座談がおもしろい訳
「考える人」HTMLメールマガジン 2008/11/20/ 313号[記事Link]より引用
鶴見さんの『いくつもの鏡』をひっぱりだしたら、ついつい読み 始めてしまいました。そうしたら、こんなところが出てきました。本書のような座談というものが、なぜおもしろいのかを鶴見さんならではの視点で書いていま す。30年以上のときが経過しても、炊きたてのごはんのようにぴかぴかした言葉ではありませんか。
「日本の雑誌に座談会がさかんに用いられるのは、明治以後の日本の書き言葉が、日常生活の言葉から遠くはなれているので、それをさけようとするからだろう。
書き言葉をさけて話し言葉を使うというだけならば、ひとりがたりを速記にとれば足りるのだが、話というのは、そういう孤独の状態では生きてこない。自分 に興味をもってくれる人が前にいるという自然の状態があって、話は生きたものになる」(『いくつもの鏡』より「対話について」)
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