« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月

2011.01.31

マイラ・カルマン!

And the Pursuit of Happiness

 ネットで連載していたものが、書籍になりました。去年の10月には出ていたのですね。

 こういうのは電子書籍ではなく、紙の本で読みたいもの。すばらしい一冊! カルマンを検索していて、2冊続けて注文。密林の魅力は大きい。

 

2011.01.30

キンドル購入

 ずっと欲しいと思っていたのですが、今年に入ってえいやっと購入。
 日本時間土曜日の朝にポチリ、米国の密林さんが動き出したのが月曜日、木曜日には自宅に到着しました。早い!

 キンドルで何がしたかったか。
 キンドル版の小説を簡単に入手できることと、The New Yokerの小説を読めたり、気になったネットの記事をじっくり読んだりすることでした。
 iPhoneでも、PCでもキンドルはいれていましたが、結局、読むのはプリントアウトして。でも、わが家の紙の山に埋もれてしまうこともままあり、キンドル欲しいなあという原動力になっていました。

 3Gは密林さんもちなのですが、自宅で使うようにWiFi設定。

 最初は「つぶやきんどる」で日本語つぶやきを試してみました。入力がちとめんどうなので、おそらく読むだけの時に使うくらいかな、と。 

 青空キンドルで日本語古典を読んでみました。

 ふだんはFireFoxを使っていますが、クロームのアドインでよさそうなのがあり、これを使う時はクロームを起動しています。
 The New YorkerのFictionで読めるもの、RSSリーダーで気になったニュースや、ブログ記事はこのアドインを使ってキンドルに入れて読んでいます。

 あとはベーシックに、キンドル版のサンプル、グーテンベルクをダウンロード。

 と、こんな感じで楽しくつかってます。

 

2011.01.29

鬼のうで

 メルマガ、子どもの本だより1月号を今日の午前中に配送手続きしました。
 今回は赤羽末吉さんの『鬼のうで』

鬼のうで (創作えほん)

 ここ何年も節分にはこの絵本を子どもたちと読んできたのですが、長い間、品切れ絵本で入手しづらく残念に思っていました。ところが、今回、吉田さんから届いた原稿を読んで、昨年復刊されていたことを知りびっくり!
 みなさま、いまのうちにぜひ! 希有な絵本です。

2011.01.27

伊藤比呂美さんの本や育児本

なにたべた?―伊藤比呂美+枝元なほみ往復書簡 (中公文庫) 良いおっぱい悪いおっぱい 完全版 (中公文庫)

 昨年8月に『良いおっぱい 悪いおっぱい』が25年ぶりに完全版として中公文庫に入っていたことを少し前に知りました。なつかしい。
 そして『なにたべた?』も加筆して中公文庫に入っています。『なにたべた?』は単行本の時に購入し、友だちにも贈った本。また買い直そう。

 子どもたちが成長して赤ちゃんの頃に読んでいた育児本も読まなくなったけれど、いま読むとまた違うものがみえてくるのだろうなあ。

 育児本といえば、福音館書店から『子どもへのまなざし』(佐々木正美)の3巻目が出ましたね。この1巻目はどうにも読むのがつらく、2巻目でそれが少し緩和されたのですが、3巻目はどうかな、読んでみたい。

完 子どもへのまなざし (福音館の単行本)

2011.01.26

張り子の卯

P1260008pola

 今年もだいたい200枚ほどの年賀状をいただき、4等の切手シート3枚が当たりました。
 今日、公民館からもらってきた地元のフリーペーパーによると、この50円切手のうさぎさんは、地元の民芸制作企業組合さんのつくったもの「首振り招福卯」がモチーフだということを今更ながらに知りました。

 家族単位でつくっている小規模な張り子。しかし需要があっても担い手がいないと成り立たなくなる、郷土玩具そのものがなくなってしまう、だから企業組合という形でつなげているそうです。

 記念切手好きで、いまも少しずつ買っては使っているのですが、この切手も誰に書く手紙に貼ろうかな。

 先日お年始に贈ったお菓子に味のあるチャーミングな葉書をいただきました。私も80歳をすぎた時、こういうかろやかな文章が書けるようになりたい。もうおひとかたは電話をくださり、ひとしきりイマドキの葬儀の話でもりあがりました。お骨の話、お墓の話、遺言の話、知識が増えました。

 

2011.01.24

ちくま

 今日届いたのはPR誌「ちくま」2月号。
 先月号から表紙が小沢昭一さんが撮った写真にかわっています。
 このPR誌の楽しみは最初の「巻頭随筆」。なので、いつも最初から読んでいきます。とにかく、なだいなださんと佐野眞一さんの軽い毒の入った文章がおもしろい。次に読むのはたいてい斎藤美奈子さんの「世の中ラボ」。今回とりあげているのは“これははたして小説か”と話題にのぼった受賞作がまな板にのっています。「お話/小話」と「小説」のちがいな何なのかを簡単には論じられないけれど、“「小話」の集積で、小説未満といわざるをえない”と評される小説について考えてしまう。

 今回、次に読んだのは荻原魚雷さんの「魚雷の眼」、お題は〈青野季吉のヒダとみぞ〉。荻原さんが読んだ範囲で「中堅作家論」という評論に頷くところが多かったという下記の引用が、今日読んだ「ちくま」の一連の流れをまとめてくれたような気がしたのでした。

 作家は書きながら成長すると云はれる。しかし皮肉にも、書きながら却って駄目になつて行く作家の方が多い位である。書きながら成長するには、書くといふことが、やはり何かを解決しつつすすむこと、何かから脱皮することでなければなるまい

0124                    今朝8時頃の外。とにかくまっしろな朝だった。

2011.01.23

『豚と共に』から『ブタとおっちゃん』

ブタとおっちゃん

 以前、内澤旬子さんのブログで紹介され、上京のタイミングで東京堂書店で購入した『豚と共に』。自費出版のため、一般書店で流通していなく、都内では東京堂書店と往来堂書店で取り扱っていました。

 ところが今日のツイートで教えてもらったのですが、『ブタとおっちゃん』として、出版社フォイルから出ているのですね。週刊ブックレビューでいしいさんが紹介されたそうです。

 愛あふるる写真ばかりで、入手できるようになったのはとても喜ばしい!

 機会がありましたらぜひ!

2011.01.18

ぽつぽつ読む

Dear Genius: The Letters of Ursula Nordstrom

 "Dear Genius"、センダックが描いた編集者ノードストロムが表紙を飾り、原書でずいぶん前からぽつぽつ読んでいました。昨年末に邦訳が出て、こちらも入手し、あわせて楽しんでいるところです。邦訳には、ノードストロムが編集に携わった日本語版の絵本や児童書の書影がカラーで載っているのがうれしい。ただ原書には、手紙の宛先である多数の作者の写真も載っていて、それは割愛されているようです。
 紙を無駄にすることなく、行間もつめてぎっちり手紙を書き続けたという編集者のそれは、作者への敬愛こもった文章ばかりで、作品ができあがるまでのやりとりをこうして楽しめるのはありがたい一冊です。

 原書も邦訳もどちらもぶあつく、他にも並行して読んでいる本を、こたつの上にででんとつみあげて読んでいると、子どもがどこからもってきたの、そんなにたくさんと言います。いや、ずっと前からこの家にあるものばかりなの。

 かさばる本のために、昨年は本棚を購入したのだけれどおいつかず、先週末に探したのだけどいいのがなく。近日見つけなくては。雪が降ると、とたんに外出がおっくうになってしまうのです。

 冬前のカマキリの卵予報は見事にあたり、今年は雪が多いです。お正月につくったかまくらも、まだまだ大丈夫で、雪がふるたびに大きくなっているほど。

 それでも昨日は子どもを迎えに行きがてら買い出しに。つくった夕食は、ひいかの唐揚げ、麻婆豆腐、里芋の煮っころがし、五分づきごはん、大根、玉葱、しめじのおみそ汁。今朝はたこ納豆。最近、納豆にいろいろ入れるのがプチブーム。オルチョをたらすと、朝から豪華な一品です。

2011.01.16

夕ご飯

P1160054pola
 週末はたいていつれあいがつくってくれるのですが、今日は私が。
 高山なおみさんレシピをほんのちょっぴり具材を変えてつくった炊き込みご飯。
 餅米と五分づき米を半々にして炊きます。具材はえびと三つ葉だったのだけど、三つ葉はセロリの葉っぱで。軽いおこわのように炊きあがり、子どもたちにもつれあいにも好評でした。
 あとは里芋のポテサラ。きゅうりといただきもので賞味期限を数日切れていた生ハムも入れてみました。豚肉の生姜焼き、サニーレタス添え。おみそ汁は大根とわかめ。

 今日は朝から断続的に雪が降り続き、買い物に出かけず、家にあるものばかり。根菜類は常備してあるので、こういう時に便利。海老も生活クラブの冷凍もの。たいてい冷凍庫に入ってます。夕食はちぃちゃんも手伝ってくれて、楽しくつくりました。エプロンして、洗い物も手伝ってくれます。
 ぜんぶきれいに完食。

2011.01.10

足跡

0110
 初市の日は天気が荒れるといわれるのですが、よい天気、ただ底冷えの強い日でした。庭には、鳥らしき足跡があちこちに。
 この寒さで冷凍庫保存してあるかのように、お正月に作った、かまくらもまだ、ほぼ作った時のままです。

 陽が射してから初市に向かったのですが、寒くて露店の食べ物もうまく食べられず、起きあがり小坊師を購入した他、韓国の人が出店していたところでチヂミを食べたり、キムチを買ったり、地鶏の唐揚げなどをおみやげに帰宅しました。つれあいはもっと食べ歩きたかったようでしたが、子どもと私はさぶくてさぶくて。念願の福袋は文房具店のを買ったのですが、男の子向けも女の子向けもなかなか充実した内容で満足していました。受験ボーズ君は家で勉強。おみやげにスィートポテトを買って帰ると喜んでましたっけ。

2011.01.09

歳の神

0109
 今朝は冷たい吹雪。朝からつくっている歳の神のお手伝いに行かなくちゃと思っていたら、早く終わったしまい、お手伝いせぬままでした。

 竹の棒に、するめをつけて近くの田んぼに向かいます。同じ時間、どの家からも細い竹の棒におもちをのせたあみや、するめを突き刺したものをもって、村の人が出てきます。

 今年は年男、年女に火をつけてもらうべと村役員の声がかかり、わが家のまんなかの子どもが男代表になりました。数本のわらに火をつけて、歳の神のわらに火をうつします。最初はうまくいかず、がんばれーと声をかけてもらい、ぼうぼうと燃え始めました。

 御神酒がくばられ、今年もよろしくお願いします、雪が降ってきているので、帽子もかぶったままの挨拶に失礼しますーと挨拶し、村役員をしてから顔見知りになったじじさまたちに、今年は子供会会長かいと声をかけられ(思わず終わった気持ちになり、いいえと答え、周りからまだだろ!と失笑をかいました、はい。)、年の始まりを実感しました。

 火の扱いはすべて村の消防団員の男衆。小さい子どもたちは、田んぼで雪遊び。もっと小さい子はまぜてもらえなくて半べそ。少し上になると、上手にもちやするめを焼いて、家族にふるまいます。

 来年は手伝いからしなくちゃ。
 2011年が動き出しました。

2011.01.08

ちいさいおきゃくさん

 福音館書店のこどものとも、最新号の年少版はおすすめです。
 新しい絵本作家の作品をこどものともで何人も知りました。
 そしてまたひとりおもしろそうな作家の誕生です。

 石井礼子氏の初絵本作品。

 麻紙に墨で描く手法。割り箸で描き、細部に関しては爪楊枝を使っているそうで、独特なモノクロで日々暮らす見慣れた日常を描き出しています。

 家にまぎれこんだリスを探すネコ。どのページにもぎっしり描き込まれた部屋の細部からリスを探し出す楽しみ。おもしろいです。

2011.01.07

アサクラパスタ

P1070037pola

 アサクラパスタのカムットペンネをホワイトソースで。
 今日のお昼です。
 玉葱をスライスして塩とオルチョでじっくりいためて、小麦粉と牛乳少々でソースをつくりました。他に具はちょこっとのチーズとハム。おいしかった。
 低温乾燥でじっくりつくられたアサクラパスタは本当に滋味。

 カムット小麦とは

デュラム小麦の先祖であるカムット小麦は6千年前にエジプトを中心に栽培されていましたがその後栽培されなくなり数千年が経過。近年、今から30数年前に栽培が復活、その含まれる成分は品種改良された小麦とは遺伝子レベルで別物であるため小麦アレルギーにも食することが出来る稀な小麦です(注・グルテンフリーではありません)ミネラル分は豊富で天然の抗酸化成分セレニウムやビタミンE、亜鉛、マグネシウムなどを含む滋味溢れる小麦です。品種の特性を維持するために米国モンタナ州とカナダの一部分でのみ作られる特殊な小麦です。

 と、ラベルに書いてあります。
 品質改良されていない小麦を薬剤処理することなく、そして生地に負担のないよう低温でつくり、その後の出荷までも一切薬を使っていないというのは、実はとても貴重だということがわかりました。

 ショートもロングもおいしいパスタ。シンプルなソースがよりあうので、気軽にちゃちゃっとつくれて食べられるのもうれしいところ。

 いまや、まだゆでていない前の袋に入ったパスタをみても、おいしそうで食欲がでてきます~。

2011.01.03

初読み

 子供というのは、毎年違った人間になる。一般にそれは秋の、また学校に行き始めるとき、夏休みのごたごたや無気力を後にして、ひとつ上の学年に入るときだ。子供が変化をもっとも鮮明に表すのがそのときなのだ。あとは、何年とか何月とかはっきりわかるわけではないが、変化は同じように続く。長い間のうちに過去は簡単に消え去っていき、それは機械的で当然のことのように思えるだろう。過去の光景は消えるというよりはむしろどうでもいいものとなるのだ。それからスイッチバックがある。すっかり終わって片づいていたものが新たに出現し、注意を向けてほしがり、それについてどうにかしてくれと要求しさえするのだ。この世では何ひとつとしてできることなどないのは明白だというのに。


小説のように (新潮クレスト・ブックス)

 マンローの『小説のように』はどれをとっても短く筋を語ることができない。
 もしかしたら、隣家のことなのかもしれない、もっとすぐ近くでおきているかもしれない、そんな事柄の細部を、ところどころ大きくみせてドキンとさせる。

 大きな出来事も小さな出来事も濃淡なく、小説として読み手に届けるその手腕。

 無駄なく形容されたそれらを読むと、まわりを見渡してしまう。過去を今を未来をみてしまう。マンローにみえているものを小説として読める幸福がこの短編集にぎゅうっとつまっている。

 ああ、読めて幸福。

 

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ