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2011.01.03

初読み

 子供というのは、毎年違った人間になる。一般にそれは秋の、また学校に行き始めるとき、夏休みのごたごたや無気力を後にして、ひとつ上の学年に入るときだ。子供が変化をもっとも鮮明に表すのがそのときなのだ。あとは、何年とか何月とかはっきりわかるわけではないが、変化は同じように続く。長い間のうちに過去は簡単に消え去っていき、それは機械的で当然のことのように思えるだろう。過去の光景は消えるというよりはむしろどうでもいいものとなるのだ。それからスイッチバックがある。すっかり終わって片づいていたものが新たに出現し、注意を向けてほしがり、それについてどうにかしてくれと要求しさえするのだ。この世では何ひとつとしてできることなどないのは明白だというのに。


小説のように (新潮クレスト・ブックス)

 マンローの『小説のように』はどれをとっても短く筋を語ることができない。
 もしかしたら、隣家のことなのかもしれない、もっとすぐ近くでおきているかもしれない、そんな事柄の細部を、ところどころ大きくみせてドキンとさせる。

 大きな出来事も小さな出来事も濃淡なく、小説として読み手に届けるその手腕。

 無駄なく形容されたそれらを読むと、まわりを見渡してしまう。過去を今を未来をみてしまう。マンローにみえているものを小説として読める幸福がこの短編集にぎゅうっとつまっている。

 ああ、読めて幸福。

 

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コメント

上野空さん

こうして訳してくださるからこそ、堪能できます。
最初の「次元」はNew Yorkerのオンラインで読んでいたのですが、日本語との違和感がまったくなく読みました。

どの作品も最後はうなるほどの着地で、そしてどの作品も違っているので、ひとつひとつ新鮮に味わうことができます。すばらしい小説家です。翻訳者の方に心から感謝!

年初にこのようなご感想を読ませていただき、胸を熱くしております。
こういう読者に届いていれば、それこそ訳者冥利につきるというものです。
この本になりかわって、お礼申し上げます。
きっと本がさかなさんの手の中で、幸せでとろけています!

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