復刊ドットコムblog、ディレクターのともおさんの書かれた記事[「西の魔女」は死んだり、生き返ったり、映画化されたり Link]の触発されて、雑誌「飛ぶ教室」で梨木さんのデビュー作品を読み返してみました。そうか、これがデビュー作品だったのですね。
現在は復刊して定期刊行されている「飛ぶ教室」が何度か版元を変えながら続けていた頃の「飛ぶ教室」です。梨木さんのデビュー作品は、1993年48号(秋号)に掲載されました。ちなみに楡出版から刊行されていたこの当時の「飛ぶ教室」は50号から光村図書に発行が移り、そこで2冊だした52号のあと、創作特集FINALを出して休刊となっています。
この48号での執筆者紹介では、梨木さんの肩書きは「児童文学作家志望」。次の49号冬号では「児童文学作家。著書「西の魔女が死んだ」(近刊)」となっています。
外側の事ばかり書きました。本題に。デビュー作タイトルは「信じるものは」。48号唯一の創作作品でした。ともおさんが復刊ドットコムblogで書かれているように、これは『西の魔女が死んだ』のスピンオフ短編。まいの友人ショウコをめぐるユーモア短編です。「私」はショウコが大嫌いで、どうにもこうにも肌があわない、と思っている少女が語っているお話です。どうして、ショウコが嫌いなのか、延々とそれが書かれているだけで、後半にわかるその本当(?)の嫌いな理由が秀逸。すごく久しぶりに再読しましたが、最初に読んだ時に大笑いしたことを思い出しました。そう、梨木さんのユーモア小説ってすごくいいんです。
ではここで、「飛ぶ教室」での梨木さん掲載作品のおさらい。
1994年49号(冬号)
○「特集 過去へのまなざし 欧米編」において
ボストンをいま読んでみると ルーシー・ボストン
梨木さんが、児童書を書く上で師事したベティ・W・ボーエンという作家とふたりきで生活をおくっていた時に、ルーシー・ボストンと文通する機会を得た。この文章は、梨木さんがルーシー・ボストンに宛てた最後のファンレターです。
1994年50号(春号) この号から光村図書に版元が移る。
夏の朝(創作)橋本淳子 絵
6歳の誕生日を迎えた夏っちゃんは、おかあさんからプレゼントは何がいいと聞かれ「きゅうこん」と答える。自分の殻にとじこもって遊ぶように見える夏っちゃんを、おかあさんは常日頃から心配しているのだが、今回の誕生日というのに地味な球根というリクエストに少しがっかりするものの、気持ちをきりかえるのが上手なので、にっこりとそれにこたえた。夏っちゃんは、おかあさんの心配とは裏腹に自分の世界でしあわせだった。大事な友だちもできた。でもそのお友だちをめぐり……。
これはリアルタイムに読んでいた作品なのですが、子どもを育てているいま、夏っちゃんの繊細さとともに、おかあさんに心の機微に泣けてしまいました。私もこんなおかあさんになりたい。
ちなみにこの号では、今江祥智さんが「「癒す」ということ」という評論で、梨木さんのことを「三十五年ばかり前から子供の本の世界にとびこんで以来の手綱い書き手と出会った気がしている」と書かれています。
1994年51号(夏号)
プライドチキンの長い助走(創作)おぼまこと 絵
14歳の少年のモノローグ。自分をよく見せたいとするプライドから解放されている「僕」がどれだけ軽々と生きているかを長々とごもっともに書き連ねていき……。
これはリアルタイムに読んだ時は大笑いした作品です。今回読み返してもやっぱり笑えます。『からくりからくさ』を読むまで、私のベストはこの「プライドチキンの長い助走」だったかも。
1994年52号(秋号)
○特集「今江祥智の昨日・今日・明日」において
今江祥智論「狭間」を読む
吹雪の夜ウィリアム・フォースが屋敷奉公を決意するに至った話(創作)
前者は「大きな魚の食べっぷり」と「マイ・ディア・シンサク」の2作品を通じて「狭間」の主題をどう展開してかについて論じています。後者は創作で、1号の中で2つ作品が掲載されているわけです。この掲載作品は「構想二千枚の長編の冒頭にあたるもの」となっていて、ほんとうに冒頭なのであらすじはあえて書かないことにしておきます。
創作特集1995 「飛ぶ教室」FINAL
月のふたご(創作)北見隆 絵
ふたごのように育てられた加奈と道子のお話。短編なので、あらすじが本筋に直結してしまう。まっすぐではないけれど、ななめな気分で笑いたくなります。
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