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永瀬 清子著 |
新井 豊美著 |
のどが渇くように詩を読みたい時があるわと、私の先生は言い、美しい言葉を教えてくれます。私もむしょうに詩を読みたくなる時があります。昨日の新聞記事に永瀬清子さんの『短章集』(思潮社/詩の森文庫)が酒井佐忠氏による文章で紹介されていました。
「詩を書く理由」と題した短文では
〈植物の中を水が通るように――。
つまり植物の表面において水は乾くから、
植物は根から水を汲むポンプだから
だから私の中を詩が通る。〉
と書く。詩は水脈にほかならない。乾く作用と汲む力の両方がなければ詩は生まれない、と詩人は伝える。詩人の中には水を吸い上げるポンプが必要だし、また「心の渇き」を感受する繊細さが要求されている。
本棚から『永瀬清子詩集』(思潮社)を取り出し読む。最初に目にはいった詩。
外はいつしか
外はいつしか春のみずいろ
おもむろに樹々はひかりはじめ
雨も風も心をなごます
私にいるものが漸く来たのか
陽の傾斜のわずかな回復
これが私にそんなにいるのか
私の心の弱さかぼそさ
わがままにさえ私はねがう
よい時季(とき)よ私に来てくれ
よい友よ、私をたすけ起こせよ
かえらぬ過失や悔いを忘れしめ
つれなき行為を笑みもて受けしめ
苔の下をも黙してしのび
ああわが心を春のやさしさもてみたしめよ
ここのところ、夜は丼もの(トマトとひき肉と玉子)や、パスタ(オルチョとツナとトマト缶)、カレー、シチュー、おにぎりなど、作り置きをしてからぱぱっと夕方の会議に行き、子どもたちにご飯を食べさせる日々が続いていた。しかし、食卓がさみしすぎるので、今週はいくつかパスしてふつうのご飯づくり。
今日は、五分つきご飯、大根と豚肉の生姜醤油炒め、白きくらげと海苔の酢のもの、さばの塩焼き、お豆腐とわかめの吸い物。いくつかつくって食卓にならべて食べる楽しさよ。
上の子が、国語の教科書読んでたら「カレー食いたくなってくるな」という。重松清さんの「カレーライス」という物語を読んでいるらしい。日曜日、日々の宿題である音読に、この「カレーライス」を大きな声で読んでいたら、「お父さんは料理が下手だ。じゃがいもやにんじんの切り方はでたらめだし、しんが残っているし」というところで、つれあいがふざけて「ひどい、お父さんのつくったカレーはいつもおいしいって言うじゃないか」と言うので、弟と妹がおもしろがり、いつのまにか家族みんなで教科書の音読を聞いてげらげら笑ってしまった。
おかげさま(?)でつれあいのつくるものはおいしく、子どもも手伝いたがる。先週はつれあいと子どもで、おいしい中華あんかけごはんをつくってくれた。サンキュ。
上の子が私とふたりでいた時にあった出来事を突然話し出す。3,4年前の話だが、こじれて解決をみたのが去年。あれ、どうなったの?とお風呂からあがって聞いてきた。顛末を話すと納得がいった様子で、おもしろかった。おとなでもあんな態度とるんだねという彼の感想が親ばかでうれしく、そうそうとふたりで納得する。
この間、偶然に子どもが生まれて数年の時のビデオを見た。まだ下の子が生まれていない時。つれあいは仕事で家にいなかったが、家族4人でじっくり見てしまう。おとーさん、まだ髪白くないねー。おかーさん、わかいねー。という声を聞きながら、おもしろく見入って、おみそ汁を煮込んでしまった。
知人の日記で、マリア・グリーペの訃報を知りました。享年83歳。『夜のパパ』の復刊を喜んだのは、ほんの数年前でしたか。すばらしい物語作家でした。さみしいです。
雑誌「考える人」、今回の特集は「短編小説を読もう」。丸谷才一、川上弘美のインタビュー、村上春樹のe-mailインタビュー、橋本治と高橋源一郎の対談、加えて堀江敏幸、ジュンパ・ラヒリの短編も収録されている。でもって、表紙写真もいい。誰かの本棚ではなく、撮影用の本棚のようなのだけど、オタ・パヴェルの『美しい鹿の死』や、ロジェ・グルニエの『フラゴナールの婚約者』、ジュディ・パドニックの『空中スキップ』など和書だけでなく、アリス・マンローの原書(『イラクサ』や"Runaway")などもささっている。
最初に読んだのは橋本治と高橋源一郎の対談。橋本が書いている連作短編について、とくに『蝶のゆくえ』についての語らいは、私もつよくつよく印象づけられた短篇集なだけにおもしろく読んだ。下記のようなやりとりがずっと続いていて、橋本氏が書く次の短編が楽しみになってきた。
高橋 これもどこかで橋本さんが書かれてたと思うんですけど、女の子の話を書くのはなかなか難しいかもしれない、それはつまり現代の女の子の幸せがわからないからって。その点はいまはどうなんですか。
橋本 いまでもそうですよ。小説を書くってことは、その人にとっての幸せって何だろうということをいちおう頭においてからじゃないと始まらないと思ってるから、若い人のことは書かないよね。
次は短編を読もうかなと思って、雑誌をぱらぱらした時に目に入ってしまったのが、中村好文の「小屋の流儀」。この「考える人」の雑誌は毎号買っていないので、単独で読んだのだけど、なんとも魅力的な風呂小屋の設計と写真が載っていた。よし、家のローンが終わったら、つれあいにこれをリクエストしよう。
中村好文という人の名前を知ったのは、一年ほど前の夜の病院。子どもが指を骨折して腫れがひどく痛みをつよく訴えるので、救急でかかったのだ。総合病院の夜間救急なのでいろいろな人がたくさんくる。待合室で流れていたTV番組にこの人が出ていた。子どもとふたりでぼうっと見ていたことを思い出した。すてきな家をつくっていて、子どもが「いいね、こういう家」と言っていた。
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表紙画像 by amazlet
著者、岡崎さんの名前は古本関係ではよく目にするし、ブログもたまーに読んでいた。でも、注目するようになったのは、「ちくま」で連載されている、「古本屋は女に向いた職業――女性古書店主列伝」を読むようになってから。文体が適度にカジュアルで、それでいて品があり、書かれていることが頭にすっすっと入ってくる気持ちよさがある。
この新書も出たことは知っていたのだけれど、たまたま京都の友人と電話で話した時に、すごくいい!と言われ、電話を切ったあとすぐオンラインで注文したのだった。で、読むと確かにおもしろかった。
「チューニングには慣れが必要」というのは、自分でも無意識にしている行為を言語化されたすっきり感をもつ。想像力や自分流に翻案することで、読んでいるものとの距離を近づけていくことを、作家の保坂氏がチューニングという表現を用いていると紹介してくれる。私も、仕事で生原稿を読ませていただくのだが、生原稿に限らず、はじめて読む作家作品もそう。ページを繰るごとに、チューニングがあってきて読むスピードもあがっていく。ただやみくもにスピードがあがるのではなく、大事なところではちゃんと目がとまるように。
小説の冒頭でぴたりとそれがあうと、あとがとても楽しく読める。講談社児童文学新人賞佳作を受賞した『タイドプール』(長江優子著)の最初の一行を読んだときもそう思った。
インターホンがなったのでドアをあけたら、お母さんがとどいていた。
まるで宅配便が届いたかのような描写で印象づけられた一行は、私にページを繰る安心を与えてくれた。山本蓉子さん挿画のスミレがかわいらしく映えている表紙をくると、この一行が出迎え、あとはするするっと読める。父親が再婚し、ママハハとの生活がはじまる少女の生活。うまくいく時とぎくしゃくする時のバランスの悪さがよく描かれ、少女の視点とともに、大人へのまなざしも忘れていない作品だ。
福田里香さんのつくるスイーツとくれば、やはり手元に欲しくなる。本の中身は、だいたいこんな感じ → Yahooo! Japan スイーツスイーツ特集
ここで紹介されているスイーツ含め、羽海野チカ、くらもちふさこ、よしながふみ、荻尾望都の対談も掲載されていて、つくりも大判で、よみごたえたっぷりな一冊。
未読漫画の『リストランテ・パラディーゾ』。ここのスイーツとして紹介されているのは、ショコラート ドルソ、およそ自分ではつくりそうにもないのだが、心惹かれる。ワインも飲みたくなってくる。
「群像」4月号の山田詠美×川上弘美対談「小説とは地味なものです」がおもしろかった。おふたりの最新作である『無銭優雅』と『真鶴』をめぐってというサブタイトルにあるように、この二作を読んでいると、より楽しめる内容。小説をどう書いていくか、設定し肉付けしていくか、その構築をめぐる言葉のかけあいが、お互いにすれ違うことなくかみあっていて、共通の土壌をもっていることが伝わってくる。おふたりが好きな田辺さんの作品についてや、尊敬すべき文学ミーハーな方のことなど、楽しそうな話っぷりだった。
『真鶴』は平仮名が多用され、『無銭優雅』は著者自身も言っているように「すごく漢字が多い」。でもって「言葉じり」がすごく大事、文字は大事という。漢字というのはイメージで、イメージを限定するためにも『無銭優雅』では漢字を多くつかった。『真鶴』は平仮名ゆえに、せきとめられる。イメージが限定されないがゆえに。このことは、私は未読だけれど、「文學界」3月号の“ニッポンの小説”高橋源一郎氏が書いているとのこと。
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