ご飯
朝ご飯は、ハムエッグに五分つきご飯にホットミルク。
昼ご飯は、ビーフンについてきたレシピを参考に、シンガポールビーフン。カレー味の焼きビーフンをこうよぶことを、今回はじめて知りました。子どもたちにも好評。ビーフンもいろいろな味で楽しめるので、次はなにをつくろうかな。
夕ご飯は、五分つきご飯、チンゲンサイの卵スープ(いりこたっぷり)、鮭のホイル焼き、生揚げのオルチョ炒め、みょうが添え。
チンゲンサイのスープはいりこの出汁がぴったり、体に染みいるおいしさでする。
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朝ご飯は、ハムエッグに五分つきご飯にホットミルク。
昼ご飯は、ビーフンについてきたレシピを参考に、シンガポールビーフン。カレー味の焼きビーフンをこうよぶことを、今回はじめて知りました。子どもたちにも好評。ビーフンもいろいろな味で楽しめるので、次はなにをつくろうかな。
夕ご飯は、五分つきご飯、チンゲンサイの卵スープ(いりこたっぷり)、鮭のホイル焼き、生揚げのオルチョ炒め、みょうが添え。
チンゲンサイのスープはいりこの出汁がぴったり、体に染みいるおいしさでする。
『天使のすむ町』 アンジェラ・ジョンソン作 冨永 星訳 小峰書店
マーリーの住んでいる町の名前はヘヴン。天国という意味をもつ町はちょっぴり不思議な雰囲気をもっている。ファンタジーのようなできごとがおこるのではなく、絵に描いたような整った小さな町に住む、少女マーリーの物語が静かに進行する。物語の合間には、マーリーのおじさんからの手紙が挿入されている。「やあ、マーリー」とか、ただ「マーリー」というさっぱりした出だしではじまる手紙はどれも愛情のこもったもの。
14歳の夏に、マーリーはベビーシッターをはじめた。「ユー・アー・マイ・サンシャイン」がうたえて、セサミ・ストリートが好きな人」という募集ポスターを出したボビーの家に、シッターとして通うことになった。
ふつうにはじまった夏に変化が起きて、マーリーの心はちょっと忙しくなる。落ち着かない気持ちを静めてくれたのは、ボビーという愉快なポスターをつくった人。2人の会話は、少しだけ哲学的、そしてとても真摯だ。
児童書らしいというと、どんな物語を想像するだろう。
私にとっては、子どもの気持ちに寄り添った語り口で、すてきな大人がでてくる物語。『天使のすむ町』は、まさにそのとおりの本で、読んでいて安心できた。マーリーの感受性、ボビーの懐の深さ、それぞれの気持ちをきれいな色で描いたかのようで、気持ちよい読書時間だった。
プレッシャーに思う必要はなにもないのだけれど、行事が晴れるかどうかで、すぐ「雨~」「晴れ~」と冠がつくので、少々緊張するも、見事なピーカン。でもパラリと降るのではないかと不安に思うなか、空は本当に気もちいいくらいの青い色を見せてくれる。サンキュー。
子どもたちも、親がちっともかまえないなか、楽しんでくれてサンキュー。
笑顔で帰路につけて、ほっと一息。
今日も雨。子どもが柔道の親善試合するこに関して表敬訪問の送迎でスタートする。早めにちびちゃんを園に送り、集合場所に送り届ける。
ふたりきりになった、まんなかの子とゆずはちみつで乾杯して楽しむ。
帰宅した子どもに、写真撮られた? 誰と会った?と聞くも、どれもわかんないとの返答のみ。
夕方は園で明日に控えた夏祭りのあれこれの打ち合わせ。子どもたちはすっかり飽きてだらだら。すみませぬ。どろどろの園庭をみて、もう明日の開催はムリかと思うなか、園長先生が雨の中、合羽を着て水が流れるよう作業する。
子どもたちがおばあちゃんに書いた暑中見舞い
*
おばあちゃんへ 風ひかないでね。あさごはんうまいですか。
おばあちゃんのいえのごはんわ まえたべたら うまかったね。
*
おばあちゃん元気ですか。
ぼくは元気です。また機会があればそっちにいきます。
*
ちびちゃんは、唯一書くことのできる自分の名前を3文字書いた。
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ここ数日、満腹度が高かったところ、昨日からようやく平常モード。
夕ご飯は、夏野菜たっぷり味噌汁(ズッキーニ、なす、ピーマン、玉ねぎをオルチョで炒めたもの)、ほたての刺身、いんげんの黒ごまあえ、甘酢しょうが、五分つきごはん。
先日食べたいんげんがおいしかったので、家でもつくってみました。あちらは芥子味噌だったけれど、ベーシックに黒ごまあえ。しみじみおいしく満足。いつも遅く帰ってくるつれあいは別時間での食事になるのだけど、子どもたちがわらわらよって、その日おいしかったおかずをつれあいに解説する。「これはすっごくおいしいよ」と言ってくれたのが、いんげんのごまあえでした。まんなかの子は、庭でとれたピーマンやなすが入っているのがうれしいらしく、家で栽培したものを食べるのってうまいよねと。サンキュ。
ブドー酒の日々
ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。何のためでもなく、
ローソクとわずかなわれらの日々の食事のためだ。
ハイホーブドー酒はねむる。
われらはただ一本空壜をのこすだけ。『食卓一期一会』(長田弘/晶文社)より
朝起きたらすぐに、子どもたちはプールに行きたがったのですが、まずは朝食。
朝食バイキングは、ご飯、山菜おかゆ、おみそ汁(ふのり)、卵焼き、コーン、ベーコン、ウィンナー、ししゃも、マカロニサラダ、ポテトサラダ、梅干し、金時豆の甘煮、スクランブルエッグ、漬け物(たくわん、柴漬けなど)、など数種、しらす、納豆、焼売、フライドポテト、ミックスサラダ、バナナ、パイナップル、フルーツヨーグルト、コーンフレーク、食パン、クロワッサン、牛乳、ぶどう酢ジュース、りんご酢ジュース、オレンジジュース、珈琲、紅茶。
大人は和食系、子どもたちはパンを中心に、漬け物やらフルーツヨーグルトやら。ぶどう酢ジュースを気に入っていたようです。私はししゃもが美味しかった。
食休み後、またプール、プール、最後に温泉に入り、お昼はおにぎりとお団子。子どもたちは今まで食べ過ぎていたせいか、この昼食をおやつだと思い、いつお昼ご飯食べるのと聞いてきました。
今日の締めは地元のラーメン。一番のラーメンは旨い。
今日から夏休み。まずは6時半からのラジオ体操です。私は初日当番で、1年ぶりにラジオ体操のチューニングをして判子をおしてきました。しかし、1年ぶりにさわる村のラジオは、すぐに体操番組が見つけられず、村中に朝っぱらから騒音を流していたようです、すみません。
ラジオ体操を終えてから家族で夏休みの旅行へ。夜のバイキングが家族の楽しみで、おなかくちくなるまで食べました。もちろん、たっぷり泳いだ(子どもたちだけ、大人はつきそいに徹しました)あとに。
大人のメイン料理は2種類。2人でそれぞれたのんで、それぞれ味見をする。肉料理(牛肉と夏野菜のブロシェット)、魚料理(ロブスターと帆立のポワレ香草ソース)。 メニューは、ミックスサラダ、カリフラワーのカリカリパン粉サラダ、インゲンの芥子味噌和え、フルーツトマトのサラダ、刺身2点盛り(かつおのたたき、海老)、中華くらげ、芋餅のミートピザ、骨付きソーセージ、煮込みハンバーグ、有頭海老フライ、アスパラベーコン、ジャーマンポテトグラタン、アサリとトマトのスパゲッティー、チキンカレー、ご飯、冷製ジャガイモのスープ、豚汁、プチホットケーキ、蒸し餃子、蕎麦、地鶏のグリル雉焼風 、豚ヒレ串かつ、海老、烏賊と夏野菜の塩炒め。
デザートはカプチーノ、紅茶、フルーツ盛り合わせ(パイナップル、ぶどう、すいか、オレンジ)、アイスクリーム(ミントチョコ、オレンジ、いちご、チョコなど)、わたあめ、ポップコーン、オレンジケーキ、チョコレートケーキ、レモンタルト、コーヒーゼリーの上にキャラメルマキアートがのっかったもの。
私はこれらメニューの内9割くらい食べました。デザートはさすがに、半分くらいのメニュー。子どもたちは、デザートはほぼカンペキに食べ、なおかつ、わたあめやケーキ(プチですが)おかわりしてました。カプチーノもおいしかったです。野菜もおいしく、いんげんやアスパラガスはおかわりして食べたほど。
おもしろい出来事があり、思い出すとぷぷっと一人笑いしてしまう。ごはんをふふふんと鼻歌うたいながらつくっている時も思い出して笑ってしまうと、まんなかの子がちょうど台所にきたタイミングだった。
「おかあさん、ひとりで笑ってる。なにがあったの?」と真顔で聞かれてしまう。何もないところで、おもしろそうに笑っているのが不思議でならないらしい。子どもは一人で思い出し笑いしないのかな。「おもいしろいこと思い出して笑ってるの」と説明してもいまひとつわからない顔をしていた。
むっとする暑さの日が続いたと思いきや、その後は雨、また雨。ここ数日は寒いくらいで、今日はストーブをつけようか何度も迷う。
一昨日も涼しかったので、お昼は讃岐うどん。いただいたもので、かけうどんにしたのですが、添付のたれのおいしいこと。家族でもくもくとツルツル食す。うーん、おいしかった!
昨日のお昼は、こんな天気でも収穫できた庭のミニトマトをつかってトマトパイ。パイシートは市販のものが冷凍庫にあったので、それを使うことにして、マッシュポテト、炒めたピーマン、ウィンナー、玉ねぎ、ツナをフィリングにして、ミニトマトを半分に切ってのせて、パン粉、チーズをかけてオーブンで焼く。みうたさんのレシピでつくったのだが、とってもおいしかった。ミニトマト、もう少しいれてもよかったかな。またつくろうっと。
昨日の夜は豚汁、いただきもののホタテの刺身、ゆずこしょうで食べるとわさび醤油とまた違う味わい。ニラ玉、きゅうりとわかめの酢のもの。これにはやはりいただきものの、むきえびもいれたら味が一段グレードアップした感じ。
おいしいものを送ってくださる友人がいるのは、宝物。実は明日も食べる楽しみがひとつあり。子どもたちも楽しみにしています。
出版社の出すPR誌が好きでいくつか購読しています。紙類の多い家なので、届いたものは、ざざっと目を通しておかないとすぐどこかにまぎれこんでしまう。今回届いたものも、届いてから、子どもたちがどこかに置いてしばらく読めずにいました。届いていないなと思っていたのですが、ひょこっと見つけてよかったと安堵。
服部文祥さんという名前を知ったのは、みすず書房の新刊から。山にも登らないし、釣りもしないし、サバイバルな生活からは縁遠いので、すぐ読みたいと思わなかったのですが、今回の雑誌に載っていた「水に沈む牛」がおもしろく、『サバイバル登山家』も読んでみようと思っています。
インドに釣りに行った時の話が書かれ、ひとりでトラウトフィッシャーをしている様子が細かく描写されています。釣り経験は10年以上も前に少し、それも近所の川に何回か竿をたらしただけなので、どの単語も親しみをもてず、つらつらと読んでいたのですが、思ったよりも長めの文章に少しずつ慣れ「釣りとは時間を止めることができる行為なのだ」というところで、ずいぶん惹かれはじめ、オチを楽しみに読み進めました。思ったよりあっさりと、かっこわるく終わったその文章ですっかり書き手の名前を覚えました。
今日はお米を買いに行く日。唯一捨てずに集めて台紙にも貼っているポイントが2倍もらえる日なのです。お米はそこそこのポイントをもらえるので、充実感ある買い物デーともいいます。
朝ご飯はたこ焼き、昼ご飯はつれあいのつくった味噌ラーメン、夜ご飯は、五分つきご飯、なめこのおみそ汁、冷やしトマト、なす焼き、ししとうのオルチョ焼き、豚肉ときゅうりのサラダ。味付けした肉を揚げて、パイナップルの漬け汁にきゅうりとパイナップル、ごまたっぷり。夏野菜ご飯です。おなかいっぱい。
すばらしい届け物があり、夕食がぐんと豪華になった。釜揚げしらすと、むきえび。ほかにプラスアルファもあり、幸福度高まる。
昨晩はさっそく釜揚げしらすをたっぷりごはんにかけて食べる。何もつけないで食べるしらすを堪能したあとは、二杯酢でも食べる。おいしい!おいしい! むきえびも美味で、たくさんあるにも関わらず皿にもったものをとりあいながら食す。
今晩は、ほっけのムニエル(オルチョで焼いたらんまーい!)、はんぺんとゆで卵のサラダ、きゅうりの漬け物、五分つきごはん、モロヘイヤスープ、しらすたっぷり。
モロヘイヤスープも一年ぶり。エジプト風に、にんにくをみじんぎりにして、バターでモロヘイヤといためてスープにいれる。体が求めていた味。今日もしらすは旨い。
メンテナンスが時間内に終わったようで、よかった。
海へ宿泊学習へ行った息子が昨日帰宅。台風の影響で雨がふったりやんだりの中、なんとか海遊びもできたそう。「海に貝とかいそぎんちゃくとかいたよ、あと、カニも」というと、弟がすかさず「カニ! なんでとってこなかったの、あんなに旨いのに」と言うのに大笑い。つい先日、毛ガニを食べたばかりだったので、まんなかの子には、お兄ちゃんが毛ガニを見たと思ったのでしょう。高価なカニはなかなか食せないので、取り分け担当のつれあいの前に、それぞれのお皿を行列のように並べてカニをいれてもらうのを待って食べたのでした。
『盗神人 IV 新しき王 ―孤立―』
『盗神人 V 新しき王 ―栄光―』
M・W・ターナー 作 金原瑞人&宮坂宏美訳 あかね書房
ファンタジーが一冊でおさまらないのは、その世界や深みを語るのにある程度のページが否応なく必要だからで、だからこそ三部作のものが多い。この盗神人シリーズも4巻、5巻とはえ、2作目を2巻に分冊し、本書も2冊で三部作めにあたる。
「盗神人」シリーズのすばらしさは、一巻ごとにクライマックスがきちんとあり、伏線だらけになっていないこと。そして巻を追うごとに登場する人々が多面的に語られ、重層的に複雑におもしろくなっていく。今回は心理的な描写が多く、にぎやかな場面は少ない。じっくりと、主人公ジェンの気持ちを追い、行動を読ませる。女王もしかり。
結婚によって得た王という地位を周りは簡単には認めない。ひるがえれば、それだけ周りの人間もきちんとその人なりを見ようとする目をもっているのだ。女王と結婚したくらいで本物の王になれると思うなといわんばかりの嫌がらせに、ジェンはどう対応するかが読みどころ。著者ターナーは簡単にはジェンの心の内を見せない。最後の最後まで読んで得られるのは、宝物ような大事なものだ。
七夕さまのお天気はどうだったのだろう。と、今ごろ思うのは遅いのですが。
子どもたちの願い事。
上の子 おこづかいがアップして勉強に集中できますように。あと、りこうになりますように。
まんなかの子 勉強がよくできて、頭もよくなって、モテモテになれますように。おかあさんと結婚できますように。
ちびちゃん ピンクの洋服がいっぱいほしい!
大人の願いは子どもたちの健康と幸せ。
週末は晴れの日あり、雨ざんざんの日あり。日曜日は家族でプールに行ってひと泳ぎした。明日は子どもの宿泊学習なので、晴れるといいな。
夕ご飯は、焼きなす、おろししょうがたっぷりつけて。まんなかの子が「なつかしいなぁ」と言う。上の子が「それを言うなら久しぶりだなぁ、でしょ」と訂正していた。確かに、シンプルな焼きなすを食べるのは1年ぶり。あぁ、おいしい。ほかは、モツ炒め、おみそ汁(豆腐、スナップえんどう、いんげん)、水餃子、きゅうりの浅漬け、五分つきごはん。今日も満腹です。
気になっていた本を思いきって購入。子どもの頃は単行本が高嶺の花で、せっせと文庫本を買っていた。働くようになってから、思いきらなくても単行本が買えるようになった。でも千円台の本がほとんど。いますごく欲しい本のほとんどが二千円後半から三千円代。これからもっと高い本が欲しくなるのだろうか。
『ブック・アートの世界』(中川素子プラス坂本満=編/水声社)は、谷川俊太郎さんの帯文字が強烈。表紙の10分の9が帯なのだ。このつくりからして、アート的。「ブック・アート」という表現も模索されたあとが見受けられるが、とりあえずここではこう表現することにしたとある。そういえば、今月号の雑誌「STUDIO VOICE」での特集ではアートブックとしていたっけ。
「本とアートが交差するところにうまれる世界の大きさ」が紹介されている本書は、美術館でアートを鑑賞しているかの気分になる。紹介するブック・アートのほとんどがモノクロだが、白い紙への配置すらも計算され、ひじょうに美しい。本を焼いて作品を作る西村洋平氏を紹介した頁では、『新修漢和大辞典』が焼いて作られている。本とまったく別物になってなお、書かれていた文字群を想像できる形がそこにある。(オブジェの夢想/森田一)
エメット・ウィリアムス+キース・ゴダード『ホールドアップ』という写真絵本もおもしろい。それこそ色も形もさまざまな指、指、指が本の縁にそって並び、会話を交わしている。中川素子氏は「私はこの本をポリフォニー(多声法)ととらえている」と言っているが、実際に読むとその感はきっと強いのだろう。見てみたい。(越境の扉/中川素子・翻訳協力 佐伯愛子)
わが家の庭でもぽつぽつ収穫できているけれど、ごくわずか。ちびちゃんが、大のきゅうり好きなので、庭のきゅうりは収穫と同時に口に入ってなくなってしまう。買ってもいるし、いただきものも少しはあるのだが、ちびちゃんだけでなく、3人そろって、みそつけてパクパクとおやつにしているこのごろです。
昨日、庭から収穫したのは1本だけ。大きくなっていたので、料理に使いました。きゅうりと鶏肉の花椒炒め。これは「きょうの料理」レシピを参考に。さっぱりとしたおいしいおかずです。花椒は少しいれるだけでも、ぐんと味覚があがる感じ。美味にできました。ほかは、五分つきごはん、コーンクリームスープ、冷や奴ミニトマト添え、ごぼうのにぎりあげ、ししとうのオルチョ炒め。ししとうも庭で採れたものなのだけど、10本ほどを家族でわけると、ひとりが食べられるのはごくわずか。オルチョで食べると極上の味がして、子どもたちもみな、「これ、ほんとにうまい」とメインのおかずよりほめてくれました。へへへ。
楽しみにしている「図書」の隔月連載、Poetry talks(アーサー・ビナード)。今月のお題は「初めての太平洋」
ジョン・キーツの"On First Looking into Chapman's Homer"(「チャップマンのホメロス訳に出会ったとき」)をアーサー・ビナード氏が訳されている。
黄金に輝く世界で、私は旅を重ねてきた。大国や王国をいくつも見知って、いまも詩神アポロに忠誠な詩人たちの領土たる西方の島々を、(中略)
しかし、その澄んだ悠遠な空気を吸い込んだことはなかった――
朗々と語るチャップマンの偉業にふれるまでは。――出会ったとき、それは(c) Arthur Binard 「図書」岩波書店 2006年7月号より
キーツが20歳の時に、生まれて初めてチャップマンのホメロス訳を読み、逸話によると一気にこのソネットを書き上げたとアーサー・ビナード氏が紹介している。しかし、学者の中には、チャップマンのホメロス訳を不正確だとなじる人もおり、ビナード氏はそういう人は、おそらくキーツのこのソネットにある歴史的ミスも取り上げるのではと推測している。そう、このソネットには、太平洋を初めて眺めた人物名が歴史的には違うとされている。 ビナード氏はキーツの間違いについてではなく、キーツの表現に目を向けさせてくれる。 なんと晴々する言葉だろう。
キーツが表現しようとしているのは、未知のものに心を動かされたときの個人的な発見だ。そういう意味では、太平洋の発見は何度でも。
『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』 金原瑞人 牧野出版
遅ればせながら読了。おもしろかったところを抜き書きしてみる。
リーディングの時代より ウェストールの『かかし』が出版されたときの事をこう書いている。
(中略)『かかし』が出版されたときには、図書館や文庫(*)でちょっと評判になった。やっぱり児童書のなかでは珍しかったんだと思う。
(*)岩波文庫とかの「文庫」じゃなく、全国に無数にある(と思いたい)、個人や団体のミニ図書館活動のこと。
えっと、私のツボは「文庫」の説明のところです。岩波文庫とかの「文庫」じゃないという説明に、そうかーと思いました。家庭文庫とすぐ想像つかないことがなるほどだったのです。思わず吹き出してしまいました。
アイルランドの本屋より
じつはまったく知らない場所でいい本屋を見つけるというのは、けっこう大変なのである。そんなの、だれかにきけばいいだろうといわれそうだが、そもそも本好きの人間なんて、そんなにいるわけはない。ホテルできいたって、ろくな返事が返ってこない。
赤木かん子さんも「ユリイカ」の高野悦子特集で、本好きな人が子どもの頃は周りにいなかったということを書いていたけれど、なかなかいないというのがデフォルトなんだよなぁ、と。私もネットで本好きな人と会えるのがうれしかったりします。
マジック・リアリズムの魅力より イギリスの小説の流れをまとめるくだりで
小説の言葉はあくまでも「リアルに写すための道具」なのだ。言葉がこのような役割を負うようになるのは、もちろん近代以降である。
だからその意味でいえば、一九六〇年代の後半から世界的なブームになるファンタジーもリアリズム小説の一種である。描く対象がナルニア国であれ、中つ国であれ、アースシーであれ、そういった作本の言葉は作者の想像した世界を写すための道具なのだから。
「書く」ためにすべきこと どうやったら、そこそこの文章が書けるようになるのか
「書きなさい」、それだけ。
世界のほとんどの人は、書くというのがどいうことなのかを知らない。なぜなら、それほど書いていないからだ。
完全休養日。るるん♪ 大雨の音で断続的な眠りにめげず、朝寝をむさぼる。朝ご飯はいただきもののチョコレートケーキと牛乳。お昼は冷やし中華(by つれあい)、夜はぶり大根、にら卵焼き、もやしと肉炒め、五分つきごはん、おみそ汁(すべてつれあい)。ごちそうさま。満足満足。
日中は家族プラス子どもの友だちとプールへ。久しぶりに泳ぐのが気持ちよかった。
プールのあと、友だちの家へ遊びに行った子どもたち。大人は、借りてきたDVDを観た。
雨は降ったり止んだり。洗濯物なかなか乾かず、少しの晴れ間に干した靴をぬらしてしまう。ちぇ。
子どもたち2人は、森の中の遊び日。今回は、自分たちで竹を割り、火をおこし、そうめんをゆでて、流しそうめんを食べてきたとのこと。沼でいかだに乗ってずぶぬれになって遊んで、洋服も靴もぐっしょりぬらして帰宅した。まずはお風呂でピカピカに。
雨の合間に、つれあいは、子どもたちを送って行った森で拾ったものたちで花炭つくり。岩手の自然塾で覚えてきて以来、定期的に拾ったものでつくっている。消臭効果はなかなかなもので、備長炭のように洗ってもう一度使えるという頑丈なものではないが、繊細な出来はなかなかにすてきで、実用効果も高い。バーベキューするような野外用コンロで、缶に炭をつくるまつぼっくりなどをいれ、針金で止めて30分ほど燃やすだけ。お手軽です。
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