境界
生古川さんを見る、聞くのを楽しみに参加申込みしていたのですが、世の中のまん延防止など重点措置等の期間に相当してしまい、あえなくオンラインに。オンラインで参加するのにもずいぶん慣れたけれども、生じゃないと、つい眠くなってしまい、敬遠しがちなのも正直ある。
2015年に参加した「ただようまなびや」に参加して以来、学校長をしていた古川さんに注目するようになった。「ただようまなびや」も豊崎由美さんの講座目当てのところはあったのだけど、参加したらどれも心に深く深く残るものとなり、柴田元幸さんや古川さんの朗読はまだ体の中に残っている。
あれから7年たったのか。
今回のオンラインの最後にチャットで質問をしてみた。いろいろ講演を聴いてきたけれど、質問をしたのは、今回がはじめてだった。古川さんに何か伝えたかった。なので、ただようまなびやに参加した者だと自己紹介を書いた。あの時の2日間がいまも自分の中にあると。もしよければ、いまおすすめの文学を教えてほしいという質問はスルーされたけれど、和合さんは的確にただようまなびやについて、古川さんに問いかけてくださった。震災以降、幾度か行っていた「ただようまなびや」に私は最後の年のみ参加したのだった。講師の方々はノーギャラで参加していたこと。ただ、あれを続けることは、いつまでも震災をひきずることだとも言われていたこと。お金もかかること。当面は休校という気持ちでいること。それだけ聞けてすごくうれしかった。お金はかかるだろう。あれだけの講師の方々を2日間招くのだ。ノーギャラとはいえ、交通費や宿泊費はもたなくてはいけないだろうし、会場費もそれなりにかかっているはずだ。あの時は震災の助成金か何かがあったのだろう。
震災をひきずる。
ひきずるとはなんなのだろう。3月くるたびに、忘れない11日の映像を、ここに住む人はみなもっている。
多くの人が震災後できることをと手を差し伸べた。
アートや文学は特に私のわが家の支えになった。
ただようまなびや、は言葉のとおり、まなびやだった。
先生は先生で、生徒は学びの場で思う存分学んだ。
あの時の幸福感をまた味わいたい。
コロナによる閉塞感から特にそう思うのかもしれない。
たかだか2年、されど2年。
震災からは11年。
深呼吸しよう。
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