こだわりを強くもっていたことのひとつに「食」がある。
「食」にからんだ仕事をしていた時は、体によいものについてまるで宗教のようにあがめていた時が長くあった。
「食」にこだわることは悪いことではないと今もそれは思う。
小さい頃は、50代半ばの年頃だとわかってもらえると思うが、「コーラを飲むと歯がとける」だの迷信めいた物言いでコーラを飲むことはなかった。中学校にあがるまで袋麺もカップ麺も食べたことはなかった。
子どもをもった時は「食」の沼にハマる。いい食事、手作り、添加物のない食の世界。
それも悪くはなかったと思う。班をつくって共同購入していた牛乳、肉、働いていたからこそできたお金のかけ方だった。
子どもたち3人が成人し、いろんなことから自由になっている。
休日に仕事をするのもやめた。
休日は休日になった。
行きたいところに行ってみる。気になったお店で外食をする。
いつだって人生は辻褄があうので、いまは好きなことをする辻褄合わせの時なんだと思う。
共同購入をメインにしていたので、スーパーで買い物をすることもほとんどなかったけれど、いまはスーパーメイン。
行きつけていないスーパーに行くのがおもしろい。
しかし、コロナですっかり世界は狭くなり、隣の大きな町に行くのも勇気が必要になってきて、自分に唖然とする。
まして東京なんて外国なみに遠く感じる。
写真は滅多に行かないスーパーで売っていたバーベキュー用の鮎。
他にもエビとか帆立とか、どれも美味しそうだった。
スーパーのお客は少なく、3連休の最終日で天気もまずまずだけれど、バーベキュー用の食材はそれほどはけていない。
店内には、録音された声で今日の海の日におすすめ商品をうたっている。
トマトが安かったので購入。あと、疲労にきくと書いてあったのにひかれて陶陶酒も。
疲労と体力が課題の年頃です。
健康的な毎日。朝は6時に起きて、今日などは、近くの公園に散歩にも行ってみた。
アウトドア用に、帽子を新調。MOVING BAGなるものも購入。ワークマンでお手頃価格のアノラックパーカーも入手。子育てが終わり、自分にこんな買い物ができる日がくるなんて、と感慨深い。
ということで、アウトドアチックに朝の散歩。天気がいいと朝から青空の青が濃い。まだ人も少なく、空気がひんやり心地よい。今日の気温は上がる予報なので、このくらいに歩けるのはいい。
遊具をみていると懐かしい。子育てをしていた時がつい最近のように感じる。小さい子をみると、いいなあとすら思えてくる。
スマホのカメラのおかげで、気軽に写真撮影ができるのも楽しい。
なんといってもいまは新緑がきれい。
歩数にして3200歩ほど。多くはないけれど、朝いちにしてはまぁまぁ。
今日も楽しい一日になりそうです。
生古川さんを見る、聞くのを楽しみに参加申込みしていたのですが、世の中のまん延防止など重点措置等の期間に相当してしまい、あえなくオンラインに。オンラインで参加するのにもずいぶん慣れたけれども、生じゃないと、つい眠くなってしまい、敬遠しがちなのも正直ある。
2015年に参加した「ただようまなびや」に参加して以来、学校長をしていた古川さんに注目するようになった。「ただようまなびや」も豊崎由美さんの講座目当てのところはあったのだけど、参加したらどれも心に深く深く残るものとなり、柴田元幸さんや古川さんの朗読はまだ体の中に残っている。
あれから7年たったのか。
今回のオンラインの最後にチャットで質問をしてみた。いろいろ講演を聴いてきたけれど、質問をしたのは、今回がはじめてだった。古川さんに何か伝えたかった。なので、ただようまなびやに参加した者だと自己紹介を書いた。あの時の2日間がいまも自分の中にあると。もしよければ、いまおすすめの文学を教えてほしいという質問はスルーされたけれど、和合さんは的確にただようまなびやについて、古川さんに問いかけてくださった。震災以降、幾度か行っていた「ただようまなびや」に私は最後の年のみ参加したのだった。講師の方々はノーギャラで参加していたこと。ただ、あれを続けることは、いつまでも震災をひきずることだとも言われていたこと。お金もかかること。当面は休校という気持ちでいること。それだけ聞けてすごくうれしかった。お金はかかるだろう。あれだけの講師の方々を2日間招くのだ。ノーギャラとはいえ、交通費や宿泊費はもたなくてはいけないだろうし、会場費もそれなりにかかっているはずだ。あの時は震災の助成金か何かがあったのだろう。
震災をひきずる。
ひきずるとはなんなのだろう。3月くるたびに、忘れない11日の映像を、ここに住む人はみなもっている。
多くの人が震災後できることをと手を差し伸べた。
アートや文学は特に私のわが家の支えになった。
ただようまなびや、は言葉のとおり、まなびやだった。
先生は先生で、生徒は学びの場で思う存分学んだ。
あの時の幸福感をまた味わいたい。
コロナによる閉塞感から特にそう思うのかもしれない。
たかだか2年、されど2年。
震災からは11年。
深呼吸しよう。
眠くて眠くてしかたのない平日が終わり土曜日がやってきた。
これでようやく人間に戻れる。
なにせ、平日は眠い。それしかない。
ダイソーでスタミナ不足にはと書かれていたサプリ「セサミン」を購入してまだ10日あまり。
効果は感じられていない。
お風呂が新しくなり、そこにつかることが一日の楽しみのゴール。
きっかけは、知人の妹さんが手のマッサージをオープンさせたので、ぜひ行ってみてと誘われたことでした。
でも、もっと厳密にいうと、指が成長して長年はずしていなかった結婚指輪がかなりきつくなっていて、見苦しくなっていることを指摘されたこともひっかかっていました。確かに結婚してから○○kg程成長したので、指も同じくボリュームを増しているわけです。
ついつい後回しにしがちなことを、オープンしたばかりのところに行った場所でも、指輪を外してくださいといわれ、外れない説明をしたその日に、よしこれはと外すタイミングがやってきたのだと思い、帰りの足でジュエリー店に行ったのでした。思いの外、すてきなお店で、すんなり切ってもらい、税込み3,000円を支払い、さて指輪はどうしようかと思ったとき、最初は自分のだけでいいやと思っていたのに、なんなら、その日に半額になっていたプラチナの指輪にしようかとも思ったのですが、きつくしめあげられていた指は少し変形していたので、元にもどるまで2週間から一ヶ月かかりますとの説明に、え!となり。まずは指が戻るのを待つことになったのです。
何年もしていた指輪のあとがくっきり残った指はなかなか戻らず、それでも一ヶ月過ぎたあたりに、ジュエリー店の方から連絡が入り、つれあいと予約して行くことになったのでした。
手のマッサージのお店からも、その後いかがですかと連絡が入り、メニューが変わったのをきっかけに行ってみると全身マッサージが追加されていたので、さっそくお試し価格で。五十肩にもいい感じで、これなら続けたい!と。
ジュエリー店はなかなかにおもしろく、なんだか久しぶりの新しい人とのコミニュケーションも楽しめました。
もう少しで子育てもゴール近く、いろいろ次のフェーズに入った感じです。って、次のフェーズとはなんぞや?なんですけれどね。
安野光雅さんが2020年に亡くなられた。
中学の時に知った絵本が『旅の絵本』
中学2年の3学期という、中途半端な時期の転校生だったので、友達を積極的につくろうとも思わず、一日誰ともしゃべらない日が何日続くだろうとひとりゲームをしていた。
いとこからのお下がりの制服はちょっと手が入っていたため、不良と勘違いされたのもある。カバンもぺっちゃんこだった(笑)
けれど、なんのタイミングだか、『旅の絵本』を教えてもらった子と仲よくなった。
父親と猫と一緒にくらしている彼女は、いまでいうネグレクトの父親のもと、食べるものも毎日はない状態だったけれど、私も生活困窮の家庭だったので何もできず、でも彼女は猫がいるから大丈夫と言っていた。
『旅の絵本』はそれはすてきな絵本だった。いろいろな物語がかくされていて、旅人が見開きページのどこかで旅をして、時には休憩して、どんな物語が隠れていて、どこに旅人がいるかなんども話をした。
安野さんの『旅の絵本』を追いかけるように読まなくなったのは、いつからだろう。
でもいまでも家の本棚には置いてあるし、亡くなったときに手にとった。
なつかしさでへんてこな気持ちがわいてくるようだった。
なつかしいというのがめんどくさくも思えてきた。
今年はずいぶん「老い」を感じるようになった。
もちろん、現代ではまだ中年と老いの中間くらいなのだけど、30年くらい前のことをよく思い出す。
30年も前のことなんだといちいち驚く。
自分の知ってる自分を思い出すのはめんどくさいに近い気持ちになることを知った。
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