引用

2011.06.22

日本語に生まれて

世界 2011年 07月号 [雑誌]

 日本語に生まれて  中村和恵

 世界を「わかる」(intelligible)ものにすること、それが物語ること、歌うこと、描くことの役目だ。こういうやりかたで変化を連続性の中に吸収していく思考が「野生の思考」だとすれば、文学の力を信じるものは「野蛮人」なのかもしれない。おそらくそうなんだとおもう。


 歌が世界を存在させる、物語が世界を守ってくれる――

 中村和恵さんはオーストラリア先住民族の発想をひきながらそれを普遍的に正しいとおもっていると。

 中村さんがいうように

 ひろい意味での文学と研究、教育は、切実に必要なのだとわたしはおもう。いまこそ文学なのだと。

 という言葉にふかく共感。

2009.04.13

なぜについてのこたえ

「文藝春秋」2009年4月号 「僕はなぜエルサレムに行ったのか」(村上春樹)より

「システム」という言葉にはいろんな要素があります。我々がパレスチナの問題を考えるとき、そこにあるいちばんの問題点は、原理主義と原理主義が正面から向き合っていることです。シオニズムとイスラム原理主義の対立です。そしてその強烈な二つのモーメントに挟まれて、一般の市民たちが、巻き添えを食って傷つき、死んでいくわけです。
 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからだです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。(p.166)



 ネット上では、僕が英語でおこなったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんなが僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。
 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が一九六〇年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。(p.168)

文藝春秋 2009年 04月号 [雑誌]

2009.02.23

書くこと

 ちびちゃん、学校のお友達と手紙交換に目覚めてきました。あまりマメではない質なのか、もらう方が多いので、週末にレターセットを2つほど購入。すると、案の定、あたらしいレターセットを使いたくて、せっせと書いています。今日はお友達は書いてこなくて、自分だけだったらしく、「たまには、わたしも書くよ」なんて言ってました。
 毎日会うお友達と何を書いているのでしょう。
 そういう自分も思い起こせば、交換日記や手紙交換、好きだった記憶がよみがえってきました。

 twitter のさえずりで、刺激的な本とその紹介文を教えてもらいました。
 『夜戦と永遠』(佐々木中著/以文社)。教えていただかないと興味をもっていなかった可能性の高い一冊で、もちろん未読です。小説家、保坂氏が、ご自身のサイトで「図書新聞」に掲載されたインタビューを収録してくれているのですが、それがとてもとてもおもしろかったです。

■保坂和志公式サイト[Link]
「永遠の夜戦」の地平とは何か 聞き手・白石嘉治 松本潤一郎
「図書新聞」2009年1月31日号[記事Link]

 簡単に書いてはいないので、プリントアウトして線引きしながら読みました。「小説」について、「文学」について、「文体」について、「書くこと」について。

 現在はこうなっているからこうしなければ乗り遅れるとか、こんな時代になってしまったから諦めてこうするしかないなどという抑圧的な言説は、惨めな恐怖と怯えと卑屈の産物でしかない。その一夜の一行を信じることができない惰弱さの産物でしかない。ですからわれわれはこう言いましょう、「そんなことは知ったことではない!」

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル
佐々木 中
以文社
売り上げランキング: 13484

2009.02.02

マイラ・カルマン イラストコラム

脳みそがとろけるほど大好きなマイラ・カルマンのイラストコラムを、巡回しているブログで知りました。テーマはオバマ大統領就任式について。イラストはことのほかすばらしいです。ぜひ、記事Linkをクリックしてみてみてください。

■The New York Times [記事Link]

And the Pursuit of Happiness: The Inauguration. At Last.
Published: January 29, 2009
The artist Maira Kalman begins a new illustrated column about American democracy with a chronicle of her visit to Washington for President Obama's inauguration. The column will appear on the last Friday of the month.

2009.01.06

年玉

 今日の「季節のたより」(坪内稔典選)は

 年玉を妻に包まうかと思ふ
             後藤 比奈夫

 幸せは分ければ分けるほど増えてゆく。この思いが日本人の年玉などの贈答を支えている、と折口信夫。

 上のような説明がついていました。
 幸せは分ければ分けるほど増えてゆく――いいですね、これ。
 私の大好きな年長の友人がお裾分けという言葉のかわりに「お福分け」と言います。すてきだなあとそれから私もマネしています。

 そういえば、わが家の子どもたち、「今年もお年玉もらえて、いいお正月だったなあ」としあわせそうでしたっけ。

2009.01.01

あけましておめでとうございます

 新聞の「季節のたより」(坪内稔典選)

 去年(こぜ)今年蟹は横行く俺も行く

                   車谷長吉

 “だれもが前へ歩こうとするが、蟹にならって横へ歩くぞ”という小説家のつくった句。
 なるほど。前だけではなくて、時には横に斜めにでも自分の道を歩けばいいのだな。

2008.11.29

不朽版 引用句辞典

鹿島茂氏が「不朽版 引用句辞典」の新聞連載で、引用していたもの。

「ひとりの作家がしばらくの間われわれの心をまったく独占し、ついで他の作家が占領し、そうしてしまいにはわれわれの心の中で作家たちがたがいに影響し始める。あの作家とこの作家とを比較計量して見て、それぞれが他に欠けているよい性質、しかもほかのとは調和しないちがった性質を持っていることがわかる、とこの時じっさい批評的になりはじめたのだ。こうして批判力が成長するにつれて、ひとりの文学者の個性によって心を占有されることがなくなってゆく」

(T.S.エリオット 「宗教と文学」=『文芸批評論』所収、矢本貞幹訳 岩波文庫)

文芸批評論 (岩波文庫)

2008.11.25

座談がおもしろい訳

「考える人」HTMLメールマガジン 2008/11/20/ 313号[記事Link]より引用

 鶴見さんの『いくつもの鏡』をひっぱりだしたら、ついつい読み 始めてしまいました。そうしたら、こんなところが出てきました。本書のような座談というものが、なぜおもしろいのかを鶴見さんならではの視点で書いていま す。30年以上のときが経過しても、炊きたてのごはんのようにぴかぴかした言葉ではありませんか。

「日本の雑誌に座談会がさかんに用いられるのは、明治以後の日本の書き言葉が、日常生活の言葉から遠くはなれているので、それをさけようとするからだろう。
 書き言葉をさけて話し言葉を使うというだけならば、ひとりがたりを速記にとれば足りるのだが、話というのは、そういう孤独の状態では生きてこない。自分 に興味をもってくれる人が前にいるという自然の状態があって、話は生きたものになる」(『いくつもの鏡』より「対話について」)

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