年が明けました。
今年はどこにも行かないで家で過ごしているのと、次男坊もつれあいも1月1日から仕事だったので、31日までにあらかたお正月料理(こづゆとか、ひたし豆とか、にしんの煮物とか)を食べてしまっていました。
なので、あまりお正月っぽくない年越し。
でもこれからはこうなるのかも。
娘もこれからはお正月も仕事になる可能性もあるし、
ふむ。
それもそれですね。
今日はつれあいが仕事で、娘も留守にしていたので、
適当にお昼寝して、読みたかった本を読み、夜は録画していた「相棒」をみました。
低賃金で働く非正規職の方を脚本家の方が真摯に描いたにも関わらず、演出がそうでなかったと自らブログで書かれていたのを読みました。
世の中の不条理さに向き合うことを忘れないようにしなくては。
夏が始まったと書いて一ヶ月したら立秋。
必然的な時の流れではあるのですが、早い。
まだまだ全国的には暑いところはたくさんありますが、ここ東北はぐっと過ごしやすくなっています。
なにせ夕方の空気がひんやりしてきたのですから。
あちこち行けないなかで迎えた2年目の夏。
ミーンミーンとセミはなき、緑は濃く、自然はあまり変わらないようにみえます。
つれあいの趣味であるブログに私もときどき書いているのですが、
書き始めるとついついアクセス数なんぞ気になったりもしますが、
もう圧倒的に食べ物ネタが読まれます。
あと専門的なもの。つれあいの書いているIT系のもの(だと思う)も読まれてます。
あまりネタ探ししてウケのいいものばかり書いてもつまらないかなあと思いつつ、
それが自分の書きたいこと、伝えたいことならいいのかと思ったり。
まあ、書くのは楽しいのでゆるゆる書いていきます、あちこちで。
ひとりで車を1時間近く走らせて(雨の中)行ってきました。「奥会津の周り方」
文化の泉を掘る~三島町れきし文化基本構想について
という堅苦しいタイトルから雄象できないくらい、興味深いものでした。
なんといっても、ファンである赤坂憲雄さんと三島の矢澤町長さんとの対談。
赤坂さんはいつも深く優しく、福島を会津を語られる。
震災以降、ずっと心を寄せてくださるのが伝わってきて、力をもらえます。
それにしても、行政はいろんなことをしているのだなあと思いました。
文化について、行政もこんなに考えているんだという内容。
いつか、対談内容もまとまった形になると思うので詳細はそちらで。
ふるさとの作り方という内容でもあった話は、
文化の継承をすることで、子どもたちにふるさとを刻ませることでもあるという。
あんなことがあった、こんなことがあった。
子ども時代の10年は、大人の10年と時間の重みが違う。
もう子ども時代に住んだ土地よりも、
いま住んでいる土地の方が長くなっても、
自分のふるさとは、生まれたあそこなんだという感覚がある。
最近読んだばかりの『アコーディオン弾きの息子』もふるさとの話。
失われつつあったバスク地方での時間を書き記す作家とアメリカで死んだ幼なじみ。自分の妻にも読めないバスク語で回想録を書く気持ちを想像する。
ふるさとを書くのに母語を選んだのか。
いま読みかけている『パチンコ』の献辞にもふるさとの文字が。
おもしろいなあ。
ふるさとについていろいろシンクロしています。
帰りにみた川霧がとてもきれいだった。
マスクは外出の必需品。
実家の母からも手作りのマスクが送られてきました。感謝。
昭和の雰囲気あるやさしい布地で、どれも使いやすいです。
耳紐はストッキングを利用した模様。耳につけても痛くありません。
母はミシンでなんでもつくれる人で
私が子どもの頃は3人姉妹おそろいの洋服をよくつくってくれました。
私は裁縫はちっともできないので、
きれいにつくられたマスクをみて、子ども時代を思い出しました。
ところでカナダの古い友人もマスクを作って送ってくれたのです。
カナダもコロナで大変ですが、日本のマスク不足を心配してくれたのでしょうか。
こちらは、つれあいが詳しくブログに「カナダカラノマスク」として書いてくれたので
ぜひ読んでみてください。
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