詩は酒の肴になる
「考える人」の最新号、丸谷才一さんのインタビュー記事がおもしろいです。聞き手は『須賀敦子を読む』を著された湯川豊さん。詩が中心の時代があった時代について具体的に話しをうかがいたい、そういう切り口ではじまっています。
堅苦しくはじまっているのではありません。最初に紹介されているものも、優雅なポルノ。丸谷さんが訳される言葉の芳醇なこと。直訳風に訳されたといわれているけれど、にやりと読ませます。韻律やレトリックにふれながら、最初に引用している詩は大岡信の「地名論」。すばらしいとほめている詩人は、多田智満子、入沢康夫、萩原朔太郎、中原中也。引用は萩原朔太郎の「天景」です。丸谷さんは、文房具屋さんで万年筆を書くときの試し書きに、この「天景」の「しづかにきしれ四輪馬車」を書くとか。
天景
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
「詩は酒の肴になる」は吉田健一さんのこと。
丸谷 吉田さんは、一杯飲んでるとき、丸谷さん、あなたの好きな詩はどんな詩ですか、みたいなことをいう。僕が英語の詩で覚えているのを数行、十六世紀のトマス・ナッシュの詩かなんかをいうと、ああといって、くちゅくちゅと口のなかで繰り返す。そして、ああきれいだな、とかいって喜ぶ。カラスミとかウニを食べるような感じなんですよ。詩が酒の肴になるのね。僕はなるほど詩というものはこんなふうにして楽しむものか、と思いました。
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