みすず 二〇一五年十一月号より
大井玄氏による
老年は海図のない海4 地域ケアの手を読む。
ひとは誰しもが、それぞれの物語の醸し出す意味の網をつむぎ、その「意味の世界」に住んでいる。それは認知能力低下の有無にかかわらない。
(中略)
「意味の世界」に入るには、普通、なにかのパスワードを必要とする。それは民謡や子供のの時になじんだ歌だったり、趣味の俳句や和歌だったりする。いずれにせよ、本人が気持ちよく、誇らしく、うれしく感じるようになる言葉であり、文言であり、メロディである。それが見つかると、時として劇的な反応が現れる。
(中略)認知症高齢者と向き合うには、本人の住んでいる「意味の世界」を推察し、そこに一緒に住む覚悟が要求される時がある。本人がどのような人生の戦いで傷を負ってきたかを知り、その傷の痛みから気をそらしてあげる思いやりは、戦場に設けられた野戦病院で、負傷してきた兵士に応急措置を行うのにも似ている。しかし、老齢の負傷兵には、完全回復の見込みはもうないのが、手傷を負った若者とは、違うのである。
以上、引用。
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