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先週の寒さとうってかわり、ずっとよい天気なのはありがたい。が、やはり天候の差は体に響くのか、風邪もなかなかよくならず。
お昼は鍋焼きうどんをすすり、夜はシチュー。
朝は園の清掃。打ち合わせも準備もしたはずなのに、当日は何かしらある。カンペキとまでいかなくても、トラブルがなく終わってみたいものです。
帰宅して朝ご飯をばばっと食べて、柔道フェスタへ。全日本強化選手らの技を身近にみることのできる貴重な機会。私の風邪はけっきょくあまりよくなっていず、迷ったけれど、子どもたちはすごく楽しみにしているので、えいやっと出かける。一本背負いや大外刈りなど、いい音でびしっと決まる技にほうっとなる。
子どもたちに向けてのメッセージはどの方のも心に響くものがあった。小学生の時は勝ち負けにそれほどこだわらず、好き!という気持ちを育てるよう周りの大人にお願いしたいという言葉は実感がこもっていた。好きだから強くもなりたくなるのだと話してくださったのだ。
コーフンした上の子は、私の風邪がうつったのか、帰宅後2人ともダウン。でもいい日だった。
近くで物産展があり家族で出かけてきました。風邪気味だったので、どうしようか迷ったのですが、天気もよく体を動かすのはきっといいはずと思い。
テーマであるお米の食べ比べは人気だったらしく、1時前に一度販売がストップ。ぎりぎりで一食まにあった。白米それぞれ8種類どれもおいしく、おみそと豆腐も4種類、個性ある味でおいしかった。豆の味がぎっしりつまっていたのがよかった。
暑いくらいの天気だったので、子どもたちはかき氷も楽しんだ。大人はそばもひやかして、おなかいっぱいで帰宅。
昨日は土鍋釜炊飯器を買ってからはじめての炊き込みごはん。家族にいちばん好評なごぼうと豚肉の炊き込みにする。ごぼうをささがきにして、豚肉に下味をつけて、針生姜をたっぷりいれて炊く。んー、いいにおい。
おかずは、小籠包、レタスとツナのサラダ、おみそ汁(ほうれん草としいたけ、エリンギをオルチョで炒めたもの)
小籠包は12個入りのものだったので、ひとり2個、おとなは3個。ちびちゃんは気に入ったので、「おとなはいいなー、おとなはいいなー」とずっと言い続けていた。
みんな寝静まった夜中に帰宅したつれあいも、「お、今日は炊き込みごはんだ!」と喜んでくれた。るるん。
で、今日は久しぶりに外食。一番でラーメンを食べる。んまい。しあわせ~。
ノンフィクション。著者は北京に2年留学したときにその国のもつ熱気に魅せられ、ウォール街の投資家と組んで、投資ファンドを立ち上げる。しかしながら、その道のりの起伏は、想像以上に大きかった。
すごい。巨大な投資資本が集められたかと思うと、それがどこにどう使われていくか。国民の気質は英米人とは大きく違い、片側からみると不可解としか思えないことが次々とおこる。それでも著者は中国から離れないのだ。ミステリを読んでいるように、先を知りたくなり、お金の行方、人の行方が気になってしかたなかった。ぎゅっと集中して読んでいるとずいぶん肩に力をいれていたらしい。すごい国だ。本当に中国は大きい国だ。読み終わってしみじみそう思った。
今週は、寒くなったり暖かくなったりでずっと頭痛と貧血が交互にやってきてしんどかった。そしたら、まんなかの子がお見舞い手紙を書いてくれた。「やすむときコーヒーとかのんだら。あとやすむときかたもんであげるからね」 この手紙を読んでひとりコーヒーいれて休み休み、ぽつぽつと仕事をした。
寒くなりました。
夕ご飯は、五分つき新米。おみそ汁(なめこと青梗菜)、いんげんの黒ごまあえ、れんこんのつくね、ボイルスルメイカ。これは小さなホタルイカのようなもので、子どもたちはそれと勘違いしていたけれど、別ものらしい。お醤油をたらして食べるとちょっぴりスミの味も。つくねより人気でした。大人は生姜醤油で。
昨日、読みかけで苦戦していた本は、2/3すぎたあたりで波にのり一気に下巻まで読了。今日はその前作である上下巻も読了した。満足。明日は義務本以外の本を読む予定。おもしろそうなので楽しみ。
紹介したい本がいろいろ出てきて、うれしいかぎり。あと数日でエーミルも復刊だ。
夕ご飯は豚肉の竜田揚げ。味付けした豚肉をオルチョで炒め揚げしてみた。レタスや玉ねぎのスライスとあわせてサラダ風に。コーンもあったので、それもパラパラと彩りをして食卓に。ドレッシングで食すと、ぱくぱく食べられます。五分付き新米。鉄砲汁。枝豆。京都の友人が毎年おいしいのを送ってくれる。子どもたちは枝豆大好きなので、鍋いっぱいゆでても、ものすごいスピードでなくなっていく。ほんとにおいしい豆なのだ。
いま読んでる本は苦戦中。上下巻の上巻2/3まできてもまだのれない。うーむ。
気晴らしに『ブックショップはワンダーランド』を読む。書店の紹介をしながら、その書店の定番リストをあげてもらう。ブックガイドにもなっていて、なかなかおもしろい。田舎にいると、それこそ本や雑誌を通してしか知らない書店が大半で、リストともどもおもしろかった。
冷凍しておいた、かますを解凍して焼いて、塩レモンで食べる。んまーい。白身がふかふかしていて至福のお味。この間こわれて、買ったばかりの土鍋釜炊飯器で炊いた新米も美味。鍋風の具だくさんすまし汁(ふぐ、にんじん、豆腐、水菜、里芋の親芋)をつれあいがつくり、お豆腐をたこわさで食べる。子どもたちは、わさびを抜いたたこをつけてやると喜んでいた。今夜もおなか満ち足りた夕食でした。
子どもの本だよりで、竹山訳のハイジが紹介され、さっそく注文していた。なかなか読めず、ようやく読めた。木訥として語りで、いくども泣きそうになりながら夢中になって読んだ。
気になっていた、子どもの本だよりのページをようやく更新しました。『ハイジ』(上下)の紹介はこちら→◆
現在、岩波少年文庫からは上田 真而子訳で出ています。子どもの本だよりでは、吉田さんが幼い頃から慣れ親しんだという竹山道雄訳で紹介されていたので、古書店で探して読んだのです。ちなみに、福音館からは、矢川澄子訳で出ています。挿絵もそれぞれなので、自分にあうのを探してみるのも、古典を読む楽しみのひとつかもしれません。
読み返してみて、ハイジのそれこそ無垢で純真を体言したかのような描写に、ウソくささもなく、まっすぐに響くものがありました。キリスト教の精神が静かに満ちている物語でもありますが、信仰をもっていなくても、物語の真髄は届くでしょう。
少し違う側面からハイジを楽しむのにいい本が出ました。『子どもの本を読みなおす』(チャールズ・フレイ&ジョン・グリフィス 鈴木宏枝訳 原書房)
『ハイジ』の世界では、だれもが「自分自身の主人」になる。それは、「自分だけの自由に有頂天になる」ためではなく、「ほかの人を助けられるようになる」ためである。これが、シュピーリの道徳観におけるものごとの秩序である。
この本では他にもアンデルセン、ディケンズ、エドワード・リア、ジョージ・マクドナルドら、全部で28人の作家作品をとりあげ、「説得力ある読み方」を提示している。まだハイジのところしか読めていないので、これから読み進めるのが楽しみ。
今江祥智さんが出されていた「児童文学」という雑誌がある。A5くらいの大きさの小ぶりなもので、当時今江さんが教えてらした短期大学が発行先になっていた。1984年から発行先は四日市のメリーゴーランドに移る。1985、1986と3年連続で出たあと1年おいて1988に出て、そこで長く休眠状態になった。
18年たった今年2006年、1992年に出そうと思っていた1992をかっこでくくって2006が出た。
私は1984年頃に、この編集同人のおひとりと文通していて、愛読者のひとりでもあった。当時、バックナンバーは入手できるものは全部そろえたのだが、創刊号、二号は当時もう品切れだった。手元にある古いのは1973号。通巻でいくと3号のもので特集は幼年童話。お値段300円。これはいまもメリーゴーランドで入手できるよう。瀬田貞二さんも執筆されていて、いま読み返しても示唆に富む内容だ。その「幼年文学の表現についての覚書」は表現の注意からはじまり、幸田露伴の『普通文章論』から幼年の文学にことごとくかなうという一文を引き、最後に蛇足とことわりつつ自身による具体例を示す。
形容詞はつつしむ。とくに価値的な修飾語は、ほとんど使ってはならない。「かわいい女の子」「かわいいお花」などは常に正確でない。その子がかわいければ、そのかわいさを的確に具体化して、読者に「かわいい」と感ぜしめなければなるまい。この辺が一ばんセンチメンタルな溶液化、アイマイ化が進む原因となる。
など、他にも示唆に富む。矢川澄子さんが一冊の本でとりあげているのは『世界童話大系』、金田一氏の訳文について、とうとうと語られいま読んでもおもしろい。
児童文学2006の特集は「いま古典を読む」。表紙、挿画は変わらず長新太さん。かっこでくくられている1992とあるように、特集原稿のほとんどは14年前に預かった原稿のよう。14年の時差を感じる。とくに川島誠さんのが今年のだったらよかったなと思う。
そんな中、今江さんの文章は数少ない今年のもの。
改訳も新訳もできない国産もの(本文では強調点)は、文体が古びたり中味の鮮度が落ちたりすると、一挙に過去のものに組み入れられてしまうおそれがある。絶版になるのはそういった本である。そこを生きのびる力がある作品だけが三十年、四十年と生き続けていき(読まれ続けていき)準古典として更に生きのびることになるのではないか。
それを糧にした子供たちが二十年後三十年後に子供の本の書き手になる。
その他に創作童話が推薦者の名前とともに6作収録されている。いずれもメリーゴーランド童話塾生徒作品。巻末に書店スタッフによるブックリスト付き。税込み1260円+送料。
コシヒカリの新米もおいしいけれど、いつも食べるのにはアキタコマチ。新米、ほんとにおいしいです。
芋の季節、昨夜は大和芋の磯部揚げをつくりました。ほかは前の晩のおでん、レタスサラダ。五分づき新米。
今晩は、さつまいもコロッケ。「きょうの料理」芋特集をみて、さつまいもの他はコーン、玉ねぎ、ベーコンをいれて。サラダは、にんじんとキャベツの千切りにして塩で少ししんなりさせ、スライスチーズを適当に切ったものにオルチョをたらりといれたもの。オルチョと塩があれば、ドレッシングもいらないくらいおいしい野菜サラダが簡単にできます。五分づき新米。おみそ汁は、油揚げ、わかめ、大根葉。コロッケは何を具にしても、子どもたちが喜ぶおかずです。10個くらい食べたいと言ってました。今日はひとり3個です。ちびちゃん、おなかはちきれそうと言ってました。
昨日はちびちゃん行事、今日は上の子どもたち行事。高学年になってはじめて、自分たちでコーナーをつくって低学年、中学年の子どもたちを迎える立場になったお兄ちゃん。はりきって、自分のクラスに顔を出すようにと弟に言っていた。景品づくり(手裏剣、みさんが、おりがみ工作もの)をしたり、クイズの問題を考えたり、いろいろ考えたようで、今日の夕ご飯はその話題でもりあがった。
クイズは7問だして、正解の数で景品が違ってくるという。パーフェクトは1人だけだったそう。「世界で一番怖いだんごは?」「春に食べるソーメンのようなものは?」など、私もパーフェクトはムリだろうな。
ちびちゃんは、すぐに飽きてしまい、もっとも楽しんだのは、すべり台遊び。お気に入りのピンクの服で、何度も何度もするするすべって満足していた。
つれあいはバザーが終わる間際にほしかったものを手に入れてニコニコ。ほしかったものは卓上七輪で、500円だったのが、ほかにもおまけがついて200円だったそう。私は100円でたち吉の深めの小鉢5個を入手した。
夜はおでんと牡蠣のソテー。塩胡椒して小麦粉をぱらりとしてから、オルチョで炒める。おでんも牡蠣もおいしかった!
役員仕事をせずに、7年ぶりくらいに子どもと一緒に楽しめた午前中。いつもつれあいにまかせてばかりなので、新鮮だった。ささやかなしあわせ。
お昼は総菜パンを買ってきて簡単にすます。書店に行ったら、来年のカレンダーや手帳、年賀状関連の平だながにぎやかにつくられていた。もう今年もあと2か月なのだ。
つれあいはその後えんえんと昼寝をし、私はビーフシチューづくり。スーパーで試食して気に入った子どもが、買い物かごにビーフシチューの素をいれたので、牛すねを買って、早めに煮込みはじめた。夕方にはとろとろ。新米+ビーフシチューの夕ご飯でした。
今日でうちの周りの田んぼのほとんどの稲刈りが終わったようです。新米の季節。昨日お米やさんに行ったら、新米がずらりと並んでいました。いつもはアキタコマチを玄米で購入しているのですが、ポイント2倍まであと数日ということもあり、今回は3㎏だけコシヒカリを購入。
新米ピカピカで美味です! つれあいも、ごはんだけで食がすすむね~とぱくぱく食べています。昨夜は、じゃがいもとにんじんのベーコン炒め、水餃子(石垣島ラー油で)、おみそ汁(豚肉、生しいたけ)。今晩は、コシヒカリ五分付きご飯、おみそ汁(じゃがいも/ちびちゃんが園で収穫したもの+はんぺん+みょうが、大根葉)、大根とみょうが、レタス、ツナサラダをポン酢醤油で、モツの野菜炒め(にんじん、大根葉、ピーマン)。
昨日、ちびちゃんは園で小さな山を登ってきました。おだやまといえなくて、「おやまだござん」をそれは楽しみに、めずらしく朝も自分から起きてきて、おにぎりと水筒の準備をしていました。山にある池には河童が住んでいて、いつも子どもたちに手紙と小さなおみやげ(するめ)を準備してくれています。わが家は3人ともこの山に登り、河童を見かけてきているので、子どもたちで話がはずんでいました。迎えに行ったときも、いろんな子どもたちが「今日、河童みた!」と教えてくれたのです。ちびちゃんは、「て、みたよ!」とのこと。私も会いたいなぁ、河童さんに。
今日のお昼は、朝いちに酢でしめた、しめ鯖と炊きたて五分付きごはん。かつおぶし少々でお吸い物、ふのりで。冷や奴を残っていた塩わさびをつけて。(あぁ、これで全部食べてしまった)。しあわせな昼下がり。締めは番茶。
夜も、しめ鯖とかますの刺身。だし巻きたまごをつくり、刺身にはみょうがとニンジンをつまにして。ごはんたっぷり炊いたけれど、みーんなペロリ。昨日の疲れから(一日トータルで10時間ほど運転した)つれあいも定時にあがって一緒の晩ご飯。今日はお風呂ちゃっぷんしてころりと寝ます。
いしいしんじさんの日記を読んで以来、いつか行ってみたいとあこがれていた、「まるいち」に行ってきました。連休で、しかも快晴。ほんものの渋滞を体験しながら、到着。
きゃー、ここが! ぴかぴか光る「まるいち」の魚にうっとり。どれにしよう、どれを買おう。きっちり氷をいれれば家までもつと言ってもらえたので、その日おすすめのタチウオを刺身用に、お買い得品のメアジ、カマスをそれぞれ刺身用に三枚おろしにしてもらい、半分は焼き魚に。これで塩レモンのカマスが食べられる。サバもいいのが入っているということで、こちらは一尾まるまるしめ鯖用にたっぷり塩につけて持ち帰り。うれしいな。
お魚をおろしている間に、まるいち食堂で刺身のもりあわせとご飯セットで、少し遅いお昼をとりました。こちらも行列ができるほどの繁盛です。お刺身で三崎のまぐろを堪能。タチウオの刺身もおいしかったぁ。
それから、またまた渋滞を体験しつつ、三浦の海岸にも足をのばします。もういつ帰っても渋滞なので覚悟して。子どもたち、大喜びで全身ずぶぬれになりながら、貝をひろったり、海とたわむれていました。金管楽器の音色がときどき耳に入って心地よい夕方を過ごしてから、現実の渋滞にまた戻り、夜中すこし過ぎて帰宅。
翻訳文芸がよくそろっていて、新刊も充実していて、雑誌も好みのものがあり「四季の味」を毎号買っていた書店さんが今月いっぱいで閉店するという。残念。
『須賀敦子全集』(河出文庫)の1巻と「四季の味」を買う。店内に貼られていた閉店の知らせを読んでびっくりしていると、店員の人が「わたしたちもびっくりしているんですよ。でも、本はどこでも買えますよ」と。さみしい。
子どもたちは、小さい頃みんな「おかあちゃん」と呼んでくれていたのですが、だんだん「~さん」に変わり、とうとう最後のちびちゃんも「おかあさん」になりました。ちゃんも気に入っていたのだけれど。
園で買っている「こどものとも」はいつも一月遅れで子どもの手に渡されます。なので、10月に入り持ち帰ったのは「サムリ まめをとりかえす」というタイの昔話。留守番を頼まれたサムリだけれど、言いつけを守らず畑からカラスを追い払う仕事より、友だちと遊びに行ってしまいます。もどってきた時には、カラスにマメを取られていました。サムリはマメを取り返そうと、人や物に頼み……。くるりとひとまわりして、めでたしめでたしの話に、聞いていたちびちゃん「なかなかおもしろいね」と。(そういえば、ちびちゃんは最近「なかなか」と言うのが好きなのでした。)
アルメニア民話の『きょうはよいてんき』(ナニー・ホグロギアン)や、Ed Youngの"What about me?"もこんな感じの昔話。
五分付きご飯に、生活クラブで買った六穀をまぜて炊く。ぷちぷちとイロイロ入っているので、ちびちゃんが「このしろいのはなに? このきいろいのはなに?」と聞いてきていた。いや、私もすぐには答えられずでごめんよ。
銀タラの煮物、炒り豆腐、れんこんをオルチョと塩でオーブン焼きし、それにかまぼこと水菜をまぜあわせてサラダに。色合いがきれいなので、「お母ちゃん、なんだかゴーカにつくったね」とちびちゃんからほめてもらう。ちびちゃん、いただきますをしてから、まっさきにこれを食べていた。
おみそ汁はじゃがいもとみょうが。
最新号がでているので、これはそのひとつ前の号。対談記事の〈石原千秋・斎藤美奈子 「道徳」よりも「リテラシー」を! 国語教科書を何を教えているのか〉、おもしろいです。
あれこれ引用したいのですが、最後の会話だけ。
斎藤 小説の設定やストーリーをどこまで出すか、どこで止めておくかという「寸止め加減」は結構難しいんですよね。ただ、そういうお話かをまったく書かないで書評と称するのは仕事をしていないような、手抜きな感じがしてしまう。実はストーリーをまとめる作業が一番面倒なんですから。批評的な言辞を弄している部分だけが目立って、コツコツと内容を紹介している地味な作業は、評価されにくいのですが。
石原 「この先を読むと面白いぞ」というところで止める加減が一番難しいんですけれども、そこをやらないで罵倒するような批評がいまは多すぎると思う。
昨日は保育園の運動会。からりとした秋晴れの朝、会場を設営し、運動会後の芋煮の準備もする。例年、原木なめこは予算的に買っていなかったのだが、今年は少し購入し、なめこ(水煮)のほか、しいたけやしめじもいれてみた。里芋は地元でつくった無農薬なもの。ご好意で親芋もいただいたので、そちらもいれてみた。つれあいが、前の晩は昆布や厚切り削り節、煮干しで濃い出汁を準備したのも、おいしい味になった。
毎年、最後の方になると具がないという声もあったのだが、増やした具材がほどよく残り、味付けも、少し濃いめにしたところ好評でほっ。具材の切り方も、子どもの口にあわせて小さくしたのもよかったよう。秋のメイン行事がひとつ終了。
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