ごはん
夕ご飯は、あさりとスティックブロッコリーの酒蒸し。オルチョたらりとかけて美味! 五分づきごはん、お豆腐とわかめのおみそ汁、野菜とモツ炒め。
スティックブロッコリーは下ゆでせず、生のままあさりと蒸したのですが歯ごたえが残って食感よく子どもたちにも好評でした。デザートは甘夏。
昼間のおやつはミニドーナツと牛乳。お兄ちゃんたちが遊びに出かけ、久々にちびちゃんとデート。ピンクの髪ゴムを買いました。
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夕ご飯は、あさりとスティックブロッコリーの酒蒸し。オルチョたらりとかけて美味! 五分づきごはん、お豆腐とわかめのおみそ汁、野菜とモツ炒め。
スティックブロッコリーは下ゆでせず、生のままあさりと蒸したのですが歯ごたえが残って食感よく子どもたちにも好評でした。デザートは甘夏。
昼間のおやつはミニドーナツと牛乳。お兄ちゃんたちが遊びに出かけ、久々にちびちゃんとデート。ピンクの髪ゴムを買いました。
卒園、卒業の春旅行を家族でしてきました。この地でもだいぶ春の空気を感じていたのですが、トンネルをぬけると、のごとし、まだ雪景色がみられました。スキーをまったくしない私なのですが、念のための子どもたちのスキー道具はもっていったものの、結局は家族でまったり過ごしましょうと活躍する機会のなかったスキーさん、来年こそは、かな。
北に向かうにつれ、雲がどんどん迫力を増し、ちびちゃん「おかあさん、いつも雲は上にあるのに下にあるよ!」と興奮気味に教えてくれました。ほんと、ほんと。カメラでも撮ったものの、迫力あった雲の数々、すごかったなあ。
チェックインして、カラオケで子どもたちひとうた歌い、温泉ちゃっぷん入って夕食。くちくなるまで食べて大人はひとねむり。テレビのうつらない生活から、一転して終わらないテレビに興奮する子どもたち。それから家族風呂でまったりして、またテレビで野球観戦。動く野球を見るのは出先のみなのですもの。私は「芸術新潮」の先月号をじっくり読む。ゆかりのあるお寺を別の側面から読むのも新鮮なり。国宝の庭は毎日見ても見飽きることなく、そうした贅沢の日々をひたすらなつかしく思い出した。
ちびちゃんも、ひらがなで文章を書くことができるようになり、この春休みは3人それぞれ日記を書いています。それを夜に、写真や絵もつけてプライベートブログにアップすると、子どもたちが、自分たちの書いた文章がちょっときれいに見えて楽しいようです。ちびちゃんだと、べんきょうをしました。おにいちゃんとあそんだあと、ひとりあそびごっこをしました、など、短くてたわいのないものですが、文章で残すのもいいもの。
きょうだいげんかで、しばらく離れた方がいいなと思うと、ちびちゃんは、ひとりごっこをして気分転換しているようなのです。一緒にいる時間が長いと、仲良い時間以上にけんかも増えて、にぎやか、にぎやかな毎日。
なかなか長編を読む時間を捻出できないのですが、『ボクシング・デイ』(樫崎茜/講談社)を明日から(こそ!)読もうと思っています(宣言)。子どもたちには、『みどりいろの童話集』を少しずつ読んでいるところ。「魔法の指輪」「魔法をかけられたヘビ」「身から出たさび」、どれもおもしろくって、子どもたち次に読む話をタイトルから選ぶのも楽しそうです。
毎日3食、子どもたちと食卓を囲めるのは幸せなこと。何をつくろうかと数時間おきに考え、その合間に「明日の夜はなに? 昼はなにをつくる?」と聞かれるので、「まだ決めていません」と答えながら、ずっとごはんのことばかり考えているような日々。
昨日のお昼は野菜たっぷりのお好み焼き、夜はカニクリームコロッケ(生活クラブ)、たたききゅうり(にんにく、しょうが、酢)、五分つきごはん、じゃがいものおみそ汁。今日のお昼は、ねぎ焼き(小麦粉と水とじゃこ、桜エビに、細ネギたっぷり)、焼きビーフン。夜は、寒かったので豆腐鍋(青梗菜、春雨、絹豆腐、豚バラを挽肉にして団子)。
休みの楽しみは、やはりご飯を食べながらのおしゃべり。わが家はテレビを見られない(映らない)ので、もっぱら新聞を読んでの時事ネタやら、友だちのことやら、もろもろ。
昨日読了した『裁かれた罪裁けなかった「こころ」―17歳の自閉症裁判』を読むと、いまおきている出来事について、様々な思いをもつ。子どもたちと話しながら、特にそう思う。
いいこと書いてあるなあと、上の子が感心したように言った絵本。
ドクター・スースがつくり、詩人の伊藤比呂美さんが訳したもので、本国ではスースが亡くなる前年の1990年に刊行、邦訳出版は1999年だった。発行元のニュー・ウォーカー(発売:河出書房新社でした)が解散したこともあり、長い間品切れ状態だったものが、うれしい復刊です。
今回の復刊では、大幅に改訳され、よりリズミのある翻訳によみがえっています。
おめでとう。
今日という日は、きみのためにある。
外の世界にむかって
きみは、いま、出ていこうとしてるんです。
きみの行く道はどんな道なのか。どんどん進んでいくと、ひらけた道もどんどんと、問題にぶつかってもひるむことなく。読後感は爽快です。ちびちゃんも、「きょうは、この絵本読もうっと」とひとりで読んでいます。まんなかの子も黙読しています。
さて、みんなの道はどんなんかな。
昨日のポカポカな陽気から一転して今日は雨。お昼頃、ちょっと晴れた以外はしとしと降り肌寒い日でした。
今日は通常(?)の春休みベース。私が仕事をしている後ろで子どもたちも、午前中は勉強をし、なかなか達成感があったようです。タイマーで時間を計りながらするのが好きで、みなそれぞれにピピ、ピピならせながらしていました。夜ねむる前に、春休み日記を書いていたのですが、3人とも、別々に書いているにもかかわらず、言い回しが若干違うだけで内容はすべて一緒。「今日はいっぱい勉強しました。頭がよくなった気がします」 ほんと、そうだといいなあ。
今日の夕ご飯は、ニラと豚バラの炒め物、きゅうりとわかめの酢のもの、五分つきごはん、おみそ汁(ほうれん草、切り干し大根)。昼ごはんは、春キャベツとじゃがいものパスタ、おやつは塩りんご煮のヨーグルト添え。りんごを砂糖を使わず、塩だけで煮るのは、オルチョ講習会で教わったのですが、それ以来リピート率の高いおやつです。簡単でおいしい。
密林さんから、キラン・デサイの『喪失の響き』がオススメ本ですよとメールが入ってました。表紙が美しい。早川書房といえば、『今日の早川さん・2』も5月にでるようで、こちらも楽しみ。
昨日の卒業式につづき、今日は午前に卒園式、午後は最後の総会、夜は学校の謝恩会とめまぐるしくすぎた一日。合間に、小さなトラブルが発生したため、次のイベントに入るまで心の準備が若干足りなかったけれど、まあ、こんなもの。無事総会が終わったことがなによりうれしい。総会は残すところ来月に控えたひとつのみ。こちらは気楽に参加できるので、総会の山はようやく越えた。ほっ。
いつも園の方を優先させてきていたので、最後は学校の方での謝恩会に出席。またしばらく関わりのもつ保護者の方とお話できたのは楽しく、また担任の先生方の挨拶は心に響いた。プロとして仕事をされていくうえで、つらかったこと、苦しかったことを率直に語られ、すてきな先生だった。いつか担任してくださらないかしら。
『バレエなんて、きらい』
ジェニファー・リチャード・ジェイコブソン
武富博子 訳
浜野史子 イラスト
講談社 ISBN 978-4-06-214504-6 定価:本体1200円(税別)
3人の少女、ウィニー、ヴァネッサ、ゾーイは、仲良し3人組。3階の建物の各階に住んでいるご近所さんでもあります。学校でのクラスは違うけれど、放課後は一緒に過ごしていました。ところが、学校にバレエ教室ができてから、3人にちょっと違う風がふいてきたようです。いつも意見が一致するのに、このバレエだけはそうならなかったのです。さて、仲良しさんたち、どうなっちゃう?
波風たたず、順調に友情をはぐくんできたのは、3人の価値観がぴったりあっていたからなのに、ひとりでもあわなくなると、あれ?と軌道修正しようにもなかなかうまくいきません。こんなこと、子どもの頃のみならず、大人になってからも、人との関係で思い当たるなあと思いながら読みふけりました。ケンカもしたくない、仲良くしたい、でもどうやったら、もやもやした気持ちを整理できるのだろう、前のように戻るにはどうしたらいいのだろう、そんな、すぐに答えにでない少女たちの気持ちに寄り添った文章が、心地よく読み手に入ってきました。爽やかな読後感。少女たちの選択がすてきです。
パソコンが変わり、キーボードも変わり、壊れたカメラの代わりにようやく新しいコレという機種がでたのでそれも変えたら、なんだか机まわりはとっても大変。ケーブルはあちこちにのび、どのUSBがどれか探すのも、せんをゆっくりたどらなくてはいけません。今度のキーボードはスペースキーが短いので、違うキーボードを押してしまう。書く道具として使っている、紙と鉛筆の鉛筆の部分が変わるだけで、書くスピードや、あと辞書もまっさらなので言葉の変換にもたついて、勝手が違うな、はやく慣れたいなと思っているこのごろです。
年度末で、子どもたちが一年間つくった図工の制作物や作文やらを日々持ち帰ってくる。文集には1年から5年までのものがのっていて(6年生は卒業アルバムと文集がセット)、1年生から3年生までの特に詩がよかった。方言で、やっちぐね、など子どもの日常的な気持ちがリズミカルにくすりと笑いをさそってくれるのだ。その文集が配られた次の日に、子どもの通院のために車で迎えに行ったら、「おめえの書いた詩、へんだったぞ、でもおもしろかったぞ」と声をかけているのが耳に入りました。私もその詩は印象に残っていたので、声をかけた子どもたちの気持ちに共感。
昨夜読んだのは「みすず」3月号に掲載の「SSM,通称丸山ワクチンについての私見」(中井久夫)。中井さんの文章は専門的なことがらに距離感をもたせず書いてくださるので、すっと言葉が頭に入っていく。こういう言葉にする能力をもった人が、医学について書いてくださるのは、幸運だなあと思う。誰しもができることではないのだから。
思っていること、考えていること、経験したことを言葉にするのは、とても難しい。シンプルにと思っていると、言葉が足りず、慣れてくるとデコラティブになってしまう時もある。
気ぜわしくすぎる日が続いているせいか、読書すすまず。雑誌で頭をストレッチさせているところ。
地元の図書館ではとうにこの「文學界」は購入止めになり、地元の書店でおいていたお店もだんだん減り、知っている限り2軒。しかし、そのどちらにもおいてなく。結局、オンライン書店にて入手しました。
くだんの十一人大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」、もうめちゃくちゃおもしろくて、小説に興味にある方にはオススメです。高橋源一郎さんの司会、しきりもすごくよくて、大変に読ませます。
「日本の小説はどう変るか」というタイトルで、昭和32年8月号の「文學界」で収録された大座談会は巻頭31ページにわたって掲載されたそうです。31ページにわたったものを見開き2ページにコンパクトにおさめられたものも、今号で掲載。
座談会写真も50年前を模したもの。現代における座談会では年齢差44歳の11人。若い作家の人が小説に対して未来はないということはないと言いきるすがすがしさ。とはいえ、古井由吉さんも「僕みたいなじいさんがまだ食えてるんだから、そんなに悲観的になることはないですよ(笑)」と笑いをさそいます。
おもしろかったところを、ちょっぴりメモ的に抜き書き。でもこれは、前後のつながりふくめて、司会の高橋さんのまとめ含めて一読をおすすめします。
筒井康隆「ライトノベルやケータイ小説の隆盛がクローズアップされているようだけれども、われわれが心配するほどのことはないんです。そういうものばかり読んでる読者が何百万もいて、それで売れてることが羨ましいだけなんだと思う。」
田中弥生「今は、広告的な文章が氾濫していて、テレビはもちろんですが、ポスターや中吊り広告に囲まれて生活している。そういうところで主流となっている言葉に違和感を覚えた時に、昔の本を通してしかそれを確認できないのは、いびつだと思いますし、それを現在形で考える場として、文芸誌的なものがあるんじゃないかと思うんです。たとえば自動車市場の中に、公道でのマナーに一見反する、F1があるように。」
古井由吉「なんだかとんでもない企画を起こしてくれましたね。五十年前の座談会を読み返してきましたけど、読んで、くたびれちゃった。今回の座談会も終わったような気持ちね(笑)。『今日は長い時間ご苦労様でした』という声を聞いたような気になった。」
五十年前の座談会より
中村光夫「物語というものはとても古いものだと思うのだ。つまり普遍性がある。物語とは、作家が一生かかって探して、やっと見つかるようなものだ。いまの物語は、いまの私小説が達成したような普遍性のある人間性に達していない。」
少し空気がやわらかくなった頃から、庭にふきのとうがでてきました。まったくの自生ではなく、何年も前にホームセンターで買ったものをいくつか植えたものが、だいぶ増えたのです。スーパーでは1パック400円から500円くらいの量が今日の収穫です。それを抜いて夕食に天ぷらにしました。実は、お昼には、黒米入り玄米の雑炊をつくりそこにも、ふきのとうをすこーしだけいれ、ひとりで食べました。こちらもぱわっと春の味。
天ぷらは塩だけで食べました。子どもたちは「ちょっとにがい、でもおいしい」という感想。、「春の味だよ、庭でとれたよ」と教えると、家でとれたのはいいねと上の子が満足そうでした。
ほかには、六穀入り五分つきごはん、油揚げと春キャベツのおみそ汁、豚肉とセロリのゆずこしょうマヨ炒め。春野菜の季節は色がきれいで食べると元気になるような気がします。
少し前に出た本ですが、とっても楽しくってオススメです。特に絵が好きで愉快なことがなにより好きな人に――。
翻訳された、ふしみさん推薦の言葉はこんな感じです。
色がきれいで、へんてこりんで、すっとぼけていて、素朴で、上品で、古いのか新しいのかも、絵本なんだか漫画なんだかお話なんだかもわからない、どんなカテゴリーにもおさまりきれない、楽しい本ができました。
話の筋は、貧乏な画家が、いばりくさっている王様のお姫様に恋をして、それから貧乏画家はりんごと魔法の筆を交換し、その魔法の筆でいろんな魔法がおこるようになり、お姫様とも王様ともいろいろすったもんだがあり、いろんなハプニングおき、そしてそして最後には……。
ユーモアたっぷりの力みのない絵が展開するのを読むのはとっても楽しくて、「うそ」とか「ありえない」「ひゃー」とつぶやきながら笑いながら読みました。
フランスのポール・コックスは、日本の長新太か?!と思うほど、おおらかさとセンスに通じるものを感じました。ぜひぜひ手にとってみてくださいませ。
つれあいの友人が遊びにきて、うれしいことに宿泊も。来客好きの子どもたちは、「なんかいとまる?」と聞いて1回という答えにがっかりしながらも、おおはしゃぎ。
上の子は輪ゴムの手品もみせていました。特にちびちゃんとは意気投合で、友人さんいわく、同じ末っ子どうしだから似ているのかもと言ってくれまして、ちびちゃん、ますますうれしがっておりました。
しゃべり、のみ、笑い、泣き(?)、いい時間でした。
夕方、オルチョのあらしぼりが届きました。ちょうど夕食をつくる寸前だったので、予定になかった小松菜のオルチョおひたしをこしらえることに。小松菜をゆでるお湯の量に対して塩分1%の塩をいれてゆでます。ほかほかに湯気がたっているのを、重ならないように広げて、軽くしぼり、適度に切ってオルチョをかけてできあがり。アサクラさんのポイント曰く、1)塩分1%のお湯(もうこれでゆでるだけでも美味しい)、2)蒸気を抜くことだそうです。アサクラさんのブログでは菜の花のおひたしが紹介されています[記事Link]。
できあがった、小松菜の美味なこと。子どもがひとくち食べてびっくりしてました。へへへ、どんなもんだい、と得意になってしまうほど。あらしぼりの味は、昨年より、やさしいまろやかな感じがしました。それでいて、とってもフレッシュ。
今日は他に、黒米入り五分つき米、青梗菜といりこと卵のスープ、豚肉の生姜焼き、人参ときゅうりの千切りサラダ(塩でもんだあと、これにもオルチョをかけました)。
今日の読了本は『私の男』。ふむ。
先日届いた「GRAFICATION」(最新号目次/サイトLink)、特集は食関連で、対談には結城登美雄さんと島村奈津さんが、“食がつなぐもの”と題されたテーマで興味深い話をされています。地域の食卓をどうつくっていくか、ともろもろ考えながら、今日のお昼はプチマクロビ弁当、豆ミートの肉みそ風玄米DONを食べました。
母娘で経営している、そのお弁当やさんは、素材を吟味しながらなるべく地元の有機野菜を使い、信頼できる魚屋さんから魚を買い、プチマクロビメニューもそろっている手作りお弁当やさん。4月からはじまる春野菜のミネストローネを今からねらっています。
春といえば、オルチョも新ものの到来です。今月13日には入ってくるとのことで、届くのが楽しみ。今年の味はどんな感じかしらん。夕ご飯は、オルチョを使った鱈とじゃがいものスープ(レシピLink/pdfファイル)にしました。ほかは、小松菜、まいたけ、エリンギ、豚肉の炒め物、冷や奴のかりかりじゃこのせ、五分つきごはん。スープ、滋味で美味でした~。
数年前に新しくしたパソコンが、私の使い方も悪くもうどうにもこうにも瀕死状態だったので、DELLさんをお迎えしてただいま引越中です。XPを一瞬使ったものの、あまりにも使うソフトとの相性が悪くなどあり、2000に戻り、で、今回Vistaになったわけですが。XPをひとつ飛ばしているせいか、つれあいが引越に苦心しています。
なので、机まわりは、パソコンだらけ。ディスプレイはやら本体やらそれぞれ4つほど机まわりに居座っておりまする。
そんなさなかに、『ダイドーと父ちゃん』でもりあがっているエイキン熱で、『ウィロビーチェースとおおかみ』一連のシリーズを3冊読了。新訳が出たらまた読むのだ。エイキンの読み物語力にほれぼれ、ハラハラドキドキを堪能しています。
玄米ブームも継続中。お昼は玄米にゆかりを混ぜて、コロッケ丼。高山なおみさんの『うちの玄米ごはん』レシピで、汁物もあわせて豆腐と韮のおみそ汁。玄米の味わいに、とっぷりはまっています。夕ごはんは、影響を受けやすい体質なので、「きのう何食べた?」より、炊き込みごはん。ごぼう、まいたけ、鮭の炊き込み、家族に大好評でした。
今日届いた「この絵本が好き!」で2007年の絵本ベスト23冊が発表されています。なるほど今年のラインナップはこうなったかと、ふむふむと読みふけりました。
そしてこの号でも石井桃子さんの作品世界についての特集が。アーサー・ビナードさんがミルン自伝の『いまからでは遅すぎる』(岩波書店)を訳されたときに“家庭教師”をつとめることになった経緯などを書かれ、その自伝をはさんで語り合った様子がすてきに紹介され、ロバート・ブラウニングの詩を引用しています。この詩にある幸福感をアーサー・ビナードさんが丁寧に言葉にされていました。
ピッパのうた
一年の内で今ちょうど春たけなわ
一日の内でちょうど澄みきった朝
朝のなかでも今ちょうど七時だ。
丘の草はみな露の真珠に飾られ、
ヒバリは空高く飛び、いばらを
カタツムリが這ってゆく。
神は天に座して、この世に
なんら不足はないのだ。
「ユリイカ」をなかなかじっくり読めないのだけれど、桜庭一樹さんが、「世界文学」から「文学世界」への鼎談(若島正×管啓次郎×桜庭一樹)の中において、私の三冊にマンローの『林檎の木の下で』をあげていて、うれしくなった。『イラクサ』とはまたテイストの違う、自らの歴史、血族を描いた連作短編集は昨年のマイベスト本の一冊。
この鼎談のあとの記事「新しいブーツとすり切れた批評 現代英語圏小説における資本と倫理」(武田将明[著者blog Link])を読んでびっくり。2007年度のブッカー賞を受賞したアイルランドの作家アン・エンライトの賞金の使い道と、ブッカー賞候補作に選ばれる前の作品が売れていた部数は、834部だけだったこと。候補になり、見事受賞し、会見の日までに売れたのがトータル3252部。(追記)ブッカー賞の効果で250倍もの売上があったという。(誤解を生む書き方でした。引用するとこのように書かれていました。「二〇〇五年に受賞したジョン・バンヴィル『海に帰る日』は二五万部に達したそうだから、ブッカー賞を獲ることはエンライトにとって250倍の売り上げを意味すると言ってもよい」>ご指摘ありがとうございました、武田様)4冊のフィクションを書いていた中堅作家の新作も、賞の前には1000部に届かないという記事には、うーん、うーんと呻ってしまう。この記事がおもしろかったのは、売れないのはなぜ?という読み手の私の気持ちを見透かしたように「しかし、自力で千部も売れないなんて、単に詰らないからではないか、と疑って読んでみると、決してそうではない」と続くところ。知りたいことが的確に書いてありました。でもでも、小説は、売れないのだなあ。ゼイディーの作品がベストセラーになる国でも、なのですね。
→武田様より教えていただいた Guardian の記事[Link]
ここしばらくの読書本は、『熱風』。めずらしくも地元の書店にあったので即入手、読了、感想は後日。『マイカのこうのとり』はドイツの児童文学。ラストには、ほうっとため息が出た。いせひでこさんの挿絵もすばらしい。『新世界より』上下巻一気読み。読ませます。本筋ではないが、人間と同じ数の染色体をもつのがオリーブの木だということを初めて知った。よしながふみの『きのう何食べた?』1巻もようやく入手して読む。炊き込みごはんを食べたくなりまする。ごぼうの入った炊き込みごはん、美味しいんだよなあ。
今日届いた「出版ダイジェスト」に新刊『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』の著者、都築響一さんのインタビュー記事が掲載。インタビューもおもしろかったのですが、書影が載っていないので、検索してみました。
インパクト抜群の書影ですね。最近の晶文社本は、一昔前のカラーにもどってきているようでうれしいな。お江戸ではトークショーもあるようです。[版元Link]
お風呂で読むものは、たいていPR誌で、今日は「ちくま」をもって入りました。横山貞子さんの“翻訳で出会った作家たち”は、前号からの連載です。今回はイサク・ディネセン。
晶文社から出ている『アフリカの日々』での作者表記はアイザック・ディーネセン。私にとって大事な一冊でもあり、転機に読み返す本でもあります。
ディネセンがアフリカから引き上げ、作家としての地位を確立した晩年に、アメリカを訪問したことが紹介されていました。その時の条件は「マリリン・モンローに会えるなら」というものだったそうです。ディネセンがモンローに会った感想の言葉がおもしろかったです。ディネセンもモンローも亡くなったのは1962年という偶然。
昨日はゆっくり新聞を読めず、今日、昨日の新聞を読んだ。
楽しみに読んでいる「季節のたより」(坪内稔典)で紹介されていたのは、1928年生まれの作者の句。
早春に買う水色の旅鞄
きれいな色が見えるような句。
あわせて紹介されていた句もすてき。「軽快で愉快な句を得意とする」作者と紹介されているが、いつか句集も読んでみたい。
老犬の目玉を洗う余寒かな
焼きたてのアンパン抱え春の丘
ごつごつして、なかなか読み進められなかった。もう最後まで読めないかなと投げ出しかけたのだけれど、風邪をひいて布団の中にいる時に読み始めたら、カチリとはまった。一作も読んだことのない中上健次の生涯を書いた評伝に興味をもったのは、「考える人」の編集長が発行しているメールマガジンでとりあげていたからだ。[Link]
被差別部落の出自をもつということも、この本で初めて知ったことであり、妻も娘も作家になっていることも初めて知った。つまり、何の先入観もない作家の評伝だったのだが、作家であることが自分(中上)であることである――それが伝わってきた。
不幸は経験しなくていいのであればそれにこしたことはない。まして、出自など、自分で選べる術もない。いつも思うが買わなくていい不幸が一般的なのだ。重たいものをいくつも抱えて生きてきたものを、書く、小説にする、詩にしていくことができたのは、幸福だったのだろうか。
出会った編集者たちが中上の書き手としての道筋をつくっていく。自分が編集者じゃないほうがのびのび書いていけるのではと判断した編集者もいるが、彼がいたから、その先に書けた作家がいたのだろうと思えた。中上と共に伴走した編集者も強い印象を残す。芥川賞を獲るかどうかでは、まるでミステリのクライマックスを読むようだった。
個人的にはあとがきに引用された手紙も、本文にいれてほしかった。
手紙というのは、やっかいに心にひっかかる。
今朝は早起きして、おにぎり3人前つくり、あったかい玄米茶を水筒にいれる。そうして子どもたちとつれあいを送り出し、村の総会へちびちゃんと。任期満了の役員方々は晴れやかな顔です。数時間過ごして、一度帰宅。一息ついて、夕食をつくり、今度は子供会の総会へ。風邪をひいてしまい、マスクをしての一日がようやく終了。早寝して治さなくては。
総会はあと2つ。内ひとつがブルーだけれど、まあ、なんとかなるでしょう。と思おう。
明日は蛤のお吸い物をつくらなくちゃ。
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