« 2007年9月 | トップページ | 2007年11月 »
100年、100歳というのは途方もない年月に思えます。この年齢まで生きられるとしたならば、私もまだ半分にも到達していないのですから。
今年100歳のお誕生日を迎えられた石井桃子さんの特集が、複数の雑誌で組まれました。そこで働き訳書も多く出している岩波からは、「図書」というPR誌で鼎談が組まれ、雑誌「MOE」、「AERA」、「yomyom」、「母の友」、「ユリイカ」、そしてつい先日発売された「飛ぶ教室」でも。
これだけ同じ特集が重なると、どうしたって執筆者も重なってしまう。どこで切り口を新鮮に見せてくれるか、読み比べてみるのもおもしろいものでした。
ご本人のインタビューは「yomyom」にも掲載されていますが、3年前、「ユリイカ」でクマのプーさんが特集された時に掲載された安達まみさん聞き手のものがおもしろかったです。ちょうど、ミルンの自伝を訳され、校正が終わった直後というタイミングの良さもあったのか、ぽんぽんと出る話どれもが興味深かったです。3年後の今年、「ユリイカ」は石井桃子特集を組んだのですが、ご本人の肉声はなく、その代わり、1967年に書かれた「子どもの読書の導き方」を掲載していて、こちらもおもしろいものです。
「飛ぶ教室」(2007年秋号)では、神宮氏の文章で、“石井さんは、日本の子どもの文学全般については、ずっと控えめで間接的な提言しかしていなかったが、それが直接的になったのは『子どもと文学』(1960)の発刊だった思う。しかし、その提言も「以下の各章は、私たちの『日本児童文学はかくあった、かくあるべし』の結論ではりありません。(『子どもと文学』中央公論社、1960、p7)」と述べて決していわゆる児童文学論ではないと断ったものだった。”と、本を紹介しています。
この中央公論社からでていた『子どもと文学』は6年後に福音館書店から刊行され、いまは品切れになっています。私はこの福音館版の17刷を持っているのですが、押しつけるわけではなく、しっかりはっきりと言うべきことを言う姿勢に、最初読んだ時びっくりしました。そして、もっとこういう文章を読みたいとも思いました。ただ好き嫌いを語るのではない文章はそう読めるものではありません。
あれ、何を書こうとしたんだかわかならい、とりとめない文章になってきました。今回は、この辺でやめておきます。
柴田こずえさん聞き手による(別に通訳あり)、6人の海外絵本作家インタビュー。エリック・カール、クェンティン・ブレイク、M・B・ゴフスタイン、ディック・ブルーナ、ジョン・バーニンガム、レイモンド・ブリッグズ。それにプラスして各作家に寄せる日本の作家がスペシャルエッセイを寄せています。
一度に読むのではなく、少しずつ作家ごとにゆっくり読んでいるところです。最初から読まなくても、気になる人の話から耳を傾ける。同時期に、バーニンガムの自伝がほるぷ出版から出ていますが、自分で語る自分と、人から引き出されるバーニンガムと別角度からいろいろ見られるのもまたおもしろいです。
現在でも最初から絵で食べていくのは苦しいでしょうが、クェンティン・ブレイクも、両親から絵では食べていけないといわれ、最初は絵ではなく文学を勉強していきます。でも、学生時代から雑誌「パンチ」に投稿をはじめ、どんどん掲載されていったそうで、やはり才能があったのでしょう。ブレイクには、柳瀬尚紀氏がエッセイを寄せています。ダールの作品を訳していく上でブレイクの挿画となじみになったことを書いたあと、朝日新聞のコラムの文章で、「柳瀬訳もなかなかいいのではないか」と書かれたことについて、“柳瀬訳は問題なくいいのだ。この際はっきり言っておく”ときっぱり書いています。
レイモンド・ブリッグスのインタビューで印象の残ったのは、このやりとりです。
――コミック・スタイルの絵本を作るにあたって、コミックではなく、「絵本」という形にするために、何か工夫をしていることがありますか?
絵本なのかコミックなのかということはまあり考えたことはないし、コミックとの違いをつけようと、工夫していることは何もありません。最近イギリスでは、『Erthel & Ernest』に対して、「グラフィック・ノベル」という言葉を使って表したりしていますが、それもなんだか好きじゃない。もともと小説なんかじゃないと思ってますから。私は「ストリップ・カートゥーン」でいいんじゃないかと思ってるんです。
1989年以降、絵本を発表していない、M.B.ゴフスタインのインタビューはどの言葉も静かに、ゆるがない芯を感じました。数年学校で絵を教えていた時のことを幸せだと語っているのが印象に残ります。“教えることは本当に大好きでした。本を書くようなことです」と言っていて、生徒たちに自分たちの本当の作品を見つけ出させる手伝いは、自分の本を言葉にするために、正しい言葉を探すその作業によく似ていると。写真もお好きだというゴフスタインさん、人形をとった写真絵本がとても素敵でした。
『246』(沢木耕太郎/スイッチパブリッシング)を読み、氏が子ども向けに養蜂家のことを書いたものがあることを、はじめて知りました。1987年に福音館書店発行の「たくさんのふしぎ」シリーズの1冊で1992年に単行本化もされてもいるようで、さっそく図書館で借りてきました。『ハチヤさんの旅』は、残念ながらいまのところ、入手は難しいようです。
転地養蜂(移動養蜂)でハチを飼っている家族の一年を追ったノンフィクションで、写真もたくさん入っています。九州から北海道まで、家族で移動して蜜をとっていくのですが、小学校にあがった子どもは、祖父母の元でお留守番。学校にあがっていない子どもひとりは、ずっと旅にもついて行きます。間借りしたり、空き家を借りたりしながら、朝早くから働く両親。仕事の中で一番大変なのは、ミツバチの輸送で、その間にハチを弱らせないよう運ぶのにとても苦労するらしい。自然相手に、時には不作で借金をして暮らさなくてはいけなかったりしても、緊張感と共に変化ある生活を養蜂家が誇りをもっていることが伝わってきて、はちみつを大事に食べなくちゃとしみじみ思いました。
この写真絵本を読んだあとに、近くで物産展のように地元のさまざまな食が集う場に行くと、蜂蜜が売っていました。栃の花、ぼだいじゅ、はりえんじゅ、こしあぶら、夏のそば、みかん。くせのないものから、ワイルドな味までそれぞれが個性的です。子どもたちと、たくさん味見をさせてもらい、意見の一致をみた「こしあぶら」の蜂蜜を購入。高価なものですが、『ハチヤさんの旅』を読んだばかりなので、その値段にも納得です。こしあぶらといえば、新芽は山菜の中でも極上のもの。蜂蜜も野趣に富んだ味でした。
めっきり寒くなり、朝の霧も濃くなりました。こうなると、夏を過ごしたことが遠い昔に思えてきます。
昨日の夕ごはんは、五分付きご飯、鶏レバのニラ炒め、キャベツのコールスロー。オルチョでドレッシングをつくりました。ご飯のすすむレバニラ炒め、ちびちゃんが最後の最後まで食べてました。おみそ汁はかぶ。根菜類がおいしい季節です。
今日の夕ごはんは、五分付きご飯、おみそ汁(にんじん、こんにゃく、干し椎茸)、さつまいもの肉じゃが、大根の浅漬け(穂ジソ入り)、ニラ入り卵焼き、紅ショウガつき。
庭の穂ジソを塩漬けにしたものを浅漬けにいれたら、子どもたちが、「このちっこいの、すっごいおいしいね」と喜んでくれました。この子たちは、庭でとれたものが大好きで、教えてあげると、うちの庭は便利だねと満足もするようです。さつまいもは、ちびちゃんが園の畑で掘ってきたもの。ちびちゃん、「わたしがとってきたんだよ」と自慢していました。上の子が「学校でも家でもさつまいもがいっぱいでるね、さつまいもの季節だね」と。今日使ったニンジンや玉ねぎは、昨日まんなかの子がファイブアデー学習という食育で行ったスーパーでもらってきたものです。豊かな食卓を囲める幸せよ。
少し前に雑誌「ブルータス」でも旅特集をしていて、旅本レコメンドひとり3冊特集があったけれど、今回は作家が選ぶたびの本ということで、作家だけでなく、翻訳家、写真家も含めてたっぷり155冊が紹介されています。
「コヨーテ」もブーヴィエが特集され、内容的には旅がキーワード。「コヨーテ」の方はジャック・ケルアック『路上』を読むと題された、美術家、坂口恭平氏によるエッセイが熱くてよかった。
同じくらいの厚みをもつ「エスクァイア」は税込み700円と「コヨーテ」よりお得度高し(笑)。来月刊行の新訳、『オン・ザ・ロード』(河出書房新社)がめちゃくちゃ楽しみになるような雑誌が続いているなぁ。
で、「エスクァイア」の熱さは、旅本セレクト。町田康氏をトップバッターに、注目されるものを書き続けている作家や翻訳家がどんな本を選んでいるかと興味津々になります。児童書ではドリトル先生シリーズの数冊が複数の方に支持。そうか、これも旅本か。地球喪失者の旅、魂の旅、自分を探しにいってますます自分がわからなくなる旅、途中下車は禁じられていた、ハワイをやる、などなど、作家それぞれのワンテーマにそって、1冊から10冊くらいまでの本が紹介されていく。こういうセレクトをみていくと、本の世界はまだまだおもしろさに満ちていてうれしくなってしまう。全部読み切れるということは決してないこともわかったうえで、それでもワクワクしてくるのです。
この本を読んでいる最中、どの言葉もノートに書き写したくなった。
あれこれページを繰っていると、どの言葉もわかりすぎるくらいにわかり、こんな風にまっすぐ表現できるんだと、どれだけの安心感をもらったか。
まるで、本の中の著者と語り合ってるかのような気分になり、くつろいだ気分で好きな飲み物を口にしながら、夜中に読了した。
夏、わたしはおじといっしょにリンゴの木の下でレモネードを飲みながら、あれこれとりとめもないおしゃべりをした。ミツバチが羽音を立てるみたいな、のんびりした会話だ。そんなとき、おじさんは気持ちのいいおしゃべりを突然やめて、大声でこう言った。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」
だからわたしもいま同じようにしている。わたしの子どもも孫もそうだ。みなさんにもひとつお願いしておこう。幸せなときには、幸せなんだなと気づいてほしい。叫ぶなり、つぶやくなり、考えるなりしてほしい。「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」と。
本読みの信頼できる友人がみすず書房から出ているブーヴィエの本を絶賛リコメンドしていたので、気になっていたら、雑誌「Coyote」[版元Link]の特集でも組まれていたことを発見。
知人から掘ったばかりの、さつまいもをいただく。昨日は、さつまいもと鶏ひき肉の煮物をつくった。甘くてほくほく。子どもたちも喜んで食べる。ほかには、五分つきごはん、青梗菜といりこ、卵のスープ、きゅうりとわかめの酢のもの、にんじんとれんこんのきんぴら。れんこん、シャキシャキしてておいしいです。
今日は、さつまいもと豚肉のきんぴら。レシピでは豆板醤を入れるとなっていたけれど、子どもたちはまだ苦手なので、ペンギン食堂の「石垣島ラー油」を。これは大成功で、味に深みがでました。我ながら満足。石垣島ラー油のおかげです。ほかには、五分つきごはん、おみそ汁(ほうれん草と豆腐)、ひじきとにんじんのツナサラダ、トマト。
ばっかり食も楽しいもので、明日はどんなさつまいも料理にしようかしらん。
民子さんという、いまどき古風な名前の少女は母親を癌で亡くし、父親とふたり暮らしをしていました。それから二年後、父親は会社の同僚と再婚します。宏子さんという女性は、よくいえば天真爛漫、ひねたいいかたをすれば、人の気持ちをくむのが下手です。民子さんは、おばあさんから厳しく躾けられたことこもあり、宏子さんのおおざっぱさについていけない時もあります。けれど、宏子さんが気持ちのよい人だとも気づいていくのです。
静かでまじめな小説です。
物心ついてから、新しい大人を家族に迎えるのは、へんなたとえかもしれませんが、嫁と姑がおうおうにしてぎくしゃくするように、むつかしいものだということは想像できます。民子さんが、小学6年生の時に迎えた新しいおかあさんと、日々の生活、とくに食卓を囲むところで気持ちがささくれるのは、切ない場面でした。おみそ汁の出汁、お番茶、おせち料理、いろんな場面で、民子さんは逡巡します。どの描写も、地に足のついたもので、静かな筆致ながら輪郭のしっかりした物語が心に届く心地よさがありました。
第2回ポプラ社小説小説大賞優秀賞作。
『月のうた』 穂高明著 1260円(税込) ISBN 978-4-591-09955-1
ポプラ社月刊誌「asta*」11月号では、著者インタビューも掲載されています。
去年か一昨年か、もう記憶はさだかではないのだけれど、ミョウガの苗を購入し、つれあいが庭に植えた。庭担当のつれあいがいそがしく、ふと気づくと今年はミョウガが青々と茂っていたのだ。どこの部分を収穫するんだろうね、と呑気に話をしていたのだが、さっさとぐぐるなりで調べてみればよかったのだ。とはいえ、思いついて検索したことにより、庭のミョウガを数百グラム収穫! 冷や奴の薬味にしたり、おみそ汁の実にしたりして、残りは、オルチョと塩で炒め、酢漬けに。るるん。おいしそうです。
今年は少し前に、穂紫蘇も少しだけれど、収穫して塩漬けにしたところ。これでおにぎりをつくるのだ。ささやかな楽しみです。
生活クラブで注文していたものの、先週は天候の影響で届かず、今日の荷物でわが家に到着した青いパパイヤ。「クウネル」高橋みどりの伝言レシピにちょうど、“青いパパイヤのしりしり”がのっていたので、つくってみました。
しりしりとは、沖縄では千切りにすることで、“しりしり器”というのも存在するそうです。そういう便利な道具をもっていないので、ふつに包丁で千切りし、オルチョで炒めて粉チーズをふりかけてできあがり。「なんとも言えない美しいキミドリ色がかかった透明な白」を実際にみることができました。でもって、美味しい。子どもは「パパイヤって果物かと思ったら、青いと野菜なんだね」と納得して、おいしいおいしいと食べてくれました。つれあいも、言わなければパパイヤとは気づかず。大根かと思ったとのこと。レシピにも、歯ごたえが切り干し大根をもどしたのと似ているとあり、でも実際につくると味は近くなかったと。初めて手にした食材でしたが、楽しかった。子どもたちは、調理する前の青いパパイヤのにおいも「いいにおい~」と言ってました。
他に、五分付きご飯、オクラと海海苔のおみそ汁、モツ炒め。
『ねむれないの、ほんとだよ』
ガブリエラ・ケセルマン文 ノエミ・ビリャムーサ絵 角野栄子訳 岩波書店 (2007.9)
スペイン人のイラストレーターに、アルゼンチンの作家が文章を書いている絵本。土黒くの色合いとタッチの表紙が目をひきます。
ひとあしさきに上の子が読んでいたようで、私が今日はこれを読もうかなと手にとると、「うん、それはおもしろい絵本だった」と教えてくれ、期待しながらページを繰りました。
「ぼく ねむたいんだ、ほんと、ほんとだよ。
でも ねむれないの、ほんと、ほんとだよ」
濃いグリーンの暗闇の中、ぬいぐるみのピンク色のうさぎをかかえたマークがこうつぶやくところから始まります。ねむたいんだけどねむれない。マークがねむれない理由は様々で、その原因をとりのぞいてもらおうと、「ママ!」とよんでは、蚊が刺すから怖いとか、ベッドが高すぎて落ちるのが怖いとか訴えます。ママも真剣に対応を練っていくのですが……。太くて濃いタッチの絵ながら、構図はいたってシンプル。リズミカルな文章からマークとママの人柄も伝わってきます。背景が濃いグリーンから、真っ白になり、そして最後の色合いもシックにおさまっていて、マークの心の動きをみるようでした。子どもたちも、「ねむれないときあるよね、こわいよね」と共感して聞いていたようです。
カレンダーや手帳の季節になり、例年のこれを注文しました。
すっきり疲れをとるまもなく、雑事に追われる日々。今日はちびちゃんの就学時検診のため、ふたりで小学校へ。ちびちゃんにとっては、学童の迎えや学校行事でしょっちゅう来ている場所ではあるものの、最初は緊張気味でした。でも、泣き出すこともなく、無事終了。
今月半ばくらいまで、保護者会やPTA関連のもろもろが続きます。先月から、ほぼ毎週のように会議も入っていて、ようやく今週と来週のが終われば、ひとくぎり、かな。
読ませていただいている物語のおもしろいこと! 刊行がまちどおしいです。華やかなファンタジーではなく、地道なそれでいて、児童書らしい話。
今日の夕食は、春巻き、きゅうりとわかめの酢のもの、豆腐とみつばのおみそ汁、五分付きごはん。まんなかの子はみつばが好きなので、「ぼくは、このはっぱが入っている味噌汁はすごく好き」と喜んでいた。
最近のコメント