2007年から刊行されている雑誌「murren ミューレン」。
最新号のVol.22の特集は「岩波少年文庫」
岩波児童書編集長の愛宕さんのインタビューも掲載されていると知り、買わねばと心がはやりました。
『石井桃子のことば』と併せてご覧くださいと書かれていたので、画像は2冊をパチリ。
特集の少年文庫はとってもディープで、正直おどろきました。
知らない本がいっぱいです。
冒険の世界で紹介されている本は1冊も知りませんでした。
読んでみたい~~
岩波少年文庫のあゆみでは、装丁の移り変わりがカラーで掲載。
最近、第3期の装丁のものを数冊ゆずってもらったので、じっくり読まなくては。
ついふらっとなんとか支援で
毛糸玉を購入。
感じのいい女性が丁寧にすすめているのに、
久しぶりの編み物はよいかもと思ったのです。
ところが、届いたものは、
初級者向けではなく、
さっぱりわからないちんぷんかんぷんのつくりかた
の紙いちまいとすてきな毛糸玉2つ。
主宰者FBやブログ、動画をみて、少しすすめたものの、
休日も何かと用事が入り、
ようやく編み目をつくり
大井玄氏による
老年は海図のない海4 地域ケアの手を読む。
ひとは誰しもが、それぞれの物語の醸し出す意味の網をつむぎ、その「意味の世界」に住んでいる。それは認知能力低下の有無にかかわらない。
(中略)
「意味の世界」に入るには、普通、なにかのパスワードを必要とする。それは民謡や子供のの時になじんだ歌だったり、趣味の俳句や和歌だったりする。いずれにせよ、本人が気持ちよく、誇らしく、うれしく感じるようになる言葉であり、文言であり、メロディである。それが見つかると、時として劇的な反応が現れる。
(中略)認知症高齢者と向き合うには、本人の住んでいる「意味の世界」を推察し、そこに一緒に住む覚悟が要求される時がある。本人がどのような人生の戦いで傷を負ってきたかを知り、その傷の痛みから気をそらしてあげる思いやりは、戦場に設けられた野戦病院で、負傷してきた兵士に応急措置を行うのにも似ている。しかし、老齢の負傷兵には、完全回復の見込みはもうないのが、手傷を負った若者とは、違うのである。
以上、引用。
「図書」最新号8月で、
ノーマ・フィールドさんと心理臨床家の横湯園子さんの対談が掲載されています。
刊行を楽しみにしている冊子のひとつが
「本と本屋とわたしの話」の5冊目が届きました。
ピンクの空気が感じられる装幀の表紙、すてきです。
今回は海文堂書店の「Cahie(海会 カイエ)」の最終号も付録のように同封されていました。
感謝。
「ひつじ書房」は行ったことはないのですが、長年名前だけは知っている児童書専門店。
わたしにとっての思い出の児童書専門店はもういまはない「太陽の子」です。
灰谷健次郎さんの作品からとられたそのお店に高校生のわたしはいりびたっていた時があります。お店番をさせてもらい、そのバイト代をもらったらまたすべて本を買ってました。
別のアルバイトで得たお金も、大半がこのお店で本となりました。
大きな丸いテーブルにはやさしいおばさんがいて、
話をよく聞いてくれる人がいて、
読書会もしたことがありました。
なつかしいです。
「本と本屋とわたしの話」はいつもこうして、自分の中の本について奥にあった気持ちをひっぱりだしてくれます。
執筆者のおひとりは、大阪文の里の居留守文庫さんに委託の棚をつくられたそう。
ぐぐってみると、なんてすてきな空間!
いつかの楽しみがひとつふえました。
「石井桃子と戦争」長編評伝、前後編読みました。
力作だと思うのですが、ひとつだけ解せないところがあります。
アルス社から出た「日本児童文庫」についてふれているところです。同時期に菊池寛が出した「小学生全集」と比較されることがよくあるのですが、北原白秋監修で出たこのアルスの「日本児童文庫」を筆者は実際に読んだうえで書いたのでしょうか。そうは思えないのです。石井氏が関わられた、この全集の後に出た「日本少国民文庫」との比較でこちらがより優れているという読み方ができる箇所でもあるのですが、アルスの「日本児童文庫」は決して「文章も書き手も吟味されずに巻数を膨らませて量産された」ものではないと、実際に7冊ほど読んでいるひとりとして思うのです。
「本と本屋とわたしの話」という本の小さな冊子、3号が届きました。ありがとうございます。表紙、本に赤とんぼがとまっています。秋ですね。
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