この座談会はおもしろい!
地元の図書館ではとうにこの「文學界」は購入止めになり、地元の書店でおいていたお店もだんだん減り、知っている限り2軒。しかし、そのどちらにもおいてなく。結局、オンライン書店にて入手しました。
くだんの十一人大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」、もうめちゃくちゃおもしろくて、小説に興味にある方にはオススメです。高橋源一郎さんの司会、しきりもすごくよくて、大変に読ませます。
「日本の小説はどう変るか」というタイトルで、昭和32年8月号の「文學界」で収録された大座談会は巻頭31ページにわたって掲載されたそうです。31ページにわたったものを見開き2ページにコンパクトにおさめられたものも、今号で掲載。
座談会写真も50年前を模したもの。現代における座談会では年齢差44歳の11人。若い作家の人が小説に対して未来はないということはないと言いきるすがすがしさ。とはいえ、古井由吉さんも「僕みたいなじいさんがまだ食えてるんだから、そんなに悲観的になることはないですよ(笑)」と笑いをさそいます。
おもしろかったところを、ちょっぴりメモ的に抜き書き。でもこれは、前後のつながりふくめて、司会の高橋さんのまとめ含めて一読をおすすめします。
筒井康隆「ライトノベルやケータイ小説の隆盛がクローズアップされているようだけれども、われわれが心配するほどのことはないんです。そういうものばかり読んでる読者が何百万もいて、それで売れてることが羨ましいだけなんだと思う。」
田中弥生「今は、広告的な文章が氾濫していて、テレビはもちろんですが、ポスターや中吊り広告に囲まれて生活している。そういうところで主流となっている言葉に違和感を覚えた時に、昔の本を通してしかそれを確認できないのは、いびつだと思いますし、それを現在形で考える場として、文芸誌的なものがあるんじゃないかと思うんです。たとえば自動車市場の中に、公道でのマナーに一見反する、F1があるように。」
古井由吉「なんだかとんでもない企画を起こしてくれましたね。五十年前の座談会を読み返してきましたけど、読んで、くたびれちゃった。今回の座談会も終わったような気持ちね(笑)。『今日は長い時間ご苦労様でした』という声を聞いたような気になった。」
五十年前の座談会より
中村光夫「物語というものはとても古いものだと思うのだ。つまり普遍性がある。物語とは、作家が一生かかって探して、やっと見つかるようなものだ。いまの物語は、いまの私小説が達成したような普遍性のある人間性に達していない。」
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