにかしらと考えてみました。日本茶、おみそ汁、考えてみるのは楽しいです。

 ボヤンヒシグさんの日本語は、とてもきれいです。私もいくつかの言葉で自分の思いを書けるようになってみたいです。

 今日、こちは雨がふったりやんだりの重い空。洗濯ものがたくさんあるので、なかなか乾かないなと思っているところです。読書の旅ははじまったのでしょうか。どんな本を手にとられているのでしょう。

さかなさん、お早うございます。
今日から連休です。ゆっくりねるはずだったのに、六時に起きてしまいました。いつものにぎやかな道路が静かになっています。
ミルクテ茶を沸かして飲みました。タン茶と牛乳とお塩だけでできるモンゴルやカザフなど遊牧民族独特な飲み物です。僕は日本にいる時も、モンゴル風のミルク茶をよく飲んでいました。お袋の味だからというか、一日飲まないと、もう何かをなくしたような感じになります。言い換えれば、くせになっているということですね。
今日は、さかなさん一家にとって楽しい一日ですね。娘さんをよく応援してください。美味しい芋汁などを食べながら楽しむように。
僕は中国語でも、モンゴル語でも、インタネットでこのような語り合いはしたことがないです。普通のメールはありますけど。さかなさんと自分の考えたことをこういう風に話すのが、僕にとっても毎日の楽しみになっています。心配なのは僕の日本語です。せっかく僕の中に成長させいた日本語が、環境が変わることによってだんだん下手になっています。読むことはほとんど問題ないですが。

ボヤンヒシグさん、こんばんは

 明日は、来月4歳になる娘の運動会。私は、芋汁をつくりながら、娘の活躍を応援する予定です。つれあいがごはんを炊いてくれたのですが、なんと、明日にタイマーセットする予定を今晩にしてしまったので、さきほど、たきたてのご飯で、おにぎりをむすんだところです。海苔でまかずに、庭のしそを、酢醤油、にんにく、葱、生姜の漬け汁にひたし、明日まきます。煮卵も今晩つくりました。味がしみこみますように。

 ボヤンヒシグさんもいよいよ連休なのですね。お仕事ひとだんらくされたでしょうか。

 ご説明で、うっすらとですが、モンゴルの人々が漢語を使う雰囲気がつかめたような気がします。使えば使うほど磨かれる言葉をどう使いこなすか、それは、やはりその人々にかかっているのでしょう。私は、考えたことを、誰かと話しをするのは好きです。ボヤンヒシグさんとも、こうして語れるのは、いま毎日の楽しみになっています。

こんにちは。
 会社にいって1day1bookのページを開いたら、可愛い絵たちが目に映りました。馬に乗っている少年、羊を追いかける少女、そして向日葵。秋の朝というか朝の秋というイメージを受け、とてもうれしくなりました。
 今日、北京は晴れています。昨日の雨の匂いがして、気持のいい朝になっています。もうたくさんの同僚が旅行に出かけて、オフイスの中がシーンとしています。午後からはもう帰ってもいいようですが、やらなければならない仕事がまだ残っているので、もうすこし頑張ります。
 言葉って、よく磨かなければ、かがやきをどんどん失っていく<乗り物>ですよね。内モンゴルのモンゴル人は日常生活の中で数多くの漢
語を使っています、もともとモンゴル語にそういう言葉があるにも関わらず。或る意味で<グロバル化>されるというのはこういう結果にいたります。モンゴルの詩人が<歴史は塩、未来は砂糖。今日がそれに調味されている>と書いてあります。が、僕には辛い味が好きではないモンゴル人が何かを忘れてるように思えます。こういう話題は今日の雰囲気に合わないので止めます。
 僕は京都に二度行っています。二度目が2003年で、京都芸術センターから刊行されている<Diatxt>という雑誌の招きでいっています。こころに安らぎをもたらす町でした。
 

こんばんは

大事に思う物語のモデルに会うことは、不思議な気持ちを持ちます。私の中にある、物語の少年が、今度は成長した青年として目の前に立っている。その間に、いくつかの物語が存在しているのだろう、そして少年時代を生き抜いていまいてくれることが、とてもとてもうれしかったです。

秋は実りの季節を祝う時でもあるので、祭りがあちこちでありますね。ここ東北では、芋煮といって、汁ものをつくり、大勢で食べる時期でもあります。私もこの週末は芋汁をつくって大勢で食べる予定。

漢語の影響を受けて、モンゴル語が乏しくなるというのは、どういう感じなのでしょうか。私はずいぶん前に、京都のお寺で働いていました。その時に、和尚達が教養として漢詩をたしなんでいたのですが、なかなか書けずに苦心し、得意な和尚に教えを請うていた姿をいまも思い出します。

いまの季節の雨はそれほど冷たくはないですか? ふりはじめの雨がコンクリートに染みいる匂いは、あぁ雨だとうれしくなります。

こんにちは、さかなさん。
忙しい三日間、お疲れましたでしょう。さかなさんが好きな物語のモデルとお会いできたこと、非常に羨ましい。僕にはそういう経験がないが、きっとすばらしい出会いだろう、と思います。
今日、北京は久振りの雨。いつも歩いて出勤しますが、今日も雨の中を歩いて来ました。25分ほどかかります。傘の上に落ちてくる雨の音に子供の時の記憶が蘇ります。まだゲルの中にいるような感じもしますし、日本の雨、傘も思い出します。北京は埃が多い都会ですけど、今日は空気が綺麗になっています。
日本は今、子供たちの<ワッショイ、ワッショイ>と威勢のいい声が高く鳴り響く季節でしょう。
今、<アルタイの女>というモンゴル国の長編小説を編集しています。リズムが悠々としていて、<遊び>があまりない。一昨年からこういう叢書を10冊ぐらい出していますが、物語より言葉の豊かさにひかれます。中国にいる多くのモンゴル人は漢語の影響を受けて、モンゴル語がだんだん乏しくなっています。
北京では、日本の本はたくさん翻訳されいます。谷川さんの詩も。でも日本語の本はあまりない。
今日は雨が止まないようにと、静かに祈っています。雨は僕のこころを豊かにしてくれますから。

おはようございます。
昨晩、もどりました。
密度の濃い3日間で、たくさんの人と会うことができました。大好きな物語のモデルとなった青年とも会うことができ、今日はその本『ペーターという名のオオカミ』を再読しようと楽しみにしています。ドイツ在住の日本人作家が書いた14歳少年(やはりドイツ在住の日本人)の成長物語。実際、会った時、その青年のまわりにこの物語がたちのぼってくるようで、興奮してしまいました。ボヤンヒシグさんのおられる所で、日本の本を入手することはできますか? この物語はボヤンヒシグさんもお好きになるような気がしています。

今度の土曜日(1日)は、一番下の娘が運動会です。今日の夕方、その打ち合わせをしてきます。天気になるといいのですが。今朝は、とても気持ちのよい秋晴れです。北京の空はどうでしょう。青空をみると、モンゴルの空を思い出します。モンゴリアンブルーの世界。

〈履歴書〉、おもしろい詩ですよね。自分ではつくれない言葉で読む詩の世界は、とてもひかれます。宇野千代さんの〈雨の音〉読んでみます。

さかなさん:
こんにちは。
いっていらっしゃい、というのが遅かったと思いますが。
今はもう東京に着いているでしょう。
今日は秋の運動会(会社の)の準備で精一杯でした。運動会に参加する年齢でもないけれど、楽しみにしています。
電車の中で宇野千代さんの<雨の音>をすこし読み返しする時間がありました。彼女の日本的な美しい文体にいつも脱帽します。昨日、ブログのページから<履歴書>という詩を読みました。いい詩ですよね。なるほど、と思いますが、しかし、そういうイメージをどう考え出したんででしょうか?
それでは。

おはようございます。

これから出かけます。

会津若松は、そうです。盆地なので周りを山に囲まれています。山の頂からきた雨、風の形というの、なるほどそうかもしれません。私の住んでいるところは風の強いところです。風の強い時は恐くて、雨の行方をみていたことがありません。

馬にはゴビ砂漠に行った時に、ゆっくり乗せてもらいました。ひとりで駆けるのは気分がいいでしょうね。馬のことも、詩もぜひぜひいつか書いてください。

ではいってきます。

さかなさん、こんにちは。

北京の空はベランダから覗くともやもやしています。土日はいつもそとにあまり出ないで、過ごしています。
会津若松は山が多いところでしょうか。こどもの時、山の頂から雨が降っている風景を見たことがあります。その記憶は今も鮮明に残っていますが、雨は上から真っ直ぐではなく、風にうつくしく曲がりなら降っていました。今考えると、それが雨の形ではなくて、風の形でしたような気がします。
草原から消えつつある馬たちはどこかへ帰っていくだろう。最近、馬について考えることがよくありますが、文章にすることが出来れば、いいなと思います。そのうち、詩も書けたら、さかなさんに読んでいただきたいです。
あしたは月曜日ですが、さかなさん東京に行くんですね。


おはようございます、ボヤンヒシグさん

 台風の影響なのか、日曜日の今日、会津の空模様は雨。肌寒い朝です。

 こちらは田舎なので、朝日新聞の夕刊は届きません。きっと地方版として編集されるのでしょうね。ふだん読んでいる新聞ではないので、機会をのがさないようにしなくては。

 私は児童文学がとても好きで、子どもの頃からたくさん本を読み、大人になった今もその魅力にとりつかれています。自分の子どもたちに読む楽しさもありますし。

 いま、ボヤンヒシグさんはおいそがしいので、詩のミューズがなかなかおりてこられないのかしら。私はまた近い将来読めると思っています。ぜひいま書けなくても書き続けてください。

 モンゴルの帝国建国800周年! 800という数字は気の遠くなる数字ですね。姿を消していく馬はどこにいくのでしょうか。

さかなさん:こんにちは。
今日は土曜日なので、ゆっくりしています。
昨日は電話で朝日新聞の取材を受けました。取材を受けるのがなかなか苦手ですが、物凄く緊張して日本語を運ぶのが必死でした。その内容がいつか夕刊にでると思います。
北京の空は秋晴れにならないままです。しかし、涼しくなったのは僕にとって何よりです。
児童書に関わるというのは楽しい仕事ですね。僕は児童向けの文章は書いたことありませんけれど、今も読むのが好きです。
今、最近書いたモンゴル語のエッセーを推敲したりしています。ポエムが書けないというのはかなしいことですが、詩的なイメージを散文にするのもいい時があります。ただ余計な言葉をたくさん使うのがもったいない気がします。詩って、紙の上で待つものではないようです。
ウランバートルには何回も行っています。しかしゴビ砂漠には行ったことがない。来年、モンゴル帝国建国800周年にあたりますが、出来ればモンゴル国に行ってみたいです。モンゴルでは至る所で<ジンギスカン>のにおいがするけれど<チンギスハーン>の<におい>はあまりしないです。
内モンゴルの西の方にもゴビ砂漠があります。僕の故郷は山が多くて、草原らしい草原はないです。田舎で馬がどんどん姿を消し、馬頭琴が都会で人気を呼んでいます。

ボヤンヒシグさん、おはようございます。

日本はいま、秋の祝日で金曜日からお休みが続いています。平日に祝日が入ると、曜日の感覚がずれてしまい、なかなか正しい曜日の動き(たとえば、ゴミ出し曜日)に頭がついていきません。なるほど、巣がないからかもしれませんね。

私は、児童書の新人賞原稿の一次審査の仕事をしています。今年の分は終わり、来週、授賞式に上京するため、月曜日から3日ほど留守にします。作品の生原稿を読むのは楽しいですが、私もお化粧がほどこされた本の形で読書するのが一番好きです。いろんな方たちが関わった書籍が、美しくお目見えしたものを、じっくり読むのはなによりです。

10年以上前、ナーダム祭を見るため、ウランバートルに行きました。民主主義に移行したばかりで、おもしろい雰囲気でした。ホテルではなく、一般の家庭のホームステイし、夕方には、近くの遊園地にもつれていってもらいました。なつかしい感じの遊園地で、とても楽しかったことを今も思い出しました。9月には、もう雪のふる時もあるのですね。ゴビ砂漠にも行ったのですが、あそこも早くに寒くなるのでしょうか。

冬は星の美しい季節ですね。私の故郷、北海道も冬の寒さの厳しいところなので、星のきれいなところです。日本酒やジンギスカンもおいしいです。ウランバートル空港についた時、ジンギスカンのにおいがするようで、私は北海道を思い出し、とてもなつかしく思えたものです。

さかなさん  こんにちは。
今日は週末です。しかし、いつもこの日になると昨日が月曜日だったような気がします。時間には巣がないだろう。
僕も酒を飲むのが好きですが、最近控えめにしています。
僕は編集の仕事をしていますので、作家たち(モンゴルのが圧倒的)の原稿を最初に読む機会が多い。これは嬉しいことでもありますが、僕はやはり純粋な読書がすきです。仕事は一種の技術に過ぎません。
昨年の九月、僕はウランバートルにいました。30日にもう雪が降っていました。僕の故郷は内モンゴルの東の方で、今はもうだんだん寒くなってきた思います。僕は寒いところがすきです―お肉料理と辛口の酒がよく似合うし、空気がきれいので星たちが近い。

ご自愛を。

ボヤンヒシグさん、こんばんは

〈白酒〉は辛いのですね。私はお酒が好きなので、いつか飲んでみたいです(飲み過ぎないていどに)。
9日間の連休、楽しみですね。いい本との出会いがありますように。
荒川洋治さんの新刊エッセイも今月、みすず書房からでているようで、読みたいと思っている本です。読みたいと思う本はつきません。
秋は、子どもたちに関わる行事が多く、なかなかゆっくりできず、細切れの時間の中で、本を読んでいます。おっしゃるように、本を読むことは旅をすることでもあるので、大きな世界に出会うと深い満足感でしあわせになりますね。

お仕事、会議、どうぞお疲れのでませんように。

こんばんは。
北京の九月は一番いい時期ですが、今年は何か曇ったまま終わろうとしています。十月一日から連休(九日間)に入ります。旅行はあまり好きではないし、どこ行っても人が多いので本何かよんで過ごしたいです。一日一冊は出来ないけれど、本を読むことも一種の楽しい旅ですよね。
<白酒>は普通は辛いのが多いです。度数が高い方が美味しいですが、飲みすぎると翌日が大変です―日本的に言えば二日酔いになりやすい。紹興酒は甘いのですが。
例の詩は当時、思い出として書いたものですが、今見ると、未熟な作品で、読み返したくないです。
連休に入ってから、さかなさんのこのブログ(のページ)をゆっくり読んでみたいと思います。今は毎日、仕事や会議が多くて。

お休みなさい。

こんばんは、ボヤンヒシグさん

 『惰情の原形』は、この詩集に興味をもった友人にかしているので、手元になく、学校の思い出をつづった詩をすぐに確認できず残念です。ゆっくりかしているので、自分用にもう1冊求めようかと思っています。
 北京も秋の空気なのですね。〈白酒〉は甘いのでしょうか。はださむい季節にはあったかくて甘いお酒、おいしいです。そしてこちら、日本も、日本酒の熱燗やぬる燗がうれしい季節。

こんにちは。
今日は朝日新聞の編集委員の河原さん(記事の筆者)から記事を添付けたメールがきました。
あるブログから僕のメールアドレスをわかりましたと書いてありました。
福島は僕の日本学校の校長先生の故郷です。その学校は今はもうやめていすが、板橋区徳丸にありました。一冊目の本の中にその学校の思い出を書いた詩があります。
北京もだんだん秋の色が深くなってきました。昨日は久しぶりに日本酒を燗で二本飲んだ。からだとこころをあたためる丁度の温度でした。普通は<白酒>や北京のビールを飲みます。北京には日本料理店や居酒屋も結構入っていて、中に飲んでいるとまだ日本にいるような感じがします。

ボヤンヒシグさん、こんばんは

私は北海道に生まれ、その後あちこちで働き、福島県の会津若松にいまは住んでいます。東北は北海道と近いせいか文化や方言も似ていて、関西や中部地方に住んだあとでは、すごく落ち着ける土地でした。日本酒のおいしいところでもあります。暑い季節が終わり、秋に飲む日本酒はとても落ち着けます。北京ではどんなお酒を飲まれているのでしょう?

東北といえば、僕は青森に夏休みでいったことがあります。人たちがあまりしゃべれないですが、非常にやさしい。なぜかはっきりわからないけれど<回帰>したような思いでした。
僕についての文章や二冊の本の写真、どうも有難うございました。

こんばんは、ボヤンヒシグさん
 私は東北に住んでいて、こちらは夕方の空気が秋になり、家の前にある田んぼの稲穂がたれ始めています。北京! ほんとうにいつかお会いできるとうれしいです。その時はぜったい連絡します。

こんばんは。僕が書いた返事を見て頂いて、嬉しいです。今の北京は日差しが夏で、風が秋です。詩をあまり書かない(書けない)毎日です。時にはモンゴル語でエッセーを書いたりしています。北京に足を運んだらご連絡頂戴。

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